1. 序奏と情景
2. 洞窟の中で(夜)
3. 悩ましい愛の歌
4. 亡霊
5.恐怖の踊り
1914年、世界大戦が始まったため、スペインに戻り作曲家として活躍するが、病弱な彼は晩年アルゼンチンに渡り、その地で1946年に亡くなる。敬虔なカトリック信者で自分に厳しく、作曲するときは常に新しい作風を試みた為、作品数は多くなかった。生涯独身で過ごし、彼の遺書には自分の作品を演奏しないように書かれていたが、周囲に反対され上演される事になった。
『恋は魔術師』は、『三角帽子』とともにファリャのもっとも有名な作品の1つである。中でも曲中の『火祭りの踊り』などは、特に良く知られている。
著名なジプシーの舞踊家のパストーラ・インペリオの依嘱により、歌入りの音楽劇(ないしはフラメンコ)として1914年から1915年にかけて室内オーケストラのために作曲され、1915年4月15日にマドリッドのテアトロ・デ・ララにおいて初演された。この初期稿の上演は、あまり芳しくない評価に終わった。そのため彼は1915年から1916年にかけて改訂を行い、演奏会用の組曲『恋は魔術師』を制作した。編成も室内オーケストラから、独唱とピアノを含む2管編成オーケストラに改められている。
この改訂稿は1916年にマドリッドのリッツ・ホテルにおいて、バルトロメウ・ペレス・カサス指揮、オルケスタ・フィルハルモニカによって初演され、好評を博した。この成功を受けてバレエ化を決意したファリャは、シエーラとともにバレエ用の脚本を考え音楽に最終的な改訂を行った。9年後の1925年にパリのトリアノン・リリック劇場において、舞踏家ラ・アルヘンティーナとビセンテ・エスクデーロによって上演された。
その後、1925年になってファリャは、この作品をフル・オーケストラのためのバレエ音楽として改作し、それにあたって内部の再構成も行なったが、メゾソプラノの独唱入りという特徴はそのまま引き継がれた。
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