カリンニコフは、2つの交響曲といくつかの付随音楽、そして多数の歌曲を遺した。いずれの作品もみな、ロシア民謡の特徴に染め抜かれている。2つの交響曲、とりわけ《交響曲 第1番》は、20世紀初頭に頻繁に演奏された。
近年カリンニコフの名声は消えかかっていたものの、交響曲は音源で接することが可能である。代表作は2曲の交響曲であり、この2曲に見られるように美しい民族的な旋律と色彩的な管弦楽法が、極めて特徴的である。
カリンニコフの作風は、おおむねチャイコフスキーに倣って西欧的な楽曲構成法を採っていながらも、旋律や和声法に民謡や民族音楽の影響が自明であるように、国民楽派(「五人組」)からの影響も無視できない。このようにカリンニコフは、モスクワ楽派とペテルブルク楽派のいずれかに与するのではなく、その両方の伝統の美点を折衷した作曲家であった。
折衷的という点においてグラズノフに似ていなくもないが、よりアカデミックで洗練された作曲技法と緻密な構成を追究し続けた点で、グラズノフはカリンニコフと異なっている。1899年からオペラ《1812年》の作曲にも着手したが、未完に終わった。
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