マニ教(マニきょう、摩尼教、英: Manichaeism)は、サーサーン朝ペルシャのマニ(216年 - 276年または277年)を開祖とする、二元論的な宗教である。
ユダヤ教・ゾロアスター教・キリスト教・グノーシス主義などの流れを汲んでおり、経典宗教の特徴を持つ。かつては北アフリカ・イベリア半島から中国にかけて、ユーラシア大陸で広く信仰された世界宗教であった。マニ教は、過去に興隆したものの現在ではほとんど信者のいない消滅した宗教と見なされてきたが、今日でも中華人民共和国の福建省泉州市において、マニ教寺院の現存が確かめられている。
教義
マニ教の教義は、ヘレニズム世界において流行した神秘主義的哲学として知られるグノーシス主義、パレスティナを発祥の地とするユダヤ教およびキリスト教、イランに生まれたゾロアスター教、またローマ帝国で隆盛した太陽崇拝のミトラ教、伝統的なイラン土着の信仰、さらに東方の仏教・道教からも影響を受け、これらを摂取・融合している。
マニ教では、ザラスシュトラが唱導したといわれる古代ペルシアの宗教(ゾロアスター教)を教義の母体として、ユダヤ教の預言者の系譜を継承し、ザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトストラ)、釈迦、イエスはいずれも預言者の後継と解釈し、マニ自身も自らを天使から啓示を受けた預言者と位置づけ、「預言者の印璽」たることを主張している(後述)。また、パウロの福音主義から強い影響を受けて戒律主義を退ける一方で、グノーシス主義の影響から智慧(グノーシス)と認識を重視した。さらにはゾロアスター教の影響から、善悪二元論の立場をとった。同時に、享楽的なイランのオアシス文化とは一線を画し、禁欲主義的要素が濃厚な点ではゾロアスター教的というよりはむしろ仏教的である。
グノーシス主義の特徴として、一神教的伝統における天地創造とギリシア的な二元論(霊魂と物質の対立)とを統合しようとしたことが挙げられる。ユダヤ教的な唯一絶対の創造神を設定した場合、それだけでは善なる唯一神が存在していながら、その一方で人々を不幸に陥れ、あるいは破壊する悪が絶えないのはどうしてかという解決不能な問題が持ち上がる。
グノーシス主義は、この問題に様々な解答を試みたが、その中には物質的な宇宙の創造は全能の神によるものではなく、サタン(悪)もしくは「神の不完全な代理人」が神の意図を誤解しておこなったものであるというものがあった。すなわち、善なるものは霊的なものに限られ、物質は悪に属するという考え方である。この発想は、マニ教の教義に大きな影響を与えた。
二元論
ゾロアスター教の影響を受けたマニ教は、徹底した二元論的教義を有しており、宇宙は光と闇、善と悪、精神と物質のそれぞれ2つの原理の対立に基づいており、光・善・精神と闇・悪・肉体の2項がそれぞれ明確に分けられていた始原の宇宙への回帰と、マニ教独自の救済とを教義の核心としている。
この点について、善悪・生死の対立を根本とするゾロアスター教の二元論よりも、むしろギリシア哲学的な二元論の影響が濃いという見方も示されている。マニ教においては物質や肉体に対する嫌悪感が非常に強く、禁欲的かつ現世否定的な要素が極めて濃厚だからである。
神話
ミスラは、イラン神話に登場する太陽神。ゾロアスター教でも、ミスラは契約の神として崇拝された。
マニ教の神話では、原初の世界では「光明の父」もしくは「偉大なる父(ズルワーン)」と呼ばれる存在が「光の王国」に所在し、「闇の王子(アフリマン)」と称される存在が「闇の王国」に所在し、共存していた。「光の王国」は光、風、火、水、エーテルをその実体とし、また、「光明の父」は理性、心、知識、思考、理解とでも翻訳される5つの精神作用を持っており、それを手足とし、また住まいとしていた。しかし、「闇の王子」はそれを手に入れたいと考え、闇が光を侵したため、闇に囚われた光を回復する戦いが開始された。「光明の父」は「光明の母」を呼び出した。
「光明の母」によって最初の人「原人オフルミズド」が生み出された。原人は、光の5つの元素を武器として「闇の王国」へと向かい闇の勢力と戦うが、これに敗北して闇によって吸収されてしまう(「第一の創造」)。オフルミズドは闇の底より助けを求めた。
「光明の父」は「光の友」ついで「偉大な建設者(バームヤズド)」「生ける霊(ミスラ、ミフルヤズド)」を呼び出す。偉大な建設者は「新しい天国」を作り、「生ける霊」は闇に囚われていた横たわるオフルミズドを引き上げて「新しい天国」へ連れて行った(「第二の創造」)。
オフルミズドとともに、闇に囚われた光の元素は闇に飲み込まれたままであったが、これは闇の勢力にとっては毒となるものであった。一方「生ける霊」とその5人の息子たちは、闇に囚われた光の元素を救い出すため、闇の勢力との間に大きな戦争を繰り広げた。そして、このとき倒された闇の悪魔たちの死体から現実の世界が作られた。悪魔から剝ぎ取られた皮によって十天が作られ、骨は山となり、排泄物や身体は大地となった。
「光明の父」は「第三の使者」を呼び出し、さらに「光の乙女」「輝くイエス」「偉大な心」「公正な正義」を呼び出す。闇の執政官アルコーンには男女の別があるが、男のアルコーンに対しては「光の乙女」、女のアルコーンに対しては肢体輝く美しい青年の姿で顕現し、彼らが呑みこんだ光の元素を放出させようとする。男のアルコーンは情欲を催して射精し、精液の一部は海洋に落ちて巨大な海の怪獣となったが、海獣は光の戦士によって倒され、残りは大地に落ちて植物となった。女のアルコーンは地獄で流産し、大地に二本足のもの、四本足のもの、飛ぶもの、泳ぐもの、這うものという5種の動物を産み出した。
闇の側では、虜にした光の元素を取り戻されないよう、手元に残された光を閉じ込めるため「物質」が「肉体」の形をとって、全ての男の悪魔を呑み込んで一つの大悪魔を作り、女も同様に大女魔を作った。大悪魔と大女魔は憧憬の対象である「第三の使者」を模して人祖アダムとエバ(イヴ)を創造した。
とされる。
そのため、アダムは闇の創造物でありながら、大量の光の要素を持っており、その末裔たる人間は闇によって汚れているものの智慧によって内部の光を認識することができる、と説く。対してエバは、光の要素を持ちながらも智慧を与えられなかったので、アルコーンと交接してカインとアベルを産む。嫉妬に駆られたアダムはエバと交わり、セトが生まれて人の営みが始まる。
このように、マニ教の神話にはキリスト教の原罪の思想やグノーシス主義の影響が見られる。そして、人間の肉体は闇に汚されていると考えた一方で、光は地上に飛び散ったために、植物は光を有していると見なした。そのため、後述のように斎戒や菜食主義の実践を重視する。また、結婚ないし性交は子孫を宿すことであり、悪である肉体の創造に繋がるので忌避されるべき行為と考えられた。
このように、マニ教はグノーシス主義に基づいた禁欲主義を主張しており、肉体を悪と見なす一方で、霊魂を善の住処と見なしていることに一つの特徴がある。
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