神代二之巻【美斗能麻具波比の段】 本居宣長訳(一部、編集)
○汝身は「ながみ」と読む。汝は【この字を漢文では普通「なんじ」と読み、古語では「いまし」と読むことが多い。それも悪くはないが】上代の歌でも「な」と読むことが多く、また「なれ」【吾(わ)を「われ」、己(おの)を「おのれ」と言うように、汝(な)を「なれ」と言うのである。】なせ(汝兄)、なね(汝姉)、なにも(汝妹)、なひと(汝者)【允恭紀にある。】、ながみこと(汝命)など、みな汝(な)を元に派生した言葉である。【「なんじ≪旧仮名遣いでは「なむぢ」≫」も「な」を元にしていて、「むぢ」は大穴牟遲の「牟遅」である。物語文には「きむぢ≪旧仮名遣い≫」と言う称もある。この「き」は「君」の意である。】
○汝身は「ながみ」と読む。汝は【この字を漢文では普通「なんじ」と読み、古語では「いまし」と読むことが多い。それも悪くはないが】上代の歌でも「な」と読むことが多く、また「なれ」【吾(わ)を「われ」、己(おの)を「おのれ」と言うように、汝(な)を「なれ」と言うのである。】なせ(汝兄)、なね(汝姉)、なにも(汝妹)、なひと(汝者)【允恭紀にある。】、ながみこと(汝命)など、みな汝(な)を元に派生した言葉である。【「なんじ≪旧仮名遣いでは「なむぢ」≫」も「な」を元にしていて、「むぢ」は大穴牟遲の「牟遅」である。物語文には「きむぢ≪旧仮名遣い≫」と言う称もある。この「き」は「君」の意である。】
であるから、汝は「な」と言うのが元である。これをまた「いまし」とも言うのは、万葉巻十一【十四丁】(2517)に、「伊麻思毛吾毛事應成(イマシもワレもコトなすベシヤ)」、巻十四【十五丁】(3359)に、「伊麻思乎多能美(イマシをタノミ)云々」、続日本紀、高野天皇(孝謙天皇・称徳天皇)の大命に「朕我天先帝乃御命以、天朕仁勅之久、天下方朕子伊末之仁授給(アがアメさきのミカドのミコトもちて、アメあれにノリたまいシク、アメのシタはアがコ、イマシにサズケたまわく)云々」などがそうである。【万葉十四や後世の物語に、「まし」と呼んだ例もある。】又、続日本紀の宣命などに【巻九の十六丁十七丁、巻三十一の十五丁。】「みまし」と言った例がある。
ところで「な」も「いまし」も、後世はもっぱら目下を呼ぶ言葉だが、上代はそうではなかった。尊い人をも、そう呼んだ。【「汝」の字を当てたことからすると、その頃はもう尊ぶ人には言わなかったのだろうか。漢で爾、汝など(いずれも「なんじ」)、古くは目上も目下も区別せずに呼ぶ語だったが、御国に文字が伝わったのは、もうかなり後代のことであり、そうした区別をするようになっていた。】自分の夫を「汝」と呼んだ例は、沼河比賣の歌、須勢理毘賣の歌にあり、武内宿禰の歌では天皇をも「ながみこ」【汝之御子である。】と呼んでいる。また「某の~」と言うところを「某が~」と言うのは、後には卑しんだ言い方になったが、上代にはこれも目上、目下に関係なく使い、すべて「の」と言うのと同じであった。
○如何成は「いかになれる」と読む。女神の体が成り整ったのを見て「どんな風だ」と男神が訊いたのである。
○成成とは、生まれた時点から少しずつ成長して体が完成したのである。【書紀に「具成而(なりなりて)」と書いている通りである。】「戀々而(こいこいて)」、「行々而(ゆきゆきて)」と同じ用法である。
○不成合處(なりあわざるところ)は、欠けて足りない箇所を言う。つまり「みほと(陰部)」のことである。書紀には「對曰、吾身有2一雌元之處1(<女神が>こたえてイワク、アがミは、メのハジメのトコロあり)」とある。一書には「對曰、吾身具成而、有B稱2陰元1者一處A(≪女神が≫こたえてイワク、アがミはナリナリて、メのハジメとイウところヒトところアリ)」
○問曰、答曰などの読みは、初めの巻の「訓法のこと」で述べたように読む。
