神代四之巻【夜見の国の段】本居宣長訳(一部、編集)
口語訳:どうしても愛妻の伊邪那美命に会いたくなって、黄泉の国に行った。伊邪那美命がその扉から迎え出たので、伊邪那岐命は
口語訳:どうしても愛妻の伊邪那美命に会いたくなって、黄泉の国に行った。伊邪那美命がその扉から迎え出たので、伊邪那岐命は
「愛しい妻よ、私と一緒に造った国は、まだ造り終えていない。帰ってまた続けようじゃないか。」
伊邪那美命は
「ああ、残念だわ、もっと早くいらっしゃらなかったのが。私はもう黄泉の国の食べ物を食べてしまったの。でも私の愛しい夫がおいでになったのは畏れ多いことだから、帰ってもいいかどうか、黄泉の神と相談してみるわ。その間、私の姿を見ないでね」
こう言って黄泉の宮殿の中に入った。待っていたが、あまり長いので待ちきれず、みずらに指してあった湯津津間櫛の男柱一つを折り取って火を灯し、中に入ってみると、妻の体にはびっしりと蛆が取りつき、頭には大雷がおり、胸には火雷、腹には黒雷、陰部には拆雷、左手には若雷、右手には土雷、左足にも鳴雷、右足に伏雷、あわせて八つの雷神が生まれていた。
欲相見は「あいみまくおもおし」と読む。【相の字は、逢の意味に取る。】
○黄泉の国は【「よみのくに」とも「よみつくに」とも読める。「よみつ」と言うのは、祝詞にある。しかし「よもつしこめ」、また書紀に「よもつひらさか」など、例が多いので「よもつくに」と読んでおく。単に「黄泉」とある場合は「よみ」とする。この「よみ」は、死んだ人が行って住む国である。万葉巻九【三十四丁】(1804)に「遠津國黄泉乃界丹(とおつくにヨミのサカイに)」、同じ巻【三十六丁】(1808)に「雖生應合有哉、宍串呂黄泉爾将待跡(イケリとも、アウべくあれや、シジクシロよみにマタナン)云々」とある。源氏物語の夕霧の巻に「よもぢのいそぎ」とあるのは、泉路(よみじ)である。【泉門とするのは間違いである。】
○黄泉の国は【「よみのくに」とも「よみつくに」とも読める。「よみつ」と言うのは、祝詞にある。しかし「よもつしこめ」、また書紀に「よもつひらさか」など、例が多いので「よもつくに」と読んでおく。単に「黄泉」とある場合は「よみ」とする。この「よみ」は、死んだ人が行って住む国である。万葉巻九【三十四丁】(1804)に「遠津國黄泉乃界丹(とおつくにヨミのサカイに)」、同じ巻【三十六丁】(1808)に「雖生應合有哉、宍串呂黄泉爾将待跡(イケリとも、アウべくあれや、シジクシロよみにマタナン)云々」とある。源氏物語の夕霧の巻に「よもぢのいそぎ」とあるのは、泉路(よみじ)である。【泉門とするのは間違いである。】
栄花物語、音楽の巻に「よみづとにし侍む」と言っているのは、黄泉に行くつと(果の下に衣:みやげ)である。生き返ることを「よみがえる」と言うのも、黄泉から帰ることである。【俗に「黄泉路がえり」、「黄泉路の障り(成仏できないこと)」などと言う。】
名前の意味は、口决に「夜見土」とあり、「土」は間違いだろうが「夜見」はもっともだ。下に「燭一火(一つ火灯して)」とあるので、暗いところのようであり「夜之食国(よるのオスくに)」を治める月読(つくよみ)尊の「読み」という語も通じる。祝詞に「吾名セ(女+夫)能命波、上津國乎所知食倍志、吾波下津國か所知牟止申弖(氏の下に一)(アがナセのミコトはうわつクニをシロシメスべし、アはしたつクニをシランとモウシテ)云々」とあり、また須佐之男命が「妣(はは)の国、根の堅洲(かたす)国」と言った【弘仁私記では「根の国は黄泉である」と言い、万葉巻五(905)に「之多敝乃使(シタベのツカイ)」とあるのも黄泉路のことだが「下方(したべ)の使い」のように聞こえる。出雲国風土記に伯耆の国郡内(くぬち)に夜見(よみ)嶋があると言うが、やはり黄泉に関係しているのだろう。】などを見ると、下方にある国のようである。この黄泉について、外国からやって来た儒仏の書に、人の生死のことをあれこれ説いているのを聞き慣れた後世の人々は、どの教えにせよ自分の考えのままに、そうした儒仏めいた解釈をするのだが、すべて誤りである。そういう外国の様々な「道」の教えがなかった上代の人々の心に立ち返って、ただ死者が住む国と考えるべきである。
【ある人が私に質問した。「死んで夜見の国に行くのは、この体のまま行くのか、それとも魂だけが行くのか?」
答え。「体は明らかに現世にとどまっているのだから、魂が行くのである。」
再び問う。「伊邪那岐命が明かりを灯してみれば、蛆がたかっていたと言い、書紀の一書に『妻に会いたいと思って、あがり(もがり)の場所に行った』とあるのを考えれば、夜見の国とは、ただ土の下に隠すことを言うのであって、この世と別の場所ではないのではないか?」
答え。「それは漢意に囚われた表面的な考えであって、誰でもそう思うのかも知れないが、それでは国に古くからあるいろいろな伝承は、みな嘘だと言うことになるのか。神代の伝えはすべてが真実であり、それがそうなる道理というものは、人の浅はかな智慧で測り知れるものではない。たとえば女神がはじめ出迎えたときは、現世に生きていたときの姿で出迎えたのである。書紀にも『生きていたときの姿で出迎え、共に語り合った』と書いてある。しかし男神がひそかに明かりを灯してみたときは、夜見の国における真の姿だったのである。海神の宮の段にも似たことがある。考え合わせよ。
また『もがりの場所に行った』というのは、死人に会うためには、その骸を隠した場所から行くのである。またこの記に『黄泉比良坂(よもつひらさか)は、出雲の伊賦夜坂(いうやざか)という』とあるのは、あの世からこの世に戻る場所が、そのあたりにあったのだろう。すべて伝承の通りに信ずるべきである。ただこれは神がたどった道であって、われわれ凡人が同じようにあの世とこの世を行き来することはないから『どの場所から行き来した』と明確に定めることなどできないのだが、なにごとも神代の神々の跡によって物事は決まっているのだから、その通りに信ずるべきなのである。また今の世に『十王経』というのがあって『人間の世から五百臾善那も隔たったところに、無仏世界というところがある。またの名は預彌国(よみ)という』とあるが、この経はもともと偽経と言われるもので、わが国で作られたものである。『預彌国』という名も神典(記紀)に基づいて作ったのだ。それを逆に『神典にある夜見の国という名は仏教の経典から出たのではないか』と考え違いする人もあるかと思うので、ここで指摘しておく。」】
貴賤、善悪を問わず、死ねば誰もが夜見の国に行くのである。
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