「都留」は都留郡の郡名に由来し、「都留」は都留市の位置する桂川(相模川)流域の地域が富士山の裾野を蔓のように延びており、その様子から「連葛」、「豆留」(いずれも「つる」)とよばれていたことに由来するとされている。
郡名となったつるの意味には、川の激流に面する地や、古代朝鮮語の原野などの意味があるといわれている。また、平安時代になると、つるの音が鶴を連想させ、遠い甲斐にある延命長寿のめでたい鶴の郡として、和歌に詠まれるようにもなった。
室草の都留の堤に成りぬがに児ろは言へどもいまだ寝なくに 『万葉集』巻14
雲のうへに菊ほりうえて甲斐国鶴の郡をうつしてそみる(権大納言長家)
甲斐へまかりける人につかはしける 伊勢
君か代はつるの郡にあえてきぬさだめ無き世の疑いもなく(『後撰和歌集』巻19離別)
甲斐の国へ下りまかり申し侍りけるに 壬生忠孝
君が為買ひ(甲斐)にぞ我は行く鶴のこほりに千世はうるなり『新千載和歌集』巻18 雑歌下)
最初の万葉集巻14の東歌は
「歌の大意は、都留川の堤ができ上がったように、2人の仲はすでにできているがごとくあの子はいうが、まだ共寝をしたわけではないというもので、待望久しい都留川の堤の大工事を完成させた喜びが、この地方の人たちの記憶になお新たなものがあったことをうかがわせる。」(磯貝正義『富士吉田市史資料編第2巻古代中世』)とされ、万葉集に都留の地名が登場する唯一の歌である。
『和歌董蒙抄』には、中国の「菊水の故事」によった都留郡の地名解釈が掲載されている。大月市駒橋の菊花山からは菊花石が採れたとされ、このことから菊水の故事と長寿の動物としての鶴とが一体となって、延命長寿のめでたい鶴の郡という解釈が広まっていったとされる。
また甲斐国志には、次のように記されている。
残簡風土記細注二云フ都留郡或ハ連葛トアリ連葛ハ藤蔓ノ如シ富士山ノ尾サキ長ク連リクルヲ云フ。皆つるト訓ズべシ (『甲斐国志』古跡部第十六之上)
富士北麓から桂川流域にかけて細長く伸びた平坦地が、まるで富士山から伸びた藤蔓のような地形をしているとして、つるという地名が付いたと説明されている。また、桂川もつるをかつらと呼ぶことから付けられたという説を紹介している。
出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
都留(つる)郡
古代からの郡名で、北は雲取山などの秩父山地、南は富士山の裾野が広がり、富士五湖のうち河口湖・西湖・山中湖が点在し、中央を桂川が東流する山地が殆どを占める地域で、おおむね現在の大月市、都留市、富士吉田市、北都留郡、南都留郡、東八代郡足和田村の東部の一部(河口湖を含む区域)の地域です。
『和名抄』は、「豆留(つる)」と訓じます。郡名は、富士山の足が藤蔓のように北へ延びているさまを嘉字の鶴にあて、転じて郡名としたとする説(『甲斐国志』)、菊の生えた山から流れる湧水を飲む人は鶴のように長寿を保つところからとする説(『和歌童蒙抄』)、川の流れの緩やかなところとする説(柳田国男)、「ツル(「連れ」の転。鶴、蔓も同じ)」で「川に沿って細長く連なったところ」の意とする説などがあります。
また、中世以降笹子峠以東の都留郡の地域を「郡内(ぐんない)」と、以西を「国中(くになか)」と呼んでいました。
この「つる」、「ぐんない」は、
「ツル」、TURU(kneel,leak,drip)、「膝を曲げている(曲流する川・複雑な地形の山地がある。地域)」もしくは「(隣の国へ)水が漏れている(多摩川・相模川の水源となっている。地域)」または「ツ・ウル」、TU-URU(tu=stand,settle;uru=head,top,hair of the head)、「(甲府盆地から見てその上にある)頭髪(のような山々)が・ある(地域)」(「ツ」のU音と「ウル」の語頭のU音が連結して「ツル」となった)
「(ン)グヌ・ヌイ」、NGUNU-NUI(ngunu=bend,crouch,deformed;nui=large,many)、「腰を曲げたような土地(曲流する川・複雑な地形の山地)が・多い(地域)」(「(ン)グヌ」のNG音がG音に変化して「グヌ」から「グン」と、「ヌイ」が「ナイ」となった)
の転訛と解します。
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