2022/12/29

エッダと北欧神話の世界(3)

出典http://ozawa-katsuhiko.work/

 

 彼が寝ていると汗をかいた。その時、左腕の下から男と女が生まれた。彼の一方の足が、もう一方の足と息子をこしらえた。これから一族が生まれたのだが、それが「霜の巨人族」だ。

 

 霜がしたたり落ちたとき、次に「アウズフムラ」という牝牛が生まれた。その乳首から、四つの乳の河が流れ出た。この牛が「ユミル」を養った。

 

 牝牛は、塩辛い霜で覆われた石を舐めていた。石を舐めていると、人間の髪の毛のようなものが石から出てきた。翌日には人間の頭のようなものが、三日目には人間全体の姿がそっくり現れた。この人間のような原初の存在は「ブーリ」と呼ばれ、容姿が美しく偉丈夫だった。彼は「ボル」という息子を得た。この「ボル」は巨人族の娘を妻として、二人の間に三人の子供が生まれた。一人が「オーディン(彼が結局神々の主神となる)」で、その兄弟が「ヴィリ」と「ヴェー」であった。この「オーディン」と、その兄弟が天地を支配しているのだ。

 

 「ボル」の息子たち、つまり「オーディン」たちが「ユミル」を殺した。そして「ユミル」が倒れた時、その傷口からおびただしい血が流れ、洪水となりそのため「霜の巨人族」は、すべて溺れて死んだ。ただ一人、「ベルゲルミル」だけは、妻と一緒に「挽き臼」の台に上って助かった。この二人から、新しい霜の巨人族が生まれていくことになる。

 

 一方「オーディン」たちは、死んだ「ユミル」の身体を奈落の口へと運んできて、それから「大地」を作り、その「血」から海と湖を作った。すなわち、「肉」から大地を、「骨」から岩を、歯と顎と砕けた骨から石や砂利を作った。

 

 流れ出した血から海を作り、大地をその中に置き、輪のようにその周りに海を巡らしたので、それを越えていくことは不可能に思えるのだ。

 

 オーディンたちは、またユミルの頭蓋骨をとってそれから「天」を作り、四隅をくっつけて大地においた。その四隅の下には「こびと」を一人ずつおいた。こうして「東・西・南・北」ができた。

 

 それからオーディンたちは「ムスペル・ヘイム(火の国)」から吹き出している火花を捕らえ、天の中ほどにおいた。オーディンたちはあらゆる光にその場所を定め、その運行を定めた。この時から「日と年」の数が計算されている。

 

 大地の外形は円形で、外側は深い海が取り巻いている。その海岸にオーディンたちは「巨人族」の住む土地を与えた(ここが巨人族の国ヨーツン・ヘイムとなる。そして彼らが、アース神たちの宿敵となる)。

 

だが、その内部には砦を作った。それはユミルの睫毛で作られ、この砦を「ミズ・ガルズ(文字通りには中央地域で、ここが人類のいる人間界)」と呼んだ。オーディンたちは、またユミルの脳みそをつかんで空中に投げ、それは雲となった。

 

 「ミズ・ガルズ」に住む人類だが、オーディンたちが海岸沿いに歩いていると、二つの木片を見つけた。これを拾って「人間」を作ったとなるのですが、「スノッリのエッダ」では、以下第一の神(だからオーディンになると思われる)が「息と生命」を与え、第二の神が(ということは、その兄弟「ヴィリ」になると思われる)が「知恵と運動」を、第三の神が(「ヴェー」になると思われる)が「顔と言葉と耳と目」を与えた。オーディンたちは、この人間に衣服と名前を与えた。男は「アスク(とねりこ)」、女は「エムブラ(楡)」といい、この二人から人類が生まれることとなった。

 

 ただし、これが「巫女の預言」では「三人の強いが優しい神々が家に帰る途中、岸辺で無力で自らの運命を知らぬアスクとエムブラを見つけた。彼らは息を持っていなかった。心も持っていなかった。生命の暖かさも、身振りも良い姿も持っていなかった。オーディンは息を与え、ヘーニルは心を与え、ローズルは生命の暖かさと良い姿を与えた」となっています。このヘーニルとローズルは、この書だけにしか出てこない神でオーディンとの関係もその位置も不明です。また成り行きからして、ここは世界形成に携わっているブルの三兄弟「オーディン、ヴィリ、ヴェー」でないとつじつまが合わないわけで、「巫女の預言」の記述がよく分からなくなります。そんなわけで、スノッリは「第一の神、第二の神、第三の神」としていたのかもしれません。

 

 その後、オーディンたちは世界の真ん中に「アース・ガルド」という砦をつくり、そこに神々とその子どもたちが住むことになった。オーディンは高座に座り、すべてを照覧する。

 

 この地上から天へは一つの道があり、それは「ビフレスト」というが、人間たちはそれを「虹」と呼んでいる。これは(世界の終末時に)「火の国ムスペルの軍勢」がくるまで壊れることがない。

 

 その後、神々は「ユミル(原初の巨人で、これが殺されて自然万物が作られた)」の肉の中に生まれウジ虫にすぎなかった「こびと」たちが蠢いているのを思い出し、呪文を与えて彼らに人間の知恵と姿を与えた。彼らは、岩の間や地中に住んでいる。

 

 このようにして作られた世界の全体は、一本の「とねりこの木」によって支えられている。この木の梢は天の上にまで突き出ていて、枝は全世界の上に広がっている。その根っこは三本に分かれ、一本の根は「極北の国ニフル・ヘイム」の真ん中にある泉にまで達し、そこでは悪しき竜がこの根を齧っている。もう一本の根は、巨人たちの国ヨーツン・ヘイムに延びている。その端のところに無限の知恵の水が沸く泉があって、それは一人の巨人によって守られているのだが、オーディンはここにやってきて自分の片目を差し出してここの水を飲ませてもらい、無限の知恵を手に入れた。第三の根は「神々の国アース・ガルト」にあり、その根の下には特別に神聖な泉があって、そこに神々は裁きの法廷を持っている。

 

 以上に見られるように、北欧神話の世界観というのは、「深淵」が初めにあり「灼熱と寒冷」が生じ、その「対立・相乗作用」から生命が生じ、その生命体が新しい生命に「殺されて」万物が作られていったという構造になっています。

 

 まず、この「深淵」というイメージは「何もない」という表現でしょうが、イメージとしてはわかりやすく、さらに「灼熱と寒冷の対立・相乗作用による生命の誕生」というのも、これは何かしら地球の創成期の様子を思わせて興味深いものがあります。

 

 また、その「生命体」である「ユミル」を殺して、そこから天地自然を作っていく様子は獲物である動物の解体作業のようで、これはゲルマン人が狩猟民族であったことの証のようにも思えます。

 

 他方、ギリシア神話の捕らえ方というのは一つなる自然の穏やかな自然的働きによる姿・形の「生成」という捕らえになっており、ここにはゲルマン神話に見られる「対立概念」「闘争」という観念がありません。ですから「国」にしても「神々の世界」と「人間の世界」と「妖精の世界」「妖怪の世界」、といった区分がありません。ゲルマン神話では意識的に、九つにまで世界を独立されているのと比べると著しい違いといえます。

 

 つまりギリシア人は「つねに脅かされる外敵」というものを持つことなく、民族として大きく優性になり拡大していったのに対して、「島のゲルマン人」は「外敵」を常に外に持ってそれとの「抗争」の中で戦いつつ、自らを保持していったという民族の歴史の思い出が反映されているような気がします。それが神話の中で「巨大な悪の国」を設定して、それとの抗争が神々の物語となるという大筋を作らせているように思えます。

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