『マハーバーラタ』(サンスクリット語: महाभारतम् Mahābhārata)は、古代インドの宗教的、哲学的、神話的叙事詩。ヒンドゥー教の聖典のうちでも重視されるものの1つで、グプタ朝の頃に成立したと見なされている。「マハーバーラタ」は「バラタ族の物語」という意味であるが、もとは単に「バーラタ」であった。「マハー(偉大な)」がついたのは、神が4つのヴェーダとバーラタを秤にかけたところ、秤はバーラタの方に傾いたためである。
『ラーマーヤナ』とともにインド二大叙事詩と称され、インド神話を構成する重要な文献の一つである。また、世界3大叙事詩の一つともされる(他の二つは『イーリアス』『オデュッセイア』)。
作中人物の1人でもあるヴィヤーサの作と見なされているが、実際の作者は不明である。
原本はサンスクリットで書かれ、全18巻、100,000詩節、200,000行を超えるとされる。これは聖書の4倍の長さに相当する。
物語は、世界の始まりから始まる。その後、物語はパーンダヴァ族とカウラヴァ族(この二つを合わせてバラタ族(バーラタ))の争いを軸に進められ、物語の登場人物が誰かに教訓を施したり、諭したりする時に違う物語や教典などが語られるという構成で、千夜一夜物語と似た構成になっている。大きな相違点として、パーンダヴァ王家とカウラヴァ王家の争いの話自体が語られる物語であることがあげられる。数々の宗教書も『マハーバーラタ』の物語の登場人物をして語らせることも多く『バガヴァッド・ギーター』は著名な部分であり、宗教上、特に重視されている。
内容
パンチャーラ国にはドルパダ王子と仲の良いドローナという少年がおり、ヴェーダをともに学んでいた。やがてドルパダは国王になると、ドローナに「幼い頃は我らの間に友情があったが、国王とそうでない者との間に友情は成り立たない」と諭した。ドローナは、パンチャーラ国を後にするとクル族のパーンダヴァ国に入り、やがて首都のハスティナープラで腰を落ち着けた。
ある日、5人の王子達が困っているところに出くわし助けたところ、請われてある条件と引換に教師になることに同意した。弟子には、5人の王子達(ユディシュティラ、ビーマ、アルジュナ、ナクラ、サハデーヴァ)の他にカルナが居た。ドローナは彼らに戦い方を教えると、かねてからの約束通りドルパダ王を捕らえるように願い出た。弟子達はパンチャーラ国に攻め入り、ドルパダ王を捕まえた。
ドローナが「国王とそうでない者との間に友情は成り立たないのだから、君の国を奪ったのだよ」と言い放ったが、ドルパダ王の懇願を受け入れ、ガンジス川の北をドルパダ王に返還し、南にドローナの国を作ってパンチャーラ国を分割した。ドルパダ王は、いつかこの屈辱を晴らすためにヤグナを行うと、双子の兄妹(ドゥリシュタデュムナとドラウパディー)が生まれた。
ドラウパディーが絶世の美女に成長すると、ドルパダ王は花婿選びを開催した。カルナは優れた弓の名手ではあったが、クシャトリヤ以上の階級という条件に合わなかったため拒否された。パーンダヴァの5王子を亡き者にしようとするカウラヴァの卑劣な策略から逃げ延び、身分を隠して参加していたアルジュナが勝利すると、パーンダヴァの5王子はドラウパディーを連れて家に帰った。
アルジュナの母クンティーは忙しくしていたため、アルジュナがドラウパディーの花婿選びで勝ったという5王子の報告を、托鉢して施物を集めてきたものと勘違いし、兄弟で等しく分かち合うよう言った。こうして、ドラウパディーは5王子が共有する妻になった。また、アルジュナは転生したインドラである。
ユディシュティラが大きくなると、父王パーンドゥの跡を継いでいた叔父の盲目王ドゥリタラーシュトラは、クル国の半分をユディシュティラに与えた。ユディシュティラは、カーンダヴァ森のインドラプラスタの王宮に住むようになった。盲目王の子ドゥルヨーダナは、5王子の幻想宮殿を訪ねた時、水の中に落ちてしまい、ドラウパディーの女中達がそれを喜んで眺めた。元々、次の国王は自分だと思っていたドゥルヨーダナは、この扱いに激怒して陰謀を巡らす。
ドゥルヨーダナこそ、悪魔カリの転身である。ドゥルヨーダナの怒りを知ったビーシュマは、首都ハスティナープラを分割してユディシュティラに与え、平和を維持することを提案した。カウラヴァのシャクニが謀ったサイコロ賭博事件が起こり、ユディシュティラは全てを巻き上げられ王国も失ってしまう。ユディシュティラは、妻ドラウパディーすら賭けで失い、彼女は奴隷にされた。かつて身分の違いを理由に袖にされたカルナは、罪の無い彼女が男たちに裸にされ、辱しめをうけようとすることに加担し、奴隷女と罵った。
サイコロ賭博事件の結果、5王子は13年間に渡る森の中での逃亡生活を強いられた。
その後、パーンダヴァ王家は5王子達カウラヴァ王家からの王国奪還を要求し、対立が深まった。アルジュナが師ドローナに弓引く戦争をためらっていると、いとこのクリシュナが自分の正体がヴィシュヌであることを証し
「道徳的義務を遂行する自分のダルマを果たすべきで、友人や知人の死で苦しんではならない。彼らは肉体の死によって、その病んだ魂を純粋平和な世界へ開放することが出来るのだから」と説いた(『バガヴァッド・ギーター』)。
クルクシェートラの戦いで、カウラヴァ王家は全滅する。カルナはアルジュナによって殺され、昇天して太陽神スーリヤと一体化した。ドゥルヨーダナは、ビーマに殺された。ドローナは、ユディシュティラに捕まえられたところをドゥリシュタデュムナに殺され、悲報を聞いたアルジュナは師の死を悼んだ。
神話の受容
東南アジアにおける受容
Question
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東南アジアでは、インド二大叙事詩『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』は共に王権(クル族を祖先とする王家の正統性)を強調するものとして翻案され、支配階級のみならず民衆の間でも親しまれている。ベトナム(チャンパー)の碑文やインドネシア(ジャワ、バリ)の古典文学およびワヤン・クリットにおいては、クル族両王家のうちカウラヴァ方への共感が見られる。
7世紀のチャンパー碑文によれば、チャンパーとカンボジアの王はカウラヴァのアシュヴァッターマン王子(ドローナの槍の継承者)の子孫である。ジャワにおける翻案(古ジャワ語文学(カウィ文学))では、パーンダヴァ方の血統でありながらカウラヴァ方についたカルナ(ジャワ語カルノ)が、アルジュナ(ジャワ語アルジュノ)と共に二人の主人公と目され、カルナは心はパーンダヴァにありながら、カウラヴァを滅ぼすためにカウラヴァについたと改変されている。
創作か事実か
『マハーバーラタ』に限らず、神話は創作か事実を基にした物語か問題になることが多い。『マハーバーラタ』に記された「インドラの雷」の描写は、現代の核兵器を想起させる。このため『ラーマーヤナ』とともに、超古代文明による古代核戦争説の証拠とみなす者もいる。しかし、創作の場合でも登場するのが神であることから、核兵器に匹敵する能力が描写されていたとしても不思議は無い、というのが一般的な考え方である。
出典 Wikipedia
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