■要素のつなぎ(トランジション)
■定義:総ての技術要素を繋いでいる、多様で複雑なフットワーク、ポジション、動作、ホールド。プログラムのハイライトを繋ぐ、スケーティングステップと要素。プログラムのハイライトを繋いだり、その価値を高めることによって、要素が孤立せずにプログラムの一部をなすような、様々なステップや動き、要素を評価する。要素の繋ぎの評価には、次のことが考慮される
都内の梅の名所を訪ねる。
まずは小石川後楽園。
東京都文京区後楽にある都立庭園。江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の日本庭園(大名庭園)であり、国の特別史跡及び特別名勝に指定されている。
1629年(寛永6年)、水戸徳川家水戸藩初代藩主・頼房が築いた庭園を、2代光圀(水戸黄門)が改修、明の遺臣朱舜水(朱之瑜)の選名によって「後楽園」と命名して完成させた。出典は『岳陽楼記』の「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」によっている。
7万平方メートル以上の広大な園内には、蓬莱島と徳大寺石を配した大泉水を中心に、ウメ、サクラ、ツツジ、ハナショウブなどが植えられ、四季を通じて情緒豊かな景色が広がる。
また、中国の文人たちが好んで歌った西湖や廬山もとり入れている。徳川光圀は朱舜水を設計に参加させたといわれており、中国的、儒教的な趣好が濃厚である。
1869年(明治2年)の版籍奉還により、旧藩主徳川昭武が邸宅とともに新政府に奉還し、そののち東京砲兵工廠の敷地の一部として陸軍省の所管となった。1874年(明治7年)以降、明治天皇の行幸および皇族の行啓を受け、外国人観覧者も多く世界的にも名園として知られるようになった。
1923年(大正12年)3月7日、国の史跡および名勝に指定された。指定の際、岡山の後楽園と区別するため「小石川」を冠した。1952年(昭和27年)には文化財保護法に基づく国の特別史跡および特別名勝に指定され、今日では、都立公園として整備され、一般に公開されている(有料)。
続いて百草園(もぐさえん)。
多摩丘陵の一角である、東京都日野市百草560番地に所在する庭園。現在は、京王電鉄が所有しているため、正式名称を京王百草園(けいおうもぐさえん)という。
園内には、若山牧水の歌碑、松尾芭蕉句碑などがある。また、園内にウメが約800本と多く、梅の名所としても知られ、毎年2~3月に梅祭りが開かれる(最寄りの百草園駅に、京王線の優等列車が臨時停車する)。
沿革
享保年間:寿昌院殿慈覚元長尼が松連寺を再建し、それに伴い百草園が造営される。
明治初期:松連寺は廃寺。百草園は地元出身の生糸商人が所有。
1957年:京王帝都電鉄(現・京王電鉄)に移管。