2007/02/16

ショスタコーヴィチ 交響曲第7番『レニングラード』(第2楽章)

 


この曲は第二次世界大戦のさ中、ナチス・ドイツ軍に包囲(レニングラード包囲戦)されたレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)市内で作曲された、戦争をテーマとした交響曲として知られる。音楽の内容は極めて壮大で、ナチスのファシズムへの反感もあって初演当時から共産圏はもちろん、非共産圏においても高く評価されていた。しかし、そこにはソ連のプロパガンダを強く感じさせるものもあり「壮大なる愚作」との評も、このことと関係がある。そのため冷戦の激化とともに、作品の評価の下がった時期もあった。

 

1970年代後半に出された「ショスタコーヴィチの証言」でこの作を「スターリンによって破壊され、ヒトラーによって止めを刺された」と、レニングラードを意味すると書かれたころに評価が変わり始めた。

 

作曲者の発言

作品完成直後の19411227日に、疎開先クイビシェフでショスタコーヴィチ家のパーティーに招かれた隣人フローラ・リトヴィノワは、作曲者の次のような発言を回想している。

 

「ドミトリー・ドミトリエヴィチは言った。

『ファシズム、それはもちろんあるが、ファシズムとは単に国家社会主義(ナチズム)を指しているのではない。この音楽が語っているのは恐怖、屈従、精神的束縛である』

 

その後、ドミトリー・ドミトリエヴィチ(ショスタコーヴィチ)は、第7番ではファシズムだけでなくソビエトの全体主義も描いたと語った」

 

1941年には、ショスタコーヴィチは

「人類の偉大な天才ウラジーミル・イリイチ・レーニンに捧げる私の交響曲第7番を完成させたいと思っている」

と言明していたが、1941917日の作曲者によるラジオ放送は、多少のプロパガンダ的な要素もあるが多くの市民に感動を与え、抗戦意欲を高めた。

「一時間前、私は新しい交響的作品の最初のふたつの2楽章を書きあげました」

という呼びかけで始まる放送は、作品完成の暁には第七交響曲となることを説明したあと、故郷レニングラードへの熱い想いを訴えた。

 

2楽章

木管による、哀愁を帯びた主題が印象的である。戦闘の苛烈さを表すかのような金管の激しい咆哮でクライマックスを迎えるが、再現部で悲しげな表情に戻り静かに終わる。

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