ヤマタノオロチについて「洪水の化身」などと解釈されることがある。
オロチは水を支配する竜神を、クシナダヒメは稲田を表すと見做して、毎年娘を攫うのは河川の氾濫の象徴であり、オロチの退治は治水を表すとする。また、大蛇が毎年娘を攫ったことは、毎年一人の処女が生贄にされたことを表し、治水の成功によりその風習を廃したことを表す、などとされる。
「高志之(こしの、コシ-の)」の解釈にも諸説あり、例えばこの当時、出雲国は越国(北陸地方)との交戦状態にあり、『出雲国風土記』には意宇(オウ)郡母里(モリ)郷(現・島根県安来市)の地名説話で「越の八口」の平定の記載があるため、出雲と越の勢力争いをヤマタノオロチ神話の原型や土台とする説がある。
高志=越とみる根拠には、旧越国である福井県などに「高志(野)」、「九頭竜(くずりゅう)」などの名称や地名があること(例:高志高校、九頭竜川など)や、四隅突出型墳丘墓のように、過去に文化的・権力的な関連があったとされることなどが挙げられる。
草薙剣は出雲国の古代製鉄文化を象徴する、とする説もある。草薙剣は鋼製であり、十拳剣が草薙剣に当たって欠けたことは、十拳剣は鉄製であったことを類推させ、当時最先端の技術であった製鋼、またはその技術の結晶・産物である鋼刀を「アマテラスに献上した」というストーリーは、その頃の出雲と大和の関係を暗示して興味深いとされることがあるが、治水説とは相反している。
宮中の草薙剣はその後、平安時代末期の源平争乱の頃、平家滅亡の際に入水死した安徳天皇と共に失われるが『平家物語』は、これを八岐大蛇が安徳天皇となって草薙剣を取り返しに来たとする(草薙剣説)もあるが、愛知県名古屋市に所在する熱田神宮の御神体となっている説がある。
「オロチの腹が血でただれている」について、砂鉄(あるいは鉱毒)で川が濁った様子を表すとする説がある。たたら吹きには大量の木炭を必要とするため、上流の木が伐採しつくされた結果、洪水が起きたことを表すともされ、実際に島根県斐伊川流域はたたら吹きによる土砂排出によって天井川となり、度々洪水を起こしている。
洪水後には蛇の鱗を思わせる砂洲(「鱗状砂洲」)が幾条も生じることがあるため,これが大蛇として神格化された、などと説明される。また、島根・鳥取県境の船通(鳥髪、鳥上)山系を源とする日野川、斐伊川、飯梨川、江の川、伯太川などの川、およびその支流を頭が8つある大蛇に見立てたとする説もあり、これらの河川を一部の研究者は「オロチ河川群」と呼ぶ。
その他、八岐大蛇は火山による火砕流を神格化したとする説もある。
須佐神社には、ヤマタノオロチの骨とされる物が納められている。
「草を薙いだ剣」
ヤマトタケルが伊勢神宮でこれを拝受し、東征の途上の駿河国で、この神剣によって野火の難を払い、草薙剣の別名を与えた。この説は広く知られているが、日本書紀では異伝とされている。現在の静岡県には、焼津、草薙など、この神話に由来する地名が残る。
「蛇の剣」
クサは臭、ナギは蛇の意(ウナギ#名称などを参照)で、原義は「蛇の剣」であるという説。神話の記述でも、この剣は蛇の姿をしたヤマタノオロチの尾から出て来ており、本来の伝承では蛇の剣であったとも考えられる。
高崎正秀は『神剣考』「草薙剣考」において、クサ=串=奇、で霊威ある意とし、ナギ=ナダ=蛇であるとして、この剣の名義を霊妙なる蛇の剣であると説いている。また、その名はヤマタノオロチに生贄にされかけたクシナダヒメ(奇稲田姫)に通じるものであり、本来クシナダヒメはヤマタノオロチに対する祭祀者でありながら、同時に出雲を支配する女酋的存在ではなかったかとする。なお、蛇の形状をした剣として蛇行剣がある。
天叢雲剣
八俣遠呂智由来説
『日本書紀』の注記より。ヤマタノオロチの頭上にはいつも雲がかかっていたので「天叢雲剣」と名付けられた。実際、山陰地方は曇り日が多く、安来地方の山奥、奥出雲町にある船通山(鳥髪峯)山頂には天叢雲剣出顕之地の碑があり、毎年7月28日に船通山記念碑祭・宣揚祭が開催される。
また、「天叢雲剣」の名の由来である、「大蛇の上に雲気有り」という表現に関して『史記』や『漢書』からの引用だと説かれることもある。
出典 Wikipedia
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