神代四之巻【夜見の国の段】本居宣長訳
口語訳:これを見て伊邪那岐命は恐怖に駆られ、逃げ帰ろうとすると、妻の伊邪那美命は「私に恥をかかせたな」と言って、すぐに豫母都志許賣(黄泉の醜女:しこめ)たちに後を追わせた。そこで伊邪那岐命は頭の鬘を取って投げ捨てたところ、ぶどうになった。黄泉の醜女たちがこれを取って食べる間に逃げたが、またも追ってきた。そこで右のみずらに刺してあった湯津津間櫛の櫛の歯を引き欠いて投げ散らしたところ、すべて筍になった。黄泉の醜女たちが、これを抜いて食べる間に逃げた。
そのあと、伊邪那美命はその八種の雷神と千五百の黄泉の軍兵たちに後を追わせた。そこで伊邪那岐命は帯びていた十拳剣を抜いて、背後を切り払いながら逃げてきた。なおも追って、黄泉比良坂のふもとまでやって来たときに、その坂本にあった桃の実を取って、待ち受けて投げつけたところ、追っ手はことごとく逃げ帰って行った。そこで伊邪那岐命は、その桃に向かって「汝は私を助けたように、葦原の中つ国に生きる人々が苦難に陥ったときには助けよ」と命じ、「おおかむづみの命」という名を与えた。
○見畏(みかしこみ)は、見て畏れることである。記中、ところどころに、この言葉がある。見驚(みおどろ)く、見喜(みよろこ)ぶ、見感(みめ)ずなどの言葉もあって、みな古語である。「かしこむ」はおそれるのである。書紀の推古の巻の歌に「かしこみて」とある。新撰字鏡には「悸」を「惶」とし「かしこむ」とも「おそる」ともしている。【また同書では忙怕を「おびゆ(おびえる)」とも「おず(おじける)」ともする。ここも「みおじて」と読むことができる。】
○逃還(にげかえります)。「逃」という語は、朝倉の宮(雄略天皇)の段に「にげのぼりし」とある。
○令見辱(はじみせつ)。恥を与えたのを「恥見す」というのは古語である。書紀【五の八丁】(倭迹迹日百襲姫命の神婚説話のくだり)に「令羞吾(アレにハジみセつ)」とあり、同【十二の六丁】(履中五年)にも「慚レ汝(イマシにハジみせん)」などとある。これを鎭火祭の祝詞では「吾名セ(女+夫)乃命能、吾乎見給布奈止申乎、吾乎見阿波多志給比津止申給弖(アがナセのミコトの、アをミたまうなとモウスを、アをミあわたしつとモウシたまいて)」とある。
○豫母都志許賣は、書紀に「泉津醜女(よもつしこめ)」と書いてあり「醜女、これをシコメと読む、あるいは泉津日狭女(よもつひさめ)とも言う」とある。弘仁私記では「一説に黄泉の鬼である」と言う。【ただし「鬼」というのは、儒仏の書で言う鬼(幽霊)ではない。ただこの世の通常の人でなく、恐ろしいものを「鬼」と呼んだ。】書紀の欽明の巻に「魃鬼(しこめ)」とあるのもこの意味である。和名抄では、この「醜女」を「鬼魅」の項に載せている。名の意味は姿形が恐ろしく、醜いことである。後の段に「いなしこめ云々」と言うのと同じである。そのところでもう少し言う。
○遣は「つかわして」と読む。【これを「まだし」と読むのは間違いだ。それは尊ぶべき所へ人をやって物を奉る意味のところに書く「遣」の字を「まだす」と読むことから転じた誤りである。「まだす」というのは伝十六、木花佐久夜比賣の段で詳しく言う。】
○黒御鬘(くろミかずら)。「かずら」という言葉に三種類ある。葛と鬘とカモジ(髪の下の友を皮に置き換えた文字)である。【古い本には「蘰」とも「縵」とも「カツラ?(鬘の下の又を方に置き換えた字)」とも書いてある。「蘰」は字書にない。「縵」の字は字書にはあるが、カツラの意味はない。カツラ(鬘の下の又を方に置き換えた字)は鬘の字体を変えた文字である。】
○逃還(にげかえります)。「逃」という語は、朝倉の宮(雄略天皇)の段に「にげのぼりし」とある。
○令見辱(はじみせつ)。恥を与えたのを「恥見す」というのは古語である。書紀【五の八丁】(倭迹迹日百襲姫命の神婚説話のくだり)に「令羞吾(アレにハジみセつ)」とあり、同【十二の六丁】(履中五年)にも「慚レ汝(イマシにハジみせん)」などとある。これを鎭火祭の祝詞では「吾名セ(女+夫)乃命能、吾乎見給布奈止申乎、吾乎見阿波多志給比津止申給弖(アがナセのミコトの、アをミたまうなとモウスを、アをミあわたしつとモウシたまいて)」とある。
