※農林水産庁Webページより
和食の構造と、その歴史的変化を図示するための仮説として四面体を作った。
この四面体の中央には、グレーゾーンの球体がある。これは和食にも、かつて栄養不足の時代があったことを示している。
先にも述べたように、塩分の多いお菜と大量のご飯でカロリーを補っていた時代の和食が、栄養学的に理想的だったわけではない。しかし1955年以降、急速に食糧事情が改善され、たんぱく質、脂肪分の摂取量の増加に伴い、栄養価の高い食材が十分供給されて、それまでの栄養不足が克服された。しかし一汁三菜の和食の構造は、よく守られていた。それが和食を基本とする、日本型食生活の誕生である。しかし今それが破れ、現在から未来に向かって和食の枠が越えられようとしている。そうした歴史的変化を示す時間軸を、正四面体の中心より各頂点への線で表現している。
後にも述べるように、日本の食文化はカロリーバランスの上で理想的とされ、そのデータの元に1980年代に日本型食生活が推奨されたことは、よく知られている通りである。その状況を示すのが、正四面体の頂点としている。しかし先にも述べたように、一汁三菜の和食が昔から理想的なカロリー量を充足し、かつバランスが取れていたわけではない。
第二次世界大戦後の急速な経済成長の中で食生活が豊かになった結果、初めて理想的な日本型食生活が出来上がった。つまり栄養不足のグレーの球体の中心から、各頂点へ向かってそれぞれの展開があり、各頂点が正四面体をなす状況を日本型食生活の典型と捉えて作図されたのが、この構造図である。時間軸は、さらに外へ向かって延びていく。
日本型食生活が提言された1980年段階では自給率も高く、ことに鮮魚や野菜はほぼ100%自給していた食材も、それ以降は海外依存率が高まり、この理想的な正四面体の外へ逸脱していることを、この図形は示している。
日本の国土は南北に長く、温帯に属している。季節風の影響を受けてモンスーン気候の元、四季のはっきりした変化をみせ、平均雨量も1,800mm(世界の平均700mm)で、恵まれた自然環境にある。しかも、周囲を海に囲まれ暖流と寒流の相交わる海域は、実に豊富な魚介類の宝庫といえる。また平野部は25%に過ぎないとはいえ、山野から生まれる自然の恵みは、多種多様にして食卓を賑わせてくれる。
つまり、和食という日本の食文化の特質は、日本のこうした自然の恵みともいえる多彩な食材によって支えられているといって過言ではない。端的にいえば、和食の特質は「自然の尊重」という点に集約できよう。
和食の食材は、狭義の日本食文化の中で考えれば、米を中心とする穀類、野菜、魚介類と海藻が主たるもので、これを調理するについて味噌と醤油が日本独自の味わいを作っていた。野菜は明治以降、西洋野菜が急速に普及した。キャベツや玉ネギなど、古来あったように思われているかもしれないが、近代になって初めて栽培されるようになった。しかし、これらの明治以降、広く栽培されてきた野菜は十分和食の素材と考えてよい。
基本的に、和食にはサラダのように野菜を生食する習慣は稀であった。茹でたり焼いたりして、加熱された野菜を食べるのが和食の伝統である。したがって、つけ合わせのキャベツのようなものを除いて、野菜サラダなどは和食の枠外となろう。逆に鮮魚に関しては、生食することが和食の一つの特質となっている。ただ、今日のように日常的に魚を生食することは海岸の住人たちを除いて殆どなく、煮魚、焼魚が日常の主菜となることが多かった。また塩漬け、味噌漬けなど、保存のために魚を調味料に漬けることも多かった。
こうした状況を一変させるのは、流通網の発達と電気冷蔵庫の普及で、その結果、調味料としての塩分の摂取量を改善させることになった。また遠洋漁業の発達により魚の品種も増加し、近海物を圧倒しているのは周知の通りである。
それにしても、近代におけるスシの発展には目を瞠るところがある。スシの起源が東南アジアであり、本来は魚の保存法から発展したものであって、その伝統が日本にもナレズシとして分布していることはいうまでもない。しかし、このスシの来た道を辿っても、日本のような生の魚をスシ飯にのせて食べるハヤズシ(早鮨)に発展させた国は他にない。日本の食文化の基調にある自然の味わいを、できるだけ手を加えずにそのまま味わいたいという願望が、こうしたハヤズシやサシミの文化を大きく発展させたのである。自然の尊重という和食の特質は、生の魚を存分に味わうところに最もよく表れている、と言って良いだろう。
野菜に関する変化についても簡単に触れておこう。野菜の消費は、統計的に把握できない私的な栽培や流通が戦前に多かったことを考えると、戦後も戦前もあまり量的な変化はないともいえよう。むしろ1980年をピークに下がっている理由が問題で、1980年と2008年の野菜の購入量の変化を見ると、ダイコンが30%ほど減少しているのが目に立つ。この容易に推定される要因は、家庭で漬けものを作ることが減少したからであろう。家庭の食の外部化は、このようなところにも現れている。
日本の食文化として注目したいのは、伝統野菜である。京都では京野菜としてブランド化に成功しているが、日本全国各地には現在も特徴のある野菜が残っている。今から三世代前くらいに、日常食としていた野菜をひとまず伝統野菜と定義しておくが、その中で消滅したものを復活させたり、焼き畑農業と合わせて生産する試みがあり、これは伝統の保持という観点からも、非常に大切な運動だと考えられる。米と野菜と魚介類を中心とした和食の衰退に反比例して、肉類の需要が増加してきた。先の和食文化の四面体の食材が、海外へ依存する傾向がこれを示している。
鶏肉、牛肉、豚肉を和食の食材とすることは一向に差支えないが、和食の中核には置きがたい。魚介類に比べれば、副次的な食材であろう。今、魚から肉へという変質こそ、和食の変容を象徴するでき事がある。また、国内の畜産のために飼料の輸入が増加することから、様々の問題を生じていることは本来、日本の食文化と環境との共生を、畜産がどこかで乱している結果であることも考慮しなければならない。
ちなみに直近の70年間の変化を見ると、1935年段階で国民一人当たりの供給料が肉類では2kgに過ぎなかったのが、急速に高度経済成長期以降伸長し、2000年には28.8kgと14倍に増加している。また鶏卵は7.4倍、牛乳・乳製品は3.2kgが94.2kgへと、殆ど30倍に達している。こうした食材の変化が、そのまま和食の変質を意味しているのである。
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