ローマの学問芸術はほとんどギリシア、ヘレニズム文化の真似。独創性はないといわれています。
哲学では、ストア派が流行った。セネカが有名。この人はネロ帝の先生で、ネロ少年を補佐していた。それから、マルクス=アウレリウス=アントニヌス帝。前回も話しました。著書「自省録」。
教科書では出てきませんがエピクテトス、という人も結構有名。この人は奴隷出身。のちに解放されて、有名な哲学者になるのです。エピクテトスは足が悪く、杖なしでは歩けなかった。残された絵を見ても、杖を持って描かれています。はっきりとは分からないのですが、奴隷時代に主人に足を折られたらしい。哲学者になるくらいだから、彼は若い頃から高い精神的な世界を持っていたんだろう。態度や目つきが奴隷らしくなかったのかもしれない。
「奴隷なら奴隷らしく卑屈な顔をしないか。」主人はそんなエピクテトスが憎らしくて、彼の足を痛めつけたんだろう。それに対してエピクテトスは「そんなことをしたら、足が折れてしまいますよ。」と涼しく言ったらしい。主人は更にカッとして、そのまま足を折ってしまった。そうしたら「ほら、だから言ったじゃないですか」と、主人を諭したというんです。
エピクテトスの詩が伝わっています。
奴隷エピクテトスとしてわれは生まれ、身は跛、貧しさはイロスのごとくなるも、神々の友なりき(イロスは「イーリアス」に登場する乞食)
実は私、このエピクテトスが好きでね、プリントにも彼の文を載せました。ちょっと見て下さい。「語録」という作品です。
「自分のものでない長所は、何も自慢せぬがいい。もし馬が自慢して「私は美しい」といったとするならば、それは我慢できるだろう。だが、きみが自慢して「私は美しい馬を持っている」というならば、きみは馬の優良なことを自慢しているんだと知るがいい。ところで、きみのものは、なになのか。心像の使い方だ。したがって、きみの心像の使い方が自然にかなっているとき、その時こそ自慢するがいい。というのは、そのときは、なにかきみの優良なものを自慢しているのだから。」
例えば、貴族がいて、高価な馬を買って自慢しているんだな。エピクテトスはいう。「お前は馬か。馬が自分を自慢するなら分かるが、なぜお前が馬を自慢するのか」と。
分かるよね。MD買ったとか、最新のPHS持っているとか、ブランドのカバン持ってる、とかいって自慢する人いませんか。あなたの心には自慢するものがないのですか、ということを言っているのがエピクテトス。
「奴隷だったから、こういう考えをしたんだ」といってしまえばそれまでですが、われわれの生活態度や精神を振り返らせる力を持った内容だと思うよ。
もう一つ。
「記憶しておくがいい、きみを侮辱するものは、きみを罵ったり、なぐったりする者ではなく、これらの人から侮辱されていると思うその思惑なのだ。それで、だれかがきみを怒らすならば、きみの考えがきみを怒らせたのだと知るがいい。だから第一に、心像に奪い去られぬようにしたまえ。なぜなら、もしきみがひとたび考える時間と猶予とを得るならば、容易にきみ自身に打ち勝つだろうから。」
これも面白い考え方です。だれかが、きみを殴った。あなたは殴った人に対して、怒りや憎しみの気持ちを抱くよね。でも、それは間違いだとエピクテトスは言う。
彼は、あなたを殴っただけ。怒りや憎しみをあなたの心に植え付けたのは、あなた自身の心だ、怒りは彼の中にあるのではなくて、あなたの中にあるのでしょ。あなたを怒らせているのは、あなた自身の怒りの心。ほらほら、それに振り回されてはいけませんよ。自分の心です、コントロールしなさい。エピクテトスの言いたいことは、こういうことだと思います。
最終的にはこういう発想で、心の平安をたもとうというんです。ストア派ですからね。
自分の足を折られても、平然としていたエピクテトスらしいです。でも、奴隷だからと片づけてしまうと、間違えると思う。
マルクス=アウレリウス=アントニヌス帝、ローマ帝国のトップのこの人が奴隷のエピクテトスと同じストア派だということを、どう考えたらいいんでしょうか。私の持っているこの本、中央公論社の「世界の名著13」なんですが、エピクテトスとマルクス=アウレリウス=アントニヌス帝が一緒に収められているんだよ。象徴的でしょ。「自省録」を読むと、アウレリウス帝もやはり精神の平安を一所懸命求めているんですよ。
ローマの貴族達は贅沢三昧で吐いては食べ、産んでは捨てと滅茶苦茶ですが、そんな生活をしながらも、心の奥底ではヒュ~っとすきま風が吹いていたんではないか。贅沢で精神の平安は得られない。皇帝がストア派哲学者であるということは、まさしく彼らの心を象徴している気がしてなりません。
奴隷も皇帝も心が求めているところは、案外近いところにある。単純に「心の平安」といっておきましょう。ちょっと先走りしていうと、これを哲学ではなく宗教という形でローマ人に与えたのが、キリスト教だったのではないか。だから、あっという間にキリスト教がローマ帝国に広まったと私は考えています。
哲学の最後に、セネカについて一言だけ。セネカは剣奴の競技に反対してました。人道的な立場ではなくて、競技を観戦することが心の平安を乱すからという理由なんですがね。ベスビオ火山の噴火で埋まったポンペイという町があります。当時の人々の生活をまるまる残したまま発掘されて、面白い遺跡です。そのポンペイの剣奴の宿舎の壁に、落書きが発見された。そこには「ルキウス・アンナエウス・セネカ」。セネカのフルネームが書かれていた。
歴史・文学については名前と作品列挙。とにかく覚えるだけ。あのカエサルが、ガリア遠征を記録した「ガリア戦記」。ラテン語の名文らしい。
ポリュビオス(前2世紀)の「歴史」。この人はギリシア人だけど人質としてローマに連れてこられて、カルタゴ陥落の現場に居合わせた。政体循環論という歴史理論を唱えた。
リヴィウス(後1世紀)「ローマ建国記」。タキトゥス(2世紀)「ゲルマニア」「年代記」。前者は、ローマ人から見たらまだまだ未開人だったゲルマン人の貴重な記録。ゲルマン人は、今のイギリス人やドイツ人、フランス人の直接の祖先。タキトゥスは堕落したローマ人と比較して、質実なゲルマン人を持ち上げています。
文学。ヴェルギリス(前1世紀)のローマ建国叙事詩「アエネイス」。ホラティウス、オヴィディウス、はともに前1世紀の詩人です。
その他。ストラボン(1世紀)「地理誌」。プトレマイオス(2世紀)「天文学大全」。これは、天動説を唱えて有名。これ以来、コペルニクスという天文学者が出てくるまで1300年間、ヨーロッパの人は地球は動かないと信じた。
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