あれは、やはり白日夢か幻だったのか?
どう考えても、あのタコ坊が東京にまで進出してきているはずはないのだ!
大企業や全国チェーン展開の店ならいざ知らず、言っては悪いが「たかが京たこ」程度の店舗規模である。
仮に異動にしても、引っ越し前のワタクシの愛知の最寄り駅から、わざわざ東京の引っ越し先の最寄り駅となった吉祥寺に、しかも念を入れてワタクシの引っ越し時期を見越したように待ち構えていようとなると、これはまったくマンガの世界の話としか言いようがなかった。
いかに「事実は小説より奇なり」とはいっても、あまりにも話が出来すぎではないか!
あれが「夢だったハズだ」ということを補強する根拠は他にもあって、それはあのタコオヤジが
「ラッキーボーイさんよ!」
と呼びかけて来たことだ。
元々が、あのタコオヤジとの接点と言えば、地元での通勤電車の片道でしか「面識」のない相手なのである。
いや、あれが果たして「面識」といえるのだろうか?
日本語の厳密な解釈からすれば、あんなものは「面識」ではなく、あのタコオヤジがこちらの「ラッキーボーイ」たる特性を、すなわちワタクシの生活環境に直接的に関わるような位置に存在しているのでなければ「ラッキーボーイ」の愛称まで知る由もないのである。
このように様々考え合わせるに、あれは矢張りどう考えても「一場の悪夢」に過ぎないのであって、断じて現実などであろうはずがない。
それでも用心深い完全主義のラッキーボーイとしては、さらに安心を確実なものとするため念には念を押しておきたかった。
それで街へ買い物に出るついでに、あの店をちょっと覗いてみよう、という気を起こしてしまったとして無理はない。
ここは百歩譲って・・・いや万歩、いっそ億歩まで譲ってでも
「あのタオヤジが仮に最寄りの駅の店舗にいたと仮定しても、ただそれだけでも驚くべき偶然には違いないが、かつてのような通勤電車のストーキングの実害の脅威を蒙るわけでない」
のであり
「こちらから、あの店に寄りつきさえしなければ、まさか店の方からこっちへ寄ってくることはないのだから、どう考えたところであのタコオヤジとの接点はなく、まったく気に病む必要性などは欠片ほどもないハズなのだ!」
などと、頭上にのしかかる暗雲を払いのけるように、頭の中ではこのように結論付けていたのであった。
いつまでも、あんな陰気なストーカーオヤジに係らってなどはいられないのである。
そして某日・・・
その日も、モーニングを食べに行った「空いていた」店で、気付けばあっという間に前後左右をむくつけきオジンとチャラい若造どもに「包囲され」、朝から不機嫌だった「ラッキーボーイ」は、昼食後の気分転換にショッピングに出た。
買い物を終え、家路へと自転車を走らせるラッキーボーイの目に「京たこ」の看板が飛び込んで来たのは、あたかも運命の悪戯のように思えたが、実際には買い物先のスーパーから自宅マンションに帰るコース上のことだから、これは必然の結果であった。
「アイツがここ(吉祥寺)に居るなどというのは、あくまで何かの間違いなのだ!」
という思いから、積年の恨みを晴らすべく、勇を鼓して問題の京たこを覗いてみよう、などという気を起こしたのが拙かった。
申し訳程度に開いた狭いカウンターから、厨房(というほどのものでもないが)は、ひと目で見渡せた。
そこには、太ったおばちゃんが1人ぽつねんと居るだけで、あの「ストーカー野郎」の薄気味悪い亡霊などは爪の先ほども存在していないのは、余裕の一瞥で明明白白だった。
「そらみたまえ!
あんな薄気味悪いクソオヤジが、この東京に、しかもオレの住む吉祥寺に居ようはずがあるまいて」
(≧∇≦)ブァッハハ!
あんな薄気味悪いクソオヤジが、この東京に、しかもオレの住む吉祥寺に居ようはずがあるまいて」
(≧∇≦)ブァッハハ!
と溜飲を下げる気分で
(このまま家に帰るのも、なんとも芸がないわな・・・一丁、盛り場でも冷やかして行くか・・・)
と自転車を方向転換した、まさにその瞬間だった!
狙ったように、小屋のような狭く薄汚れた木の戸を開け出て来たのは・・・紛れなきタコオヤジ!
その姿は、つい数分前まで「絶対に夢」と思っていた、あのン年分の経過をプラスした「老けたタコ坊」に間違いはなかった。
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