サン=サーンスは、ユダヤ人を遠祖に持つともいわれる官吏の家庭に生まれる。モーツァルトと並び称される神童タイプで、2歳でピアノを弾き、3歳で作曲をしたと言われている。また10歳でバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンたちの作品の演奏会を開き、16歳で最初の交響曲を書いている。
1848年、13歳でパリ音楽院に入学して作曲とオルガンを学び、やがて作曲家兼オルガニストとして活躍した。特にオルガンの即興演奏に素晴らしい腕を見せ、1857年に当時のパリのオルガニストの最高峰といわれたマドレーヌ教会のオルガニストに就任する。1871年にはフランス音楽普及のために、フランク、フォーレらとともに国民音楽協会を設立した。
音楽家として、作曲家、ピアニスト、オルガニストとして活躍したほか、少年のころから多様な分野に興味を持ち、その才能を発揮した。一流のレベルとして知られるのは詩、天文学、数学、絵画などで、特に詩人としての活動は多岐にわたり、自作の詩による声楽作品も少なからず存在する。
ヴァイオリン協奏曲第1番イ長調は、カミーユ・サン=サーンスが1859年あるいは1864年に作曲した2番目のヴァイオリン協奏曲だが、
先に書かれたハ長調協奏曲の出版が遅れたため、 番号の上では最初のヴァイオリン協奏曲となった。1867年に初演、1868年に出版され、依頼者であり初演を担当したパブロ・デ・サラサーテに献呈された。現在、演奏される機会は少ないが、サン=サーンス自身は高く評価していた。
単一楽章制を採り、演奏時間も短いため「コンツェルトシュトゥック」("Konzertstück")と呼ばれることがある。単一楽章の中に、三楽章制の要素を併せ持った構成を採っている。このように、従来の楽章区分を曖昧にする手法をサン=サーンスは好んだが、この作品はチェロ協奏曲第1番などに先がけた最も初期の試みであった。
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