2007/10/09

マーラー 交響曲第3番(第2楽章)


作曲の経緯

マーラーは、1891326日にハンブルク市立劇場の指揮者に就任すると、1893年からザルツブルクの東方50kmにあるアッター湖畔のシュタインバッハで夏の休暇を過ごすようになった。シュタインバッハには、妹のユスティーネや友人でヴィオラ奏者のナタリーエ・バウアー=レヒナーをしばしば伴っている。1894年にはこの地に作曲小屋を建て、6月から8月の間、小屋にこもって作曲するようになった。18974月にハンブルクを離れるまでの間、シュタインバッハで1896年までに、交響曲第3番のほか、交響曲第1番の改訂、交響曲第2番の完成、歌曲集『少年の魔法の角笛』が手がけられている。

 

シュタインバッハでのマーラーの生活は規則正しいもので、早朝に起きると午前中は作曲に専念、昼は食事や会話を楽しみ、午後は近くの森や牧場や湖畔を散策、夜は読書と会話に当てられた。夜の読書では、ドストエフスキーやショーペンハウアー、ジャン・パウル、ニーチェなどの思想や小説を読み、ときにニュートンやテオドール・フェヒナーなど自然科学の分野の著作にも手を広げた。

 

一方、189526日にマーラーの14歳年下の弟オットーがピストル自殺しており、これによってマーラーは衝撃を受けた。その後作曲された交響曲第3番に、この事件の直接的な影響を見ることはできない。しかし、第2番までに見られる自叙伝的性格や人間の生死の葛藤といったテーマから、これらも包含するような自然賛歌的な内容を第3番は持っており、マーラーの目を自然界に向けさせたきっかけのひとつとして、弟の死があったと見ることも可能である。

 

交響曲は世界のようでなくてはならない・・・

マーラーとシベリウスは、一度対談をしたことがあるそうです。

1907年のことらしいのですが、その中でマーラーは

「交響曲は世界のようでなくてはならい・・・」

と語り、それに対してシベリウスは

「交響曲には内的な動機を結びつける深遠な論理が大切」

と語ったらしいです。

 

シベリウス

「交響曲は形式の厳格さと堅固なロジックが、すべてのモティーフに内的関連を与えなければならない」

マーラー

「交響曲は宇宙のようなもので、すべてを抱擁するものでなければならない」

 

190711月にマーラーがヘルシンキを訪れて、コンサートを指揮するかたわら、シベリウスに会って対談をした中での発言だとの事です。

0 件のコメント:

コメントを投稿