2006/05/03

ヴェルディ『イル・トロヴァトーレ』act3

 


初演は、ヴェルディのそれまでのどのオペラと比べても大成功といって良いものだった。世界各都市での再演も早く、パリ(イタリア座でのイタリア語上演)は1854年、ロンドンとニューヨークが1855年である。またフランス語化し、グランド・オペラ様式化した『ル・トルヴェール』(Le Trouvère )は、1856年にオペラ座で上演されている。

 

ヴェルディ自身はのちに

「西インド諸島でもアフリカの真ん中でも、私の『イル・トロヴァトーレ』を聴くことはできます」

と豪語している。

 

ヴェルディの中期オペラの傑作と言えば、この「トロヴァトーレ」と「トラヴィアータ」、「リゴレット」の三作品なのですが、基本的には「カヴァティーナ=カヴァレッタ形式」と呼ばれる旧い形式で書かれているのが特徴である。「カヴァティーナ=カヴァレッタ形式」とは、アリアの前半部分には叙情的な旋律をたっぷり聞かせる「カヴァティーナ」と呼ばれる形式を配置し、それ続く後半部分にテンポの速い華やかな「カヴァレッタ」を配置するというスタイルのこと。つまり前半部分で己の声をたっぷりと披露し、それに続く後半部分でテクニックを見せつけるという仕組みで「歌い手」にとっては申し分のない形式だと言える。このアリアを軸として、そこに重唱や合唱を配置して歌の魅力をたっぷりと楽しんでもらおうというのが、伝統的なイタリア・オペラのスタイルだった。

 

しかし中期のヴェルディは、そのような「伝統」に疑問を感じ、それを変えていくことの必要性を感じていた。

なぜか?

答えは簡単で、歌を重視すればドラマが後ろに下がらざるを得なくなるからだ。時代は「歌」から「ドラマ」に重きを置くようになりつつあった。「カヴァティーナ=カヴァレッタ形式」は声の魅力を堪能するには素晴らしい仕組みだが、ドラマとして観るならば、アリアのたびにお話の進行が断ち切られる。さらに劇場の慣習として、アリアを歌い終わるたびに拍手(ブーイング?)が沸き起こり、それが鳴りやまないと同じアリアがもう一度アンコールされることも珍しくなかった。中には観客の拍手もないのに、勝手にアンコールでもう一回歌う「豪の者」もいたそうで、こうなってはドラマどころではない。

 

3

アズチェーナは伯爵の軍勢に捕らえられ、マンリーコをおびき出す人質とされてしまう。  マンリーコとレオノーラは、教会で結婚式を挙げようとしているその最中、部下ルイスがアズチェーナ捕縛の報をもたらす。マンリーコは怒りに燃え、母の救出と伯爵への復讐を誓い、自分の軍勢を率い進軍する。

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