2019/08/20

ローマ社会の変質と動揺 ~ 内乱の一世紀(2)



「長期化する従軍→農地の荒廃→農民=重装歩兵の没落」

ローマは、地中海世界を取り巻く大領域国家に発展していくのですが、領土拡大するということは戦争をずっとしているわけです。ポエニ戦争中もマケドニア、ギリシア方面で軍事行動を継続しているんだ。「長期化する従軍」とあるのは、そういうこと。

重装歩兵として出陣する兵士は、何年も戦争に行ってなかなか故郷に帰れない、ということも起こってきます。ローマ市民権を持つ自作農民たちが、武器自弁で重装歩兵となっているのですから、ローマの農民がなかなか帰ってこない、ということでもあるのね。だから残されたローマの農家では、父ちゃんいない間に残された母ちゃんや爺ちゃんが農作業をしているわけです。

しかし肝心の働き手がいないですから、残された家族に何か病気とか起これば、もうまともに農業が続けられない。もしくは持っている農地全部を耕作できない、という状況が生まれてきました。

農業を諦めて、離農する者達も出る。彼らは、土地を売って生活費を捻出する。戦争が終わり兵士が帰国してみると、もう土地を手放していて農業が出来ない、ということが起こってくる。これが「農民=重装歩兵の没落」です。

  自作農が手放した土地を買ったのは誰か。これが貴族です。彼らは大土地所有者となり、農場経営をする。この大農場をラティフンディアといいます。ラティフンディアがどんどん拡大、発展するのが前2世紀後半。

貴族が経営するラティフンディアで働いたのが奴隷です。ローマは戦争でどんどん勝っていますから、戦利品として捕虜とか被征服民が奴隷として、いくらでも連れてこられたんですよ。いくらでも奴隷はいたし、新しく連れてこられた。家畜より安く手に入るんだね。只みたいなものだから、奴隷を働かせるのが一番いい。ろくに食事を与えなくて死んでしまっても気にしない、いくらでも新しい奴隷はやってくる。

史料を見ると、ひどい扱いが分かるでしょ。これは製粉所の奴隷の例です。背中には、鞭打ちのあとが縞模様になっている。頭の毛は半分がそり落とされている、と書いてあるね。逃げたときに半分坊主刈りになっているから、すぐに奴隷だとばれてしまう仕組みだ。そして、額には所有者の名が焼きゴテで捺してある。宿舎は家畜小屋の隣、飲み物は海水で薄めた葡萄酒。海水で薄めてあるのは、塩分補給のためです。まさにモノ言う家畜ですね。

  こういう奴隷を労働力として使ったので、没落した農民が小作農になろうと思っても、ラティフンディアでは雇ってもらえないのです。

だから没落農民たちは、家族ごと都市に流れ込んできます。彼らをルンペン・プロレタリアートという。遊民と訳している。遊んでるのではないよ。やることなくて仕事なくて、放浪しているという意味です。今風に言えば失業者、ホームレス、といった感じ。

ローマ市にやってくれば、有力貴族がそれなりに彼らの面倒を見てくれるんです。彼らルンペンは有力貴族の庇護民となり、選挙の時などは貴族のために一肌脱ぐ、そんな関係があるのです。また、ローマの属州から運ばれた税金、食糧、もろもろの富で、市民権さえあればそれなりの生活は政府から保障されました。

ただ、ローマの中堅市民である農民がどんどん没落すると言うことは、重装歩兵のなり手が減るわけですね。簡単に言えば、これはローマ軍の弱体化につながる。領土を拡大してきた強いローマ軍が弱くなってしまう。ローマは、このままでよいのか、と心ある政治家たちは考えた。

グラックス兄弟の改革
  ローマの名門貴族出身の若者で、ティベリウス・グラックスとガイウス・グラックスという兄弟がいました。彼らは、例のスキピオの一族でもある名門中の名門です。このグラックス兄弟が、ローマ農民の没落を食い止める改革を断行するのです。

最初に改革を試みたのは、兄のグラックスです。彼の政策は、非常に筋の通ったモノだったと思います。ルンペンとなって都市に流入している者達に土地を与えて、再び自作農民に戻そうと考えた。そしてローマ軍を再建する。土地は、どこから手に入れるか。貴族のラティフンディアがある。125ヘクタール以上の土地を占有している貴族から、それ以上の土地を国家に返させる、それをルンペン市民に再分配しようというわけだ。

この政策に、平民たちは熱狂します。しかし、貴族たちは面白くない。農民の没落でローマ軍の弱体化が進むのは心配だけど、自分の土地を取り上げられるとなれば、やっぱり嫌なんですな。こういうのを総論賛成各論反対なんて言う。グラックスも貴族だけど、自分の利害より国家の利害を優先させて考えたんだね。

ただ、彼のやり方はかなり強引なところがあって、普通の手続きを踏まず元老院との相談もなしに改革を推し進めようとした。反対派貴族と改革を歓迎する平民の対立で、ローマは騒然とした雰囲気になる。

  兄グラックスはどんな役職に就いていたかというと、護民官です。護民官は身体不可侵で神聖なのです。だから、反対派も手が出せないはずなんですが、強行な反対派がゴロツキを雇ってグラックスを襲わせたんです。昔も暴力団みたいなのがあったんだね。兄グラックスは、ボコボコに殴られて殺されてしまいます。死体は川に投げ込まれて、ぷかぷか浮いているところが発見された。このような非常手段によって、改革は潰されました。これが前133年のこと。

弟ガイウス・グラックスは、兄の死の10年後同じく護民官になって兄の政策を実現しようとしました。この時も騒然とした雰囲気となって暴動が起こり、混乱の中で弟グラックスは自殺して、この兄弟の改革は失敗に終わりました。(前123)

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