2007/01/23

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第7番『ラズモフスキー第1番』(第3楽章)

 


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≪何が6つの初期作品と、ラズモフスキーの3作品とを隔てているのか?

 

まず誰でも感じ取ることができるのは、その「ガタイ」の大きさである。ハイドンやモーツァルト、そして初期の6作品が、どこかのサロンで演奏されるに相応しい「ガタイ」であるのに対し、ラズモフスキーはコンサートホールに集まった多くの聴衆の心を揺さぶるに足るだけの「ガタイ」を持っている。さらに、その「ガタイ」の大きさは、作品の規模の大きさ(7番の第1楽章は400小節に達する)だけでなく、作品の構造が限界まで考え抜かれた複雑さと緻密さを持っていること、それを実現するために個々の楽器の表現能力を限界まで求めたことに起因する。

 

その結果として、4つの弦楽器はそれぞれの独自性を主張しながら、響きとしてはそれらの楽器の響きが緻密に重ね合わされることで、この組み合わせ以外では実現できない美しくて広がりのある響きを実現した。ただし、この「響き」はオーディオ装置ではなかなか再現が難しく、特にこのラズモフスキーなどでは時にエキセントリックに響いてしまうが、優れたカルテットの演奏を優れたホールで聞いた場合は、夢のように美しい響きに陶然とさせられるのである。≫

 

ベートーヴェンの性格は矛盾に満ちており、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷になるなど気分の揺れが激しかった。生来の情愛の深さも、無遠慮さのため傲慢で野蛮で非社交的という評判であった。パトロンのリヒノフスキー侯爵には

「侯爵よ。あなたが今あるのは、たまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは、私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」

と書き送っている。

 

1812年、テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。

後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈奔放な人柄だ」と、ベートーヴェンを評した。

 

芸術家というのは、一つの道を究めた人ほどその道については誰よりも器用な反面、自分の専門分野以外や日常の事には驚くほど不器用な人が結構多いようだが、ベートーヴェンも例外ではなかったようだ。ベートーヴェンの場合は「不器用」というよりは「音楽以外の事に関しては、極めて無頓着だった」と推察できる。

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