2017/02/25

『古事記傳』9-3 神代七之巻【須賀宮の段】(本居宣長)

口語訳:妻と共に住むため、速須佐之男命は宮を作るところを、出雲の地に求めた。須賀の地に到って「ここに来て、私の心は清々しくなった」と言い、そこに宮を作った。それで、その地を今も「須賀」と言う。

 

この大神が宮を作る時、その地から雲が立ち昇った。そこで歌を詠んだ。その歌は

 

「八雲立つ、出雲八重垣、妻籠みに、八重垣作る、その八重垣を」

 

ここに、かの足名椎の神を呼んで「あなたは私の宮の守護の役をしなさい」と言い、またその名を稲田の宮主、須賀の八耳神と命名した。

 

<この須佐之男命の歌は、いろいろな解釈がある。一例としては「八重の雲が立っている。その立つ雲が八重垣を作る。妻を守る八重垣を作ろうとしている私だが、その八重垣を自然に作っている」

 

といった解釈がある。

 

是以(ここをもて)とは、櫛名田比賣を娶ることになったのを言う。宮造りの動機である。

 

○宮可造作之地(ミヤつくるべきトコロを)

【宮の字は、作の字の下にある意味に解すべきである。】宮(みや)は御宅(みや)だ。この宮造りは、もっぱら櫛名田比賣との婚姻(みあい)のために作るのである。書紀には「然後行覓將婚之處(そののち、行きながら婚姻する場所を探した)」とある。そのままこの文に相当するので、意味が分かるだろう。上代には、婚礼に当たって、まずその家を造ったらしい。あの伊邪那岐・伊邪那美の大神の時にも、まず八尋の大殿を見立てたとあった。

 

出雲国風土記には、神門郡八野の郷について「八野若日女命坐之、爾時所=造2天下1大神大穴持命、將2娶給1爲而、令レ造レ屋給、故云2八野1(ヤヌワカヒメのミコトましき、そのときアメのシタつくらししおおかみオオナモチのミコト、ミアイたまわんとして、ヤをつくらしめたまう、かれヤヌという)」とある。

 

○我御心須賀須賀斯(アがミこころスガスガし)。【これを須々賀々斯と書いた本がある。これはいにしえの書き方である。】書紀には「乃言曰、吾心清淨之(すなわちコトアゲしたまわく、アがこころすがすがし)」と書いてある。この言葉の意味は、「濯(すす)が濯(すす)がしい」ということだ。【「すすぐ」を「すすがしい」と言うのは、「さわぐ」を「さわがしい」、「もどく(真似る、または逆らうなどの意)」を「もどかしい」というのと同じ活用である。

 

○源氏物語などに「すがすが」という言葉が多く出るが、それは物事が滞りなく、速やかに進むことを言うので、ここに出たのとは違うかも知れない。しかし垢がなく清らかなことと、滞りなく進むこととは似た点もあるので、本来は同じ意味だったか。このことは、中巻の明の宮(應神天皇)の段で、「須久須久登(すくすくと)」という言葉について詳しく述べる。】

 

「この地に来たところ、心が洗ったように清潔な気持ちになった」ということである。今の世に「心が澄む」というのと同じである。出雲国風土記に「意宇郡安來郷、神須佐乃烏命、天避立廻坐之、爾時來=坐2此處1而詔、吾御心者安平成詔、故云2安來1也(オウのこおりヤスキのさとは、カムスサノオのミコト、アメのソキたちめぐりましき。そのときこのトコロにきましてノリたまわく、『アがミこころはヤスクなりぬ』とノリたまいき。かれヤスキという)」とあるのも合わせて考えよ。所は違うが、事の次第は全く同じであることから、古伝の意味合いを知ることができよう。「安くなる」というのも心が落ち着くと言うことで、「心が澄む」というのと同じだ。

 

【つまりこれは、その時感じた心地を言っているので、俗に言う「心持ち」である。全体としての心の善悪を言っているのではない。それを「悪心が消えて、清い心になった」と解釈するのは、あまり当たっていない。漢意に溺れた学者の癖として、ともすれば万事を儒仏の心法に引き寄せて説明しようとするので、ここの言葉を捉えて、「心の祓除である」などと言うのは、こじつけである。同じ風土記に「秋鹿郡多太郷、須佐能乎命御子、衝桙等乎而(与?)留比古命、國巡行坐時、至=坐2此處1而詔、吾御心照明正眞成、吾者此處静將坐詔而静坐、故云2多太1(アイカのコオリただのさとは、スサノオのミコトのミコ、ツキホコトオヨルヒコのミコト、クニめぐりいでまししとき、ここにイタリましてノリたまわく、「アがミココロあかくタダシクなりぬ。アはここにシズマリまさん」とノリたまいてシズマリます。かれタダという)」とあるのも似たことである。】

 

これ以前に鬚や爪まで抜いて祓ったのに、なお穢れが尽きておらず、その後にも大宜都比賣の神を殺す悪行があった。【もっとも、この神の死体から種々の物が化生して、世の大きな利益となったのは、祓除の功徳で、悪事の中にもう善事が始まっていたのである。】

 

ところが後に大蛇を斬って、無上の霊剣を得て天に奉ったことは、その功績が比類なく、【蛇を殺して民の害を除いたことを功績とするのは当たらない。その程度のことは、この神の威力からすると、大した功績ではない。】ここでそれまでの穢れはすべて尽き果てたため、おのずから心が清々しく感じたのだろう。

 

ところで、「この地に来て」とその土地にかけて言っているのは、その地に深い縁があるからだろう。そのことは凡人の考えでは推測できない。そもそもこの地は櫛名田比賣と婚姻して、その生んだ子孫が天下に大きな功績を残すことになった、その出発点の土地なのだから、そこで心が清々しく感じたのもうなずけることである。

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