2007/01/21

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第7番『ラズモフスキー第1番』(第1楽章)


ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第7番ヘ長調Op.59-11806年に出版された。

 

ベートーヴェンは、ロシアのウィーン大使だったアンドレイ・ラズモフスキー伯爵から、弦楽四重奏曲の依頼を受けた。そうして作曲された3曲の弦楽四重奏曲は『ラズモフスキー四重奏曲Op.59』として出版された。これはその1曲目に当たるので、ラズモフスキー第1番と呼ばれる。

 

Op.59は、先輩のハイドン、モーツァルト、そしてベートーヴェン自身の初期の弦楽四重奏曲とは一線を隔し、規模、構成、各楽器の表現などが充実した後期の作風の嚆矢を成している。 特に、この第7番は一番規模が大きいものとなっており、全楽章がソナタ形式で書かれている。だが初演当時は上記の点が理解されず、特に第2楽章については「悪い冗談だ」という声まで上がったという。

 

1楽章 ヘ長調。第2ヴァイオリン、ヴィオラの和音に支えられてチェロが第1主題を提示し、それが第1ヴァイオリンへと受け継がれるという、当時としては破格の書法で始まる。展開部ではフガートが用いられ、再現部を経て長大なコーダで締めくくられる。400小節を超える大曲。

 

作品番号186曲の弦楽四重奏曲を完成させた後、このジャンルにおいてベートーヴェンは5年間の沈黙に入った。その5年の間に「ハイリゲンシュタットの遺書」で有名な「危機」を乗り越え、真にベートーベン的な世界を切り拓く「傑作の森」の世界へと踏み入る。交響曲の分野では「エロイカ」を、ピアノソナタでは「ワルトシュタイン」や「アパショナータ」を、ヴァイオリン・ソナタの分野では「クロイツェル」の大作を書き上げた。そして交響曲の4番・5番・6番という、創作活動の中核といえるような作品が生み出されようとする中で「ラズモフスキー四重奏曲」と呼ばれる3つの弦楽四重奏曲が産み落とされた。 

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