海外初演は1942年6月29日、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにてヘンリー・ウッド指揮。アメリカ初演は1942年7月19日、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮、NBC交響楽団。世界にラジオ中継された。アメリカ国内では、1942年からその翌年にかけて62回も演奏されている。
初演の権利をめぐってトスカニーニ、ストコフスキー、クーセヴィツキーの3者間で争奪戦が起こり「放送初演:トスカニーニ、公開初演:ストコフスキー、初録音:クーセヴィツキー」で決着したが、結局正式初演を行ったのはトスカニーニであった。
レニングラード初演に先立って7月7日、レニングラードから疎開していたエフゲニー・ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルハーモニー交響楽団が、ノヴォシビルスクにて演奏を行った。そして1942年8月9日、カール・エリアスベルク指揮、レニングラード放送管弦楽団(現在のサンクトペテルブルク交響楽団)でレニングラード初演が決行された。包囲下の中、特別機で総譜が届けられ前線から急遽、演奏家たちを呼び戻しオーケストラの欠員を補充した。
この日は、まさにドイツ軍のレニングラード侵入予定日であったが、演奏会のためにレオニード・ゴヴォロフが軍事作戦を発動させ、ソ連軍が激しい砲撃を行ったためドイツ軍の攻撃が止み、満員の聴衆は砲声が聞こえないことに訝りながら、フィルハーモニーホールに集まった。
日本初演は1950年5月17日、東京の日比谷公会堂にて上田仁指揮、東宝交響楽団。曲の構成は、各楽章の副題がナチスの侵略を想起させると判断した作曲者本人により廃案とされた。
第4楽章
勝利のフィナーレ。大きく3部分に分かれている。第3楽章から切れ目なく続く、地響きのような低音とともに序奏が始まる。ここで登場する「タタタター」という同音連打はモールス信号の「V」、すなわち「Victory」を表すとされ、曲中で執拗に登場する(ベートーヴェンの「運命」の動機のパロディという説もある)。急速なアレグロ調で開始する重要なモチーフが、第1部で圧巻の展開を見せる。
「作品の輝かしい帰結」と称された第2部では、サラバンド調の音楽が遅いテンポで続く。それは戦争の犠牲者を哀悼するようである。第3部においては、その速度を維持したまま基本モチーフが重厚に展開され、結末へのただ1本のクレッシェンドを形成する。その頂点で、第1楽章の第1主題(「人間の主題」)が全楽器の絶叫によって打ち立てられ、序奏の同音連打が勝利の宣言となる。
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