2020/05/11

ヒンドゥー教(7) ~ バラモン教からヒンドゥー教へ


 仏教やジャイナ教の流行で、バラモン教はどうなったかという話です。バラモン教は、民間信仰をどんどん採り入れて、徐々に変身します。バラモン教が民衆化した宗教をヒンドゥー教といいます。現在のインドの8割近い人が、このヒンドゥー教の信者です。

 いつからバラモン教がヒンドゥー教に変身したかといわれると、ハッキリしたことは分かりません。ただ、グプタ朝の時には確立していたようです。

 ヒンドゥー教の特徴は多神教であることと、カースト制を積極的に肯定していることです。ヒンドゥー教は、神様がたくさんいます。代表的な三大神がブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァです。ブラフマーは創造の神、ヴィシュヌが世界維持の神、シヴァが破壊の神です。破壊の神シヴァが、一番人気があるようです。破壊するというのは、次の創造に繋がるからと説明されますが、単純に破壊することはぞくぞくする快感があるんでしょうな。砂場に作った山をガーッと蹴散らす快感って経験あるでしょ。それをやるのがシヴァ神。

 インドの二大叙事詩に「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」というのがあります。これは徐々に話が整えられていって、グプタ朝の時期に完成されたといわれています。現在でもインドだけではなく、インドネシアなどでも広く知られて愛されている物語なんですが、同時にこれらの叙事詩はヒンドゥー教の経典でもあるのね。

 「ラーマーヤナ」は、ラーマという王子が主人公の話。あらすじだけ簡単に言っておくと、ラーマの妃がスリランカに住んでいるラーヴァナという男に攫われてしまう。ラーヴァナは、巨人とか魔人とかの仲間がいて手強い。ラーマは、妻を取り返すのに苦労するんです。そのラーマにハヌマーンというサルの神様が力を貸してくれて無事、妻を取り返したという筋です。『西遊記』の孫悟空は、このハヌマーンがモデルらしい。桃太郎の鬼退治にサルが出てくるのも関係あるかもね。

 「マハーバーラタ」は、滅茶苦茶長くてスケールの大きい話です。これはバーラタ王の子孫クル族という部族が二つに分裂して、インド中を巻き込んで大戦争をする話です。その決戦に、こんな場面がある。

 主人公の一人に、アルジュナという王子がいます。強い戦士なんです。その彼が両軍が向かいあって対峙している時に、敵陣に向かって出撃します。戦車に乗っているんですが、その戦車の御者がクリシュナという人物。この人は別の国の王なんですが、アルジュナの軍に助太刀で参加している。人間なんですが、実はヴィシュヌ神の化身なんです。

 敵陣に突進する途中で、急にアルジュナは迷いに落ちる。で、両軍の真ん中で戦車を止めさせます。どうしたのかと問うクリシュナに、アルジュナは言うんです。

「一族の者や仲間や先生を殺して良いものか」

とね。敵の軍といっても、同じ一族が別れて争っているんだから、親戚とか昔の親友や師匠が敵軍にいるわけです。

 これに対してクリシュナが、いかに生きるべきかを語る部分がある。これがすごい。クリシュナは言うんだ。

 「迷わず殺せ!」

 納得できないアルジュナにクリシュナは、その理由を延々と語ります。これがヒンドゥー教の神髄で、この部分だけが特に取り出されて「バガヴァッド・ギーター」という本になっています。

 クリシュナは言う。

「すべて生きるものは、輪廻から逃れられない。いつか死んで、また生まれ変わるんだから何時死のうと、それは大した問題ではない」

だから殺すことを迷うな、いつか必ず死ぬんだから今おまえが殺したって同じ事だ、というんだね。すさまじい発想です。一歩間違えると殺人を正当化する、どこかの新興宗教みたいになってしまいそうですね。
 
 さらに言う。

「おまえはクシャトリアである。クシャトリアの義務は、戦うことにある。だから戦うことに迷うな。義務を果たせ」

義務を果たさないことは、不名誉なことです。ヒンドゥー教は、カースト制を肯定しますからね、当然出てくる発想です。自分のカーストに外れない行いをせよ、ということだ。
 
 ヒンドゥー教徒ではない立場からすると、滅茶苦茶なことを言っているように聞こえる部分もあるね。しかし文学作品ですから、読んでみると心を揺さぶるような表現で語られているんですよ。
 
「あなたの職務は、行為そのもにある。決して、その結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ」

 わかるかな。結果を恐れることなく汝のなすべき事をなせ、といっているのです。こんな言葉だけを取り出すと結構、勇気出てくるところもある。だから最近、注目されているようです。

 このような文学とともに、ヒンドゥー教の立場からの法も成立してきます。「マヌの法典」です。これも、いつ頃作られたかはっきりしませんが、グプタ朝の時代に完成しています。当時の社会的規範や慣習を体系化したものです。これによって、カースト制が固定化されたとされています。

 ヴィシュヌ神は色々なモノに化身する神ですが、いつの頃からか仏陀もヴィシュヌの化身とされました。一時は、クシャトリアやバイシャに支持された仏教も、ヒンドゥー教に吸収されたわけです。結局、カースト制度は消えることなく、ヒンドゥー教とともに現在までインド社会に生き続けたのです。

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