2020/05/28

ヒンドゥー教(9) ~ バガヴァッド・ギーター(1)


バガヴァッド・ギーター(サンスクリット語: श्रीमद्भगवद्गीता Śrīmadbhagavadgītā、 発音 [ˈbʱəɡəʋəd̪ ɡiːˈt̪aː] ( 音声ファイル))は、700行(シュローカ)の韻文詩からなるヒンドゥー教の聖典のひとつである。ヒンドゥーの叙事詩マハーバーラタにその一部として収められており、単純にギーターと省略されることもある。ギーターとはサンスクリットで詩を意味し、バガヴァンの詩、すなわち「神の詩」と訳すことができる。

バガヴァッド・ギーターは、パーンダヴァ軍の王子アルジュナと、彼の導き手であり御者を務めているクリシュナとの間に織り成される二人の対話という形をとっている。兄弟、親族を二分したパーンダヴァ軍とカウラヴァ軍のダルマ・ユッダ(Dharma-yuddha、同義的に正当化される戦争)に直面したアルジュナは、クリシュナから「躊躇いを捨て、クシャトリヤとしての義務を遂行し殺せ」と強く勧められる。このクリシュナの主張する戦士としての行動規範の中には「解脱(moka)に対する様々な心構えと、それに至るための手段との間の対話」が織り込まれている。

バガヴァッド・ギーターは、バラモン教の基本概念であるダルマと、有神論的な帰依(バクティ)、ヨーガの極致であるギャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、カルマ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガの実践による解脱(モークシャ)、そしてサーンキヤ哲学、これらの集大成をなしている。

今までに幾つもの注釈書が書かれており、バガヴァッド・ギーターの教義の本質に関して様々な角度から語られている。 その中でも、ヴェーダーンタ学派の論評者はアートマンとブラフマンの関係を様々に読み解いている。そして戦場というバガヴァッド・ギーターの舞台は、人間の倫理と道徳上の苦悩を暗示していると捉えられてきた。

バガヴァッド・ギーターの提案する無私の行為はバール・ガンガーダル・ティラクや、マハトマ・ガンディーを含む多くのインド独立運動の指導者に影響を与えた。ガンディーは、バガヴァッド・ギーターを「スピリチュアル・ディクショナリー」と喩えている。

著者について
叙事詩マハーバーラタは、伝統的にヴィヤーサの著作とされている。マハーバーラタの一部をなすバガヴァッド・ギーターも、また彼によるものだといわれている。またヴィヤーサは、作中人物の一人でもある。

成立時期 
バガヴァッド・ギーターの記された時期に関しては、紀元前5世紀頃から紀元前2世紀頃までと、かなり幅を持って語られる。ジーニーン・ファウラー(Jeaneane Fowler)は、バガヴァッド・ギーターに寄せた注釈書において、紀元前2世紀が成立の時期としてもっともらしいと述べている。バガヴァッド・ギーター研究者のカシ・ナート・ウパジャヤ(Kashi Nath Upadhyaya)は、マハーバーラタ、ブラフマ・スートラ、その他の独立した資料の推定成立時期に基づいて、ギーターの成立時期を紀元前5世紀から紀元前4世紀の間と結論づけている。

現存する最古のバガヴァッド・ギーターの写本は、年代がはっきりと特定できていない。しかし一般的に、普遍性を保っていることが求められるヴェーダとは違い、バガヴァッド・ギーターは大衆に寄り添った作品であり、伝承者は言語や様式の変化に適合させることを余儀なくされてきたものと考えられている。そのため、この変化しやすい作品の現存する最古の写本の一部は、他の文献に「引用された形で残る」最古のマハーバーラタの一文、すなわち紀元前4世紀にパーニニがまとめたサンスクリットの文法を思わせる一節より遡ることは無いであろうと考えられている。この聖典バガヴァッド・ギーターが、一応の完成にたどり着いたのはグプタ朝初期(4世紀頃)であろうと推定されている。成立時期に関しては、今なお議論が残っている。

ヒンドゥー教の成立とスムリティ
マハーバーラタの性質から、バガヴァッド・ギーターはスムリティ(聖伝、伝承されているもの)、に分類される。紀元前200年から紀元後100年ごろに成立した種々のスムリティ(聖伝)は、様々なインドの風習と宗教が統合に向かいつつあったこの時代において、ヴェーダの権威を主張した「インドの諸文化、伝統、宗教の統合を経てヒンドゥー教の合成に至るプロセス(ヒンドゥ・シンセシス)」の発現期に属している。このヴェーダの受容は、ヴェーダに否定的な態度を取っていた異端の諸宗派を包み込む形で、あるいは対抗する形でヒンドゥー教を定義する上での中核となった。

この、いわゆるヒンドゥー・シンセシスは、ヒンドゥー教の古典期(紀元前200年から紀元後300年)に表面化している。アルフ・ヒルテベイテルは、ヒンドゥー教の成立過程における地固めが始まった時期は、後期ヴェーダ時代のウパニシャッド期(紀元前500年頃)と、グプタ朝の勃興する時期(紀元320年から467年)の間に求めることが出来るとしている。氏は、この時期を「ヒンドゥー・シンセシス」、「バラモン・シンセシス」、「オーソドックス・シンセシス」などと呼んでいる。この変化は、他の信仰や民族との接触による相互作用によってもたらされた。

ヒンドゥー教の自己定義の発現は、このヒンドゥー・シンセシスの全期間を通して、常に接触をもってきた異端の宗派(仏教、ジャイナ教、アージーヴィカ教)との相互作用、さらにはマウリヤ朝からグプタ朝時代への転換期において、その第3段階として流入してきた外国人(ヤバナと呼ばれたギリシャ人、サカすなわちスキタイ人、パルティア人、クシャーナ人)との相互作用という時代背景によってもたらされた。
出典 Wikipedia

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