当初、作曲はゆっくりと進んでいたが、第一次世界大戦が勃発し8月にフランスが参戦したことで、徴兵に応じるつもりだったラヴェルに作品を完成させる意欲が巻き起こった。
フランスの参戦の数日後、ラヴェルはデラージュに
「私は三重奏曲を確信を持って、正気を取り戻した狂人のように書いています」
と述べている。
9月には作品は完成し、イーゴリ・ストラヴィンスキーに
「すぐに出発しなければという思いに駆られて、5か月かかる仕事を5週間でやり遂げました!
三重奏曲は完成しました」
と書き送っている。
ラヴェルは10月には陸軍の看護助手として採用され、また1915年3月には志願兵となり、第13砲兵連隊のトラック運転手として従軍した。
第2楽章パントゥム Pantoum,
Assez vif
「パントゥム」とは四行連詩をなすムラユ語の詩形であり、ある連の2行目と4行目が次の連の1、3行目となるという特徴がある。ラヴェルが、この形式を忠実に再現しようとしたと一般には信じられていないが、ブライアン・ニューボールドを始めとする一部では、この表題が文字通りのものであると主張されている。
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