2019/10/18

ディオゲネス(2) ~ ディオゲネスの生活



 そのディオゲネスの生活ぶりは「酒瓶」を住みかにしたという伝承のように、質素を通り越して「何も持たないという乞食以下の生活」になっていました。これは、伝えられているように流れ者という必然もあったでしょうが、アンティステネスに惹かれて強引にその弟子になったわけですから意図的にそうしたのだろうし、それはアンティステネスの思想を徹底した、彼なりの哲学に基づいたものだったと言えます。ともかく彼は「金銭への愛は、あらゆる災いの母である」と主張していたようなので「乞食以下」となっていたのも当然でしょう。

 そうした彼について、テオプラストスという人が

ディオゲネスは、ネズミが寝床を求めることもなく暗闇も怖れず、また美味なものをほしがりもしないのを見て、自分の境遇を処する術を見いだしたのだ

と伝えているのが紹介されたりしています。

 そしてまた住みかに関しても、当初は「どんな場所も食事をしたり寝たり話しをする場所」にしてしまい、彼は

「ゼウス神殿のストア(柱廊)やら公の保管庫やらを指さして、アテナイ人は自分のために住みかを用意してくれている」

と言っていたと伝えられています。つまり、たとえ神殿であれ何であれ、何処でも平気で住みかにしてしまっていたということです。そして最終的に、町中に転がしてあった土製の「酒瓶」に潜り込んでいたというわけです。

 またさらに、ある時彼は子どもが手で水を掬って飲んでいるのを見て

「自分は簡素ということでは、この子どもに負けている」

といって袋からコップを取り出し投げ捨てたとか、同じく子どもが皿を壊してしまいパンに凹みを付けてスープを入れているのを見て「お椀も投げ捨てた」と伝えられています。こんなでは結局、何もかも無くなってしまうのは当然です。

アレクサンドロス大王との逸話
 こうした「物にとらわれないディオゲネス」という文脈の中に「アレクサンドロス大王との逸話」もあるわけです。その中で有名なものは、ディオゲネスが日向ぼっこをしているところに、その噂を聞いたアレクサンドロス大王がやってきてディオゲネスの姿を見て感動し、何なり望みのものを申してみよと言ったときに

「それでは、どうかそこをどいてくださいな。日陰にしないでいただきたい」

と答えたというものがあります。「自由で世間的価値を超越しているディオゲネス」を伝えて有名なものです。

 しかし、アレクサンドロス大王は若干20歳にして王位を継いで直ぐにペルシャ東征に赴き、それに成功して大王と呼ばれるようになったわけですが、ギリシャには帰れずに10年後に30歳にしてバビロンで死んでいますので、ディオゲネスとこんな形で出会っていたということはあり得ません(東征前の若いアレクサンドロスというのも無理です)。

つまり、これは両者が有名となった後に作られた「物語」であることは明らかです。しかし、それにしてはどうも「アレクサンドロスとディオゲネスの逸話」というのがたくさんあって、何かしら両者を結びつけたくなる何かがあったのかもしれません。
 その一つですが、アレクサンドロスは「もし自分がアレクサンドロスでなかったとしたらディオゲネスであることを望んだであろうに」と語ったと伝えられています。この逸話は「アレクサンドロス大王の人柄」について語っていると同時に、当時にあってディオゲネスがアレクサンドロス大王にまで知られる人物になっていたということと、「権威とか世間を超絶しているディオゲネス」とを伝える、当時の「ディオゲネス評価の一つ」となります。

 またアレクサンドロスがディオゲネスの前に立ち

「お前は、余が恐ろしくはないのか」

と聞いたとき、ディオゲネスは

「あなたは悪人ですか、それとも善人ですか」

と問い返し、アレクサンドロスが「善人だ」と答えると

「善人を怖れるものはいないでしょう」

と答えたというのもあります。
 
ついでにディオゲネスは、アレクサンドロスの父であるフィリップス王との逸話もあって、そこではディオゲネスはカイロネイアの戦いに出陣していたが、敗戦において捕らえられ王の前に引き出されて、「お前は何者か」と問われた時に「お前の飽くことのない欲望を探る偵察だ」と答えて、この答えにフィリップスは感服して彼を放免したというものです。

全くありそうにない話しですが、これもディオゲネスのありよう・人物像を描写しているものとすれば、そんな逸話を作った当時の人々のディオゲネス評価の一つとして、受け止めることもできるでしょう。

精神と肉体のバランス
 ディオゲネスは「鍛錬」ということを非常に重視したようで、またその鍛錬を「魂(精神)面と身体面の両面」で行ったと伝えられます。ディオゲネスによると「精神と肉体とは切り離せない性格をもっている」と理解されていたようで、身体の鍛錬抜きに魂の鍛錬はないとされていたようです。
 というのも「ことがうまくいく」ということや「強さ」というのは魂だけの問題ではなく身体においてもあるからで「両者がバランスとれている必要」があると考えていたからでしょう。

 魂の鍛錬は当然「徳の実践」に向かうために必要であるわけで、快楽ということに対する抑制は快楽と反対のものによって鍛えられて強くなるとされて「快楽を侮蔑する鍛錬」をしておけば容易に、それができるようになると考えられていたようでした。

 そこで、彼は夏の暑いときは熱い砂の上を転げ回り、寒い冬には雪の上を歩いたり、また雪をかぶった銅像を抱きかかえるなどして、様々の機会を捕らえては自分を鍛えていたと伝えられています。

 こうした「訓練が人間としての優れへと人を導く」ということの例証として、彼は技術・技能・スポーツに優れた人を例に挙げ、それは彼等の日頃の絶え間ない訓練・練習・労苦のたまものであることを示し、そしてそういった「鍛錬が魂の面にまで及んでいれば、彼等の労苦は本当に優れた成果を生むだろう」と言ったといわれています。

 そうはいっても、何でも労苦がいいというわけではなく「無用な労苦」ではなく「自然に適った労苦」を選べと教えていたようです。

 さらに、その生活ぶりは「ヘラクレス的生活」とされてきますので、これは「社会や家に守られた安楽の生活」とは逆の「嵐に立ち向かう艱難辛苦の生活」になってしまいます。ヘラクレスは12の偉業で知られる神話上の人物ですが、この12の偉業はいずれもすさまじい難行でした。この「ヘラクレス的生活」というのはディオゲネスの師匠であるアンティステネスが言っていたことでした。

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