2019/10/25

ディオゲネス(3) ~ ディオゲネスとプラトン

 
理性の重視
 ディオゲネスは、このように既存の価値観ではなく「自然に適った」と考えられる価値に従うとなるのでしょうが、これは結局「理性が教えてくるもの」となりそうなのは、ディオゲネスが常々「人は理性を備えるか、さもなければ(首をつるための)縄を用意しているべきだ」と語っていたといわれるところからも確認できると思います。

 そして彼は「運命には勇気を、法律習慣には自然本性を、情念には理性を対抗させる」と主張していたとされます。こうして彼は、「まさしくノミスマ(社会慣習)を変造していた」のであって、法律習慣に従うことには少しも価値を認めず「自然本来(内容的には理性)」にあることを尊しとしていた、と言われることになったわけでした。

 そして「自由に勝るものはない」としていましたが、この自由とは「勝手放題・野生」を意味しているのではなく「社会常識・慣習に縛られない」ということで、具体的には「贅沢や立身出世を価値あるとする見方」を退けることであり「理性にのみ耳を傾ける」となります。

コスモポリテース
 ただし、そうは言っても「社会的無秩序」には警戒していたようで「法がなければ、市民生活を送ることは不可能である」と主張していたようです。つまり彼も市民生活の野生化を主張していたわけではなく、人間の生活での文化は大事にしており、それはポリスがあって始めて可能となるとし、それは法によって保証されると考えていたようなのでした。ただ、その法の内容が問題になるわけであって「既存のポリスのあり方、及びその法が違う」と考えられていたのでしょう。

 彼は「何処のポリスの人か」と問われた時「自分はコスモポリテース(世界市民)だ」と答えたと伝えられています。この「コスモポリテース(世界市民)」という概念は、ここではこれ以上の説明がないのではっきりしたことはいえませんが、人間が一つのポリスの価値観や習慣にとらわれ、そのポリスだけの人間として狭く生きるのではなく「世界の人間を等しく人間として捕らえて、すべての社会を一つの社会として生きるべきだ」という主張だとしたら、ソクラテス・プラトン・アリストテレスのポリスの哲学を転覆させている「革命的で、ある種すさまじい思想」であったと言えます。

これは思想史的には、「脱ポリス」概念の始まりとして大事であり、後のローマ期のストア派やエピクロス学派に顕著に出てくる概念の源として見なせます。

 こうしたところから、彼は「社会に対して噛み付く」ような態度になっていったのであり、それは当然、政治・文化的指導者とか金持ちなどの社会的に立身出世している人、名門を鼻にかけている人々、贅沢な暮らしをしている人々、軟弱な人々、世間に流されて生きている人々に対してのものでした。

 例えば学園など作って、そこの長に収まっているインテリもその批判の的になってくるわけで、従ってアカデメイアなどという学園を作ったプラトンとはどうも仲が悪かったようで、様々な逸話が伝えられています。

ディオゲネスとプラトンの関係
 プラトンが、ディオゲネスとはどういう男かと問われて「狂ったソクラテスだ」と答えたというものがありますが、これは当然褒めた言葉ではなく、ソクラテスの真似をしているつもりのようだが気違いだ、というようなニュアンスのものでしょう。他に伝えられているプラトンのディオゲネスに対する態度も、いずれも好意あるものではないです。

 ディオゲネスの方も負けては居らず、例えば「プラトンの講義(ディアトリベー)は暇つぶし(カタトリベー)」であると駄洒落で揶揄していたとか、プラトンが家にシラクサの王ディオニュシオスのところからやってきた人を招待した時、ディオゲネスが絨毯を踏みつけて「プラトンの虚栄」を踏みつけてやると言ったとか、葡萄酒を強請っておいてプラトンが樽を送ってやったところ「所望されたものを計算もできない」と言ったとか、イチジクを分けてやると言われてプラトンがそれを食べたところ「分けてやるとはいったが、食べてもいいとは言わなかった」とか、こんな調子ではプラトンならずとも怒れてきて当然です。

 プラトンの方も、ディオゲネスに対して「お前は見栄を張っていないと見せることによって、どれほど多くの見栄を人前に晒していることか」と、これは絨毯事件の時ですが切り返したり「とどまるところを知らないおしゃべり」と評したり、「ディオゲネスは犬」だと言ったとか、ディオゲネスが水をぶっかけられてそのままの姿で立って大勢の人に身を晒していた時、プラトンは「もし諸君が本当に彼を気の毒と思っているなら、ここから立ち去りたまえ」と言ったけれど、それは「ディオゲネスの虚栄心を皆に教えようとしてのこと」であったとか、色々伝えられています。
 こうしたプラトンとのやりとりの中で、有名なのがプラトンの人間の定義に対するディオゲネスの揶揄で、それはプラトンが「人間とは二本足で羽根のない動物である」として好評を得たとき、ディオゲネスは「羽根をむしり取ったニワトリ」を携えてきて、これがプラトンのいうところの人間だといったので、その後プラトンは先の定義の言葉に「平たい爪をした」という語句を付け加えることにした、というものです。

 またもう一つ、プラトンのイデア論において「机そのものとか、杯そのもの」という言い方がされたとき、ディオゲネスは自分には「机や杯」は見えるけれど「机そのものとか杯そのものなど、一向に見えないね」と言ったと伝えられます。これに対して、プラトンは「それはそうだろう、というのも君は机や杯を見る目は持っているようだが、机そのものや杯そのものを見る“知性”を持っていないからだ」と応じたといいます。

 このディオゲネスのイデア論に対する冷たい反応は、師であるアンティステネスにもあったものですが、この辺りの逸話はプラトンが「知性的理論派」であるのに対して、ディオゲネス達の現実主義を表しているものとして、あるいは近代以降はプラトン重視ですから「プラトンの無理解の代表」として言及される逸話です。

 他方、ディオゲネスが理屈を嫌っていたらしいことは他の逸話にも見え、例えばエレア派は論理において「運動の否定」を主張したのですが、それに対してディオゲネスは立ち上がって、そこいらを歩いて見せたという逸話も伝えられています。

 こうしたディオゲネスの態度は、とにかく「現実にどう生きているか」ということが問題なのだという、キュニコス学派の態度をよく表しています。これについては、ディオゲネスが「立派なことを語りはするが、それが行為に現れていない人を、キタラ(琴)にたとえていた」という逸話を挙げておきましょう。

つまり「琴は美しく奏でることはするがそれだけの話で、琴には知性もなく理性もなく人の言うことを聞くことも理解することもできない」というわけでした。ディオゲネスにとっては「何を語るか」ではなく「どのように行為しているか」が問題だったということです。

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