因幡の白兎
「淤岐嶋」には、現在の島根県隠岐郡隠岐島とする説や、ほかの島(沖之島等)とする説がある。
他に、『古事記』の他の部分では隠岐島を「隠伎の島」と書くのに、「稻羽之素菟」では「淤岐嶋」と書き、「淤岐」の文字は「淤岐都登理(おきつどり)」など、陸地から離れた海である「沖」を指すことが多いため、「淤岐嶋」は特定の場所ではなく、ただ「沖にある島」を指すとする説もある。
「気多の前」には、「淤岐嶋」を島根県隠岐郡とすれば鳥取県鳥取市(旧鳥取県気高郡、それ以前は旧高草郡)の「気多の岬」とする説や、鳥取県鳥取市(旧鳥取県気高郡、それ以前は旧気多郡)の「長尾鼻」とする説などがある。
「淤岐嶋」を島根県隠岐郡としたとき、鳥取市(旧高草郡)の白兎海岸の沖合150メートルにある島まで点々とある岩礁を「わに」とする説もある。その周辺には「気多の岬」、菟が身を乾かした「身干山」、兎が体を洗った「水門」、かつて海になっていて戦前まで蒲が密生したという「不増不滅之池」、「白兎神社」などがある。
出典http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
鳥取県の東部に位置し、北は日本海に面し、中央部に千代(せんだい)川が流れ、北部は鳥取平野、南部は中国山地で、東は但馬国、南東は播磨国、南は美作国、西は伯耆国に接します。
古代には巨濃(この)郡、法美(ほうみ)郡、八上(やかみ)郡、智頭(ちず)郡、邑美(おうみ)郡、高草(たかくさ)郡、氣多(けた)郡の7郡がありました。
『古事記』には、オオクニヌシが兄の八十神たちと「稲羽の八上媛(やかみひめ)を婚(よば)ふ」ために稲羽に赴いた記事があり、『日本書紀』雄略紀17年3月条には「因幡の私の民部を詔して名付けて贄(にえ)の土師部といふ」とあります。
因幡は『和名抄』は「以奈八(いなは)」と、国府所在地と推定される法美郡稲羽郷(現鳥取市及び岩美郡国府町にまたがる地域)は「以奈波」と訓じています。
この「いなは」は
(1)稲羽に起源し、「稲葉(稲の葉)」、「稲場(刈った稲の置き場)」、「稲庭(稲田)」に由来するとする説
(2)稲羽郷のある稲葉山が稲積の形をしていることによるとする説
(3)「イナ(砂)・バ(場)」で「砂丘のある場所」とする説などがあります。
この「いなは」は、マオリ語の
「イ・ナ・パ」、I-NA-PA(i=beside,past
tense;na=satisfied,belonging to;pa=stockade)、「ゆったりとした巨大な集落のそば(の地域)」、または「ヒ(ン)ガ・パ」、HINGA-PA(hinga=fall from an erect position,be killed,be overcome
with astonishment or fear,be outdone in a contest;pa=touch,reach,be connected
with,block up,assault,stockade)、「(昔オオクニヌシや兄達が参加した八上媛の妻問いの)競争が行われた故事に関係する(地域)」または「(昔オオクニヌシが兄達に成功を妬まれて迫害されたという)名誉を失墜した故事に関係する(地域)」(「ヒ(ン)ガ」のH音が脱落し、NG音がN音に変化して「イナ」となつた)
の転訛と解します。
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