○伊邪那岐命詔。この「詔」は「のりたまいつらく」と読む。続日本紀の詔に「詔賜都良久云々止(のりタマイつらくシカジカと)」、「負賜詔賜比志爾(おおせタマイのりタマイしに)」、「勅豆良久云々止(のりタマイつらくシカジカと)」、「負賜宣賜志(おおせタマイのりタマイし)」などの例による。「つらく」という例は、記中の須佐之男命の言葉にも「白都良久(もうしつらく)」とある。ところで、この詔の最後には「とのりたまえば」と言う言葉を補うべきである。これも宣命などによっている。古語の決まりだ。このことも、「訓法のこと」で述べた。
○成餘處(なりあまれるところ)とは、ふくれて体の外に出るような状態を言う。書紀には「陽神曰、吾身亦有2一雄元之處1(オのカミいわく、アがミもマタ、オのハジメのトコロあり)」、また一書に「陽神曰、吾身亦具成而、有B稱2陽元1者一處A(アがミもマタ、ナリナリて、オのハジメとイウところヒトところアリ)」ともある。
○以の字は「ところを」の「を」として読む。
○刺(さし)は挿入することである。「塞」に軽く言い添えたのではなく、それ自身意味のある語である。
○塞は「ふたぎ」と読む。【和名抄に、「或以2閇字1爲2男陰1(あるいは「閇」の字を男性器の意味に使う)」とあり、ここに少し意味がありそうだ。】
○國土は「くに」と読む。【後の段で「國土皆震」とあるのなどは「くにつちミナふるい」と読むが、訶志比の宮(仲哀天皇)の段に「不レ見2國土1(くにミエズ)」というのは「くに」としか読めない。それに倣って読む。】
○如何成は「いかになれる」と読む。女神の体が成り整ったのを見て「どんな風だ」と男神が訊いたのである。
○成成とは、生まれた時点から少しずつ成長して体が完成したのである。【書紀に「具成而(なりなりて)」と書いている通りである。】「戀々而(こいこいて)」、「行々而(ゆきゆきて)」と同じ用法である。
○不成合處(なりあわざるところ)は、欠けて足りない箇所を言う。つまり「みほと(陰部)」のことである。書紀には「對曰、吾身有2一雌元之處1(<女神が>こたえてイワク、アがミは、メのハジメのトコロあり)」とある。一書には「對曰、吾身具成而、有B稱2陰元1者一處A(≪女神が≫こたえてイワク、アがミはナリナリて、メのハジメとイウところヒトところアリ)」
○問曰、答曰などの読みは、初めの巻の「訓法のこと」で述べたように読む。
○伊邪那岐命詔。この「詔」は「のりたまいつらく」と読む。続日本紀の詔に「詔賜都良久云々止(のりタマイつらくシカジカと)」、「負賜詔賜比志爾(おおせタマイのりタマイしに)」、「勅豆良久云々止(のりタマイつらくシカジカと)」、「負賜宣賜志(おおせタマイのりタマイし)」などの例による。「つらく」という例は、記中の須佐之男命の言葉にも「白都良久(もうしつらく)」とある。ところで、この詔の最後には「とのりたまえば」と言う言葉を補うべきである。これも宣命などによっている。古語の決まりだ。このことも、「訓法のこと」で述べた。
○成餘處(なりあまれるところ)とは、ふくれて体の外に出るような状態を言う。書紀には「陽神曰、吾身亦有2一雄元之處1(オのカミいわく、アがミもマタ、オのハジメのトコロあり)」、また一書に「陽神曰、吾身亦具成而、有B稱2陽元1者一處A(アがミもマタ、ナリナリて、オのハジメとイウところヒトところアリ)」ともある。
○以の字は「ところを」の「を」として読む。
○刺(さし)は挿入することである。「塞」に軽く言い添えたのではなく、それ自身意味のある語である。
○塞は「ふたぎ」と読む。【和名抄に、「或以2閇字1爲2男陰1(あるいは「閇」の字を男性器の意味に使う)」とあり、ここに少し意味がありそうだ。】
○國土は「くに」と読む。【後の段で「國土皆震」とあるのなどは「くにつちミナふるい」と読むが、訶志比の宮(仲哀天皇)の段に「不レ見2國土1(くにミエズ)」というのは「くに」としか読めない。それに倣って読む。】
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