2016/06/08

「黄泉」の解釈

●『日本書紀』
『日本書紀』一書第六の注には「或所謂泉津平阪 不復別有處所 但臨死氣之際 是之謂歟」とある。これは、単に死の瞬間を泉津平阪(よもつひらさか)という土地に例えたもので、実際には泉津平阪は存在しない、ということである。

●『出雲国風土記』
『出雲国風土記』出雲郡条の宇賀郷の項には、黄泉の坂・黄泉の穴と呼ばれる洞窟の記載があり「人不得 不知深浅也 夢至此磯窟之辺者必死」と記載されている。この洞窟は出雲市猪目町にある「猪目洞窟」に比定されるのが通説である。 猪目洞窟は昭和23年(1948年)に発掘され、弥生時代から古墳時代にかけての人骨や副葬品が発見された。

●漢語における「黄泉」
古代のチャイナ人は地下に死者の世界があると考え、そこを黄泉と呼んだ。 「」は五行思想で土を表象しており、それゆえに地下を指すために「」という文字を使ったのである。黄泉(zh:黃泉)をチャイナ語で説明すると「人死後所居住的地方」といった説明になる。黃泉は、現代でも「不到黃泉不相見」や「結髮同枕席,黃泉共為友」などの表現で日常的に用いられている。C国語の意味の「黄泉」を指そうとする時は、日本人は「こうせん」と音読みすることがある。

●『聖書』中の訳語としての「黄泉」
『新約聖書』中のギリシャ語「ハデス」、『旧約聖書』中のヘブライ語「シェオル」(en:Sheol)を漢文訳の『聖書』では「黄泉」と訳しており、日本語訳聖書においては、口語訳聖書では「黄泉」、新共同訳聖書では「陰府(よみ)」、新改訳聖書では「ハデス」と訳されている。類語であるギリシャ語の「ゲヘンナ」は地獄と訳されることが多く、訳し分けがなされている。

他方、日本正教会訳聖書では、ゲヘンナを「地獄(ルビ:ゲエンナ)」、ハデスを「地獄(ルビ:ぢごく)」とルビを使って訳し分けている。キリスト教内でも、地獄に対する捉え方が教派・神学傾向などによって異なる。

地獄と訳されることの多いゲヘンナと、黄泉と訳されることの多いハデスの間には厳然とした区別があるとする見解と、区別は見出すもののそれほど大きな違いとは捉えない見解など、両概念について様々な捉え方がある。

厳然とした区別があるとする見解の一例に拠れば、ゲヘンナは最後の審判の後に神を信じない者が罰せられる場所、ハデスは死から最後の審判、復活までの期間だけ死者を受け入れる中立的な場所であるとする。この見解によれば、ハデスは時間的に限定されたものであり、この世の終わりにおける人々の復活の際にはハデスは終焉する。

他方、別の捉え方もあり、ハデスは不信仰な者の魂だけが行く場所であり、正しい者の魂は「永遠の住まい」にあってキリストと一つにされるとする。上述した見解例ほどには大きな違いを見出さない見解からは、ゲエンナ(ゲヘンナ)、アド(ハデース)のいずれも、聖書中にある「外の幽暗」(マタイ22:13)、「火の炉」(マタイ13:50)といった名称の数々と同様に、罪から抜け出さずにこの世を去った霊魂にとって、罪に定められ神の怒りに服する場所である事を表示するものであるとされる。
出典Wikipedia

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