退廃ということでは性的な面では滅茶苦茶だったようで、貴族の夫婦関係なんていうのは名目だけみたいですね。浮気みたいな事は当たり前だったんですが、前回も話したように出生率がどんどん低下するんです。元老院の名門貴族の家がどんどん断絶する。イタリア半島以外からも、名門の家の者を元老院議員に任命して、欠員を埋めたりしているんですよ。
出生率低下の原因はいろいろな説があってはっきりしませんが、多分子供を産むのが邪魔くさかったんではないか、と思う。貴族は自分で子供を育てるわけではないですが、それでも面倒なもんだ。しかも、夫からすれば生まれた子が誰の子か分からないわけで、それに財産を譲るのもあほらしい。そんなことに煩わされるよりも、今日の楽しみを思い切り楽しみたい。金持ち達の気持ちは、そんなところではないでしょうか。
それにしても、奴隷がたくさんいる社会自体が退廃といえるかもしれない。金持ちは、たくさん奴隷を使っていた。町に出る時は、最低二人はお付きの奴隷を連れていくのが中堅市民の条件。前70年頃のローマ市人口が、大体50万。そのうち四分の三が奴隷もしくは解放奴隷だったというから、奴隷はほんとに多い。
大金持ちになると、わけのわからん奴隷をたくさん使っている。主人の靴を脱がす奴隷とかね。ある金持ちは、自分の靴を脱がす奴隷を二人持つ。外から帰ってくると、デンとひっくり返って奴隷に靴を脱がしてもらうんですが、同時に脱がすために右足専門靴脱がせ奴隷と左足専門靴脱がせ奴隷と二人要るんだって。こういう奴隷は、あまり能力いらなくて大した仕事も任されませんが、有能な奴隷は子供の家庭教師にしたり、家計を取り仕切らせたりもしたんです。
ところで奴隷の供給源ですが、戦争捕虜や新しい征服地の住民などが奴隷としてローマに連れてこられていたという話を前にしました。ところが、前回も話したように五賢帝の二番目、トラヤヌス帝の時がローマ帝国の領土が最大でしたね。ということは、それ以後ローマ帝国は成長期が終わって守りの時期に入るわけ。新しい征服地がなくなる、戦争捕虜も激減するということだ。では、それ以後は奴隷の数が激減するかというと、そんなことはなさそうなんですよ。トラヤヌス帝以後の奴隷は、どこからきたのか。
最近、こんな説が唱えられています。奴隷=捨て子説。ローマ人達は、子供が産まれると育てるのが嫌だから、どんどん捨て子にしていた、というんだ。いわれてみれば、そうかもしれない。出生率が低下といいましたが、今みたいに避妊法が発達しているわけではない。男と女がいれば、平民だって貴族だって妊娠するはずだ。中絶に失敗すれば出産する。捨てていたから見せかけの出生率が減少した、と考えれば納得がいくね。
捨て子の名所があったらしい。「乳の出る円柱」という所。いらない赤ちゃんは、みんなここに捨てる。そして捨て子を集めてまわる業者がいた。嫌な話だけど、この業者が捨て子を奴隷として育てて売るんだ。これが奴隷の供給源として、大きなものだったらしいです。ホラティウスという詩人が、こんな事を言っている。
「粘土が柔らかければ、お気に入りのどんな形にでも作ることができる。」
だから理論的には、赤ん坊を捨てた貴族が、何年かして自分の実の子だと知らずに奴隷を買って働かせる、ということもあり得るわけです。何とも言えない気分です。
金持ち連中も、奴隷を使うことに対して多少は良心がとがめたのかもしれなくて、自分が死ぬときに遺言で、奴隷達を解放してやることが多かったんです。こういう人を解放奴隷というんですが、彼らは自由ではあるがローマ市民権はありません。ところが、例えば解放奴隷同士が結婚して子供が産まれたら、この子は生まれながらにしてローマ市民なんです。だから、公衆浴場も入れるしパンも配給される。もし、商売で成功でもしたら、お金を積んで騎士身分という貴族になることだってできる。奴隷を買って働かせることだってできるんです。
身分制の社会でありながら、その身分が絶対的でないところがローマの活力の源でもあるといわれています。それにしても、この国はやはり変だね。
ローマ法
一面では退廃的でやりきれないローマ文化ですが、これが何百年も繁栄し続けたのはやはり統治技術のうまさ、柔軟さが挙げられると思います。そしてローマ人は公正を求めて、常に法を尊重する文化を維持し続けた。ここはローマ人の偉大なところですね
それを象徴するのがローマ法。ちょっと後の皇帝ですが、6世紀のユスティニアヌス帝は重要。トリボニアヌスに命じて「ローマ法大全」を編纂させた。これはローマの法と法学説を集大成したものです。
土木・建築
これもローマ人の得意分野。法律とか建築とか、実用的なものでローマ人は能力を発揮する。建築ではアーチが特徴。何気なく見ていますが考えはじめるとこれ、不思議でしょ。なんで一番上の石は、落ちてこないんですか。鉄筋が入っているわけではないからね。これ、石の切り方に微妙に傾斜がつけてある。下に落ちようとする重力を横の石に逃がしているわけです。これで石積みの大きな建物を建設できるようになった。
単独アーチの建造物が凱旋門。コロセウムもじっくり見てみると、アーチを集めて造られているのが分かるでしょ。でっかいのが、水道橋。フランスにあるガール橋が有名。高さが50メートルある。ローマ人は重要な場所に、どんどん都市を建設します。そこに水がなくてもお構いなし。なければ、どこかの遠くの山の上から水を引いてくる。その為に造られたのが水道橋です。
その他の建築物としては、アッピア街道という軍用道路が有名。今も一部が残っています。アケメネス朝ペルシアにあった「王の道」のローマ版だ。
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