○豫母都志許賣は、書紀に「泉津醜女(よもつしこめ)」と書いてあり「醜女、これをシコメと読む、あるいは泉津日狭女(よもつひさめ)とも言う」とある。弘仁私記では「一説に黄泉の鬼である」と言う。【ただし「鬼」というのは、儒仏の書で言う鬼(幽霊)ではない。ただこの世の通常の人でなく、恐ろしいものを「鬼」と呼んだ。】書紀の欽明の巻に「魃鬼(しこめ)」とあるのもこの意味である。和名抄では、この「醜女」を「鬼魅」の項に載せている。名の意味は姿形が恐ろしく、醜いことである。後の段に「いなしこめ云々」と言うのと同じである。そのところでもう少し言う。
○遣は「つかわして」と読む。【これを「まだし」と読むのは間違いだ。それは尊ぶべき所へ人をやって物を奉る意味のところに書く「遣」の字を「まだす」と読むことから転じた誤りである。「まだす」というのは伝十六、木花佐久夜比賣の段で詳しく言う。】
○黒御鬘(くろミかずら)。「かずら」という言葉に三種類ある。葛と鬘とカモジ(髪の下の友を皮に置き換えた文字)である。【古い本には「蘰」とも「縵」とも「カツラ?(鬘の下の又を方に置き換えた字)」とも書いてある。「蘰」は字書にない。「縵」の字は字書にはあるが、カツラの意味はない。カツラ(鬘の下の又を方に置き換えた字)は鬘の字体を変えた文字である。】
カモジ(髪の下の友を皮に置き換えた文字)は和名抄によると和名「かつら」、「釈名にいわく、髪が少ない者が補助としてかぶるものである」とあり、俗に「かもじ」と言う。このように様々あるが、元はすべて草の葛から転じた言葉だ。葛の元の名は「つら」であって、記中に「登許呂豆良都豆良(ところヅラつづら)」、書紀や万葉に「麼左棄逗囉」、和名抄に「千歳藟百部(あまツヅラほとヅラ)」と言い、【これらの「つら」を「かづら」の略と思うのは本末転倒である。】忍冬(すいかずら)も、新撰字鏡には「すいづら」とある。【拾遺集雑下(558)に「さだめなくなるなる瓜のつら見ても」と詠んだのは、蔓(つら)に頬(つら)をかけたのである。現在「つる」と言うのは、「つら」から転じたのだ。弓の弦(つる)も、万葉では「つら」とも言っている。馬具の轡(くつわづら)、䪊頭(おもづら)も草の蔓(つら)から出たのだろう。轡は手綱のことである。】
何であれ、蔓草を頭の飾りに掛けるのを髪葛(かづら)と呼び、これがつまり鬘である。このように鬘に用いるので、草の葛を「かづら」と呼ぶようになったのであろう。カモジ(髪の下の友を皮に置き換えた文字)も髪を飾るものであるから、鬘と同じ名を付けたのである。この鬘は上代には女男ともに使ったもので、蔓草を用いたのは石屋戸の段で(天宇受賣命が)眞拆(まさき)を鬘としてかけたことから、「日影の鬘」などと言い、また必ずしも蔓(つら)ではないが、花鬘、菖蒲(あやめ)の鬘、柳の鬘、木綿(ゆう)鬘などの言葉がある。【これらも「かづら」と呼ぶのは蔓草から出た。】
他に、糸などを使って作ったようだ。珠を飾ることは、天照大御神の飾り【「うけい」の段】に見える「玉鬘」とはこれである。【髪にも葛にも「玉かづら」と言うのは、この玉鬘の名から言うのだろうか。もっとも、ただ賞賛して言うだけかも知れない。】穴穗の宮(成務天皇)の段に「押木の玉縵(たまかづら)」と言う語があって、貴重な宝としている。万葉には「波禰蘰(はねかづら)」というのがある。【「蘰」の字は、これを草でも糸でも作るので、作った字だろうか。そういう風にして我が国で作った字は多い。「縵」の元の意味とは関係なく、そういう意味で用いたのだろう。
○和名抄では「花鬘」を「伽藍の具」に入れているが、これは元々天竺の人の頭飾りである。】ここには「黒」とあり、色を言うのだが、何を使ってどんな作り方をしたのかは分からない。【「つづら」のことを「黒葛」と書くが、それは無関係だ。
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