2016/06/20

黄泉比良坂と角髪


 黄泉比良坂(よもつひらさか)は、日本神話において死者の住むあの世(黄泉)とこの世(現世)を分かつ境目にある場所。『古事記』上巻に2度登場する。「ひら」は「」を意味するとされる。出雲国の「伊賦夜坂(いふやさか)」が、その地であるとする伝承もある。

男神・イザナギと一緒に国造りをしていた女神・イザナミが亡くなり、悲しんだイザナギはイザナミに会いに黄泉の国に向かう。イザナミに再会したイザナミが一緒に帰って欲しいと願うと、イザナミは黄泉の国の神々に相談してみるが、決して自分の姿を見ないで欲しいと言って去る。なかなか戻ってこないイザナミに痺れを切らしたイザナギは、櫛の歯に火をつけて暗闇を照らし、イザナミの醜く腐った姿を見てしまう。

怒ったイザナミは、鬼女の黄泉醜女(よもつしこめ。醜女は怪力のある女の意)を使って、逃げるイザナギを追いかけるが、鬼女たちはイザナギが投げる葡萄や筍を食べるのに忙しく役に立たない。イザナミは代わりに雷神と鬼の軍団・黄泉軍を送りこむが、イザナギは黄泉比良坂まで逃げのび、そこにあった桃の木の実を投げて追手を退ける。

最後にイザナミ自身が追いかけてきたが、イザナギは千引(ちびき)の岩(動かすのに千人力を必要とするような巨石)を黄泉比良坂に置いて道を塞ぐ。閉ざされたイザナミは怒って、毎日人を1000人殺してやると言い、イザナギは、それなら毎日1500人の子供が生まれるようにしようと返して、黄泉比良坂を後にする。

このほか、オオクニヌシの根の国訪問の話にも登場する。根堅洲国(根の国)のスサノオから様々な試練をかけられたオオアナムチ(のちのオオクニヌシ)が、愛するスセリヒメと黄泉比良坂まで逃げ切るというもの。島根県松江市東出雲町は、黄泉比良坂があった場所として、1940年に「神蹟黄泉比良坂伊賦夜坂伝説地」の石碑を同町揖屋に建立した。

同地には、千引の岩とされる巨石も置いてある。近くには、イザナミを祀る揖夜神社もある。2010年の日本映画『瞬 またたき』では、亡くなった恋人に会いたいと願う主人公が訪ねる場所のロケ地として使われた。

江戸時代に書かれた『雲陽誌』によると、松江市岩坂の小麻加恵利坂にもイザナギが雷神に桃の実を投げた伝説がある。

ククリヒメ伝説
黄泉比良坂について『日本書紀』の本文では言及がないが、注にあたる「一書」に「泉平坂(よもつひらさか)」で言い争っていたイザナミとイザナギの仲をククリヒメがとりもった、という話が記されている。このことから、ククリヒメは縁結びや和合の神とされている。

角髪
角髪(みずら)とは、日本の上古における貴族男性の髪型である。中国の影響で成人が冠を被るようになった後は少年にのみ結われ、幕末頃まで一部で結われた。美豆良(みずら)総角(あげまき)とも。古墳時代の男性埴輪などに見られる。分類として「上げ角髪」と「下げ角髪(ようは、おさげ)」があり、一般人に認知度が高いのは前者であり、後者は貴人(身分の高い者)の髪型である(結い方の項目に記されているのも、上げ角髪の結い方である)

髪全体を中央で二つに分け、耳の横でそれぞれ括って垂らす。そのまま輪にするか、輪の中心に余った髪を巻きつけて8の字型に作る物とがある。総角はその変形で、耳の上辺りで角型の髻を二つ作ったもので、これは少女にも結われた。

髪の輪が二つの形のものの方が古いらしく、埴輪などに見られるものはこの形が多いが、奈良時代に入ると輪が一つの形のものが主流となったことが、聖徳太子像などに見える。

輪が一つのものにも2種あって、毛先を納めるものとそのまま垂らすものに分かれる。上代では、男性でも角髪に櫛を挿していたことが『古事記』のイザナギの黄泉下り、スサノオの大蛇退治の物語に見られるほか、アマテラスとスサノオの誓約の場面では、女神のアマテラスが角髪を結う呪術的な異性装を思わせるくだりが登場する。

みずら」という言葉は「耳に連なる」の意で、髪の形状を表した言葉とする説が有名である。ただし、全ての研究者が賛同しているわけではなく、みずらは「美面」の意であり、ミは美称であるとする考え(筑波大教授・増田精一説)もある。その考察に従えば、みずらとは「いい面」の意ではないかとする。おさげ遊牧民であるモンゴル人は、おさげをクク、あるいはケクといったが、これは「いい面」の意味である。

チョンマゲが大陸の南方文化に多いのに対し、みずらのようなおさげ文化は、大陸の北方文化に見られる。昭和583月に、茨城県武者塚1号墳(7世紀後半)から左側の角髪(長さ約10cm)が、ほぼ完全な状態で出土した。出土後1年ほどたってカビが生えたため、滅菌処理の後、冷凍保存された。
出典Wikipedia

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