神代五之巻【三柱貴御子御事依の段】
本居宣長訳(一部、編集)
○夜之食國(よるのおすくに)。食国(おすくに)と言うのは、皇孫が治めるこの天下を総称する言葉で「食」は本来「食べる」
ことである。【書紀などで、食べることを「みおしす」、食べ物を「おしもの」と言う。万葉巻十二(3219)に「をし」の借字としてこの字を書いてある。】
ものを見る、聞く、知る、食べるといったことは、すべて他の物を身のうちに受け入れることだから、見す、聞こす、知らす、食(お)すなどの語を、相通わせて用いる。【その例はこの次に述べる。】君主が国を治め保つのを「知らす」、「食(お)す」とも、【漢国には食邑(しょくゆう)という言葉があり、幾千戸を食(は)む、などと言うのも、自然に同じような言い方になったのである。】聞看(きこしめす)とも言う。これは君主が国を治めるのは物を見るが如く、聞くが如く、知るが如く、食べるが如く、その身に受け入れ、保つという意味である。この次に「所知看(しろしめす)」 とあるのも、知見(しりみる)ということで、同じ意味である。【そのことは、後の十七葉で詳しく述べる。また伝四の十八葉で述べたことも参照せよ。】
その他、万葉巻五【七丁】(800)に「大王云々」、「企許斯遠周、久爾能(きこしおす、くにの)云々」、同巻十八【十八丁】(4089)に「高御座、安麻乃 日継登、須賣呂伎能、可未能美許登能、伎己之乎須、久爾能麻保良爾(たかみくら、あまのヒツギと、すめろぎの、カミのミコトの、きこしおす、クニのマホラ に)云々」、同巻廿【二十五丁】(4360)に「伎己之米須、四方乃久爾(きこしめす、ヨモのクニ)云々」があり、これら「きこしおす」も「きこしめす」も「しろしめす」と全く同意であるので、知る、聞く、看る、食すを相通わして【物を食べることを「きこしめす」と言うのも、同じように通わして言うのである。】国を治め保つことを言っているのが分かる。【これによって、「所知(しらす)」の意味も自然に分かる。】
このように「食国」と言った例は、軽嶋の宮(應神天皇)の段にもあり、続日本紀の宣命などに「食國天下(オスクニあめのした)」、「四方食國(ヨモのオスクニ)」、「聞看食 國(きこしめすオスクニ)」など、多数ある。万葉にも多いが、巻十七【四十二丁】(4006)に「須賣呂伎能乎須久爾(スメロギのオスクニ)」などがある。【御饌(みけ)つ国も「食国」と書き、同じ文字になるのだが、それは大御饌(おおみけ)に供える食物を献げる国のことで「食(お)す国」とは違う。また、この「おすくに」を「御食国」と書いた例も万葉にある。取り違えないように。】
ところで、日神は昼、月神は夜を治めて、ともに高天の原にいるのであって、この地上の国ではないのに「食国」と言うのはなぜかというと、師の説では『一般に「くに」というのは、限りのことである。東国で垣を「くね」と言うのもこの意味である。だから須佐之男命が天に昇ったとき、天照大御神が「私の国を奪おうとしている」と言い、また須佐之男命は「海原を治めよ」と命じられたのに「その命ぜられた国を治めなかった」と伊邪那岐命から責められたことがあり、元々は皇孫が治める天下の限りを「国」と呼んだことから出て、その名称を神代にも使い、三柱の神それぞれに治める限りを、このように天であれ、海であれ「国」と称したのである。』と言う。これはよく分かる説だ。【続日本紀の二十一に「食国高御原乃業」とあるのは「座」の字を「原」と書き誤ったのである。他の例でそうと分かる。】ところが、天照大御神には「昼」とはなくて高天の原全体を言い、月読命には夜、また食国といっているのは、これもまた限りがある意味である。【夜、昼は対語だが対等ではなく、やはり昼が主である。】
書紀には「次に月の神を生んだ。この神は光彩が日の神に次いで麗しかった、そこで太陽と並べて治めさせようとして高天の原に昇らせた」とあるが、一書(第六)には「月読尊は、滄海原(あおうなばら)の幾重にも重なる潮を治めよ」とある。【この一書(第六)は、全般にこの記と似た内容だが、この部分だけはたいへん違う。】
○海原(うなはら)。この言葉は古い書物にはよく出てくるが、万葉巻五【二十五丁】(874)に 「宇奈波良(うなはら)」、同【三十一丁】(894)に「宇奈原(うなはら)」、巻十四【二十五丁】(3498)にも「宇奈波良(うなはら)」などとある。書紀では「滄溟(あおうなはら)」、万葉巻廿【六十三丁】(4514)に「阿乎宇奈波良(あおうなはら)」とある。【上記のように、万葉の「波」はすべて清音の仮名なので、清んで読むのが正解だ。普通「うなばら」と濁って読むのは、疑問である。】
和名抄には「滄溟」を「あおうみはら」と書いてある。ここを書紀では、須佐之男命について「ひととなり残虐で悪いことを好むので、根の国を治めさせた」ともあり「天下を治めさせた」ともあるのは、互いに違った伝えである。
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