2015/10/06

袁登古と袁登賣『古事記傳』

神代二之巻【美斗能麻具波比の段】 本居宣長訳(一部、編集)
愛(え)は、書紀の一書に「可愛」と書き「此云レ哀(これをエという)」としてあり、本文では「可美」、他の一書に「善」とある。これらによって意味は明瞭だ。白檮原の宮(神武天皇)の段の歌に「延袁斯麻加牟(エをシまかん)」とある「延(え)」も、可愛少女(エおとめ)と いうことだ。また朝倉の宮(雄略天皇)の段の歌で、吉野を「えしぬ」と詠み、前に引用した「善けん」を「えけん」とした例、住吉(すみのエ)、日吉(ひ エ)など、いにしえには「よい」ということを「え」と言うことが多かった。今も、そういう言い方をする。【書紀の「可愛(え)」は文字の意味を取っている のだが、ここの「愛」は、ただの仮名であって意味はない。間違えないように。】

袁登古(おとこ)は、古くは袁登賣(おとめ)に対する言葉で、後の方で「訓2壮夫1云2袁等古1(壮夫をオトコという)」、書紀には「少男此云2烏等孤1(少男、これをオトコと言う。)」【「少」は若いことである。】などとある。万葉にも「壮士」などと書き、若く壮(さか)んな男のことである。【老若を問わず、すべて「男」と言うようになったのは後のことである。また「おとこ」の「お」の字に「於」を書くのは誤りである。】

袁登賣(おとめ)も袁登古(おとこ)に対する言葉で、若く盛んな女性のことである。【万葉では「処女」、「未通女」などと書くので、嫁入り前の娘だけを言うように見えるが、そうではない。すでに結婚した女も言う。倭建命の歌に「袁登賣能登許能辨爾、和賀淤岐斯、都流岐能多知(オトメのトコのベに、ワガおきし、ツルギのタチ)云々」とある「おとめ」は美夜受比賣であり、倭建命の妻となった後、刀をその床に置いたことを言う。また軽太子が軽大郎女と近親相姦を犯した後の歌にも「加流乃袁登賣(カルのオトメ)」と詠んでいる。これらは、いずれも処女でない。】他に「童女」を言うことも多い。【「おとこ」は童については言わない。中昔にも、元服することを「壮士(男)になる」と言ったので分かる。それなのに女は童でも「おとめ」と言ったのは、女はとにかく若いのを良いとするからであろうか。】

○この後の最後にある「袁(を)」は「よ」と言うのに通じ「男よ」、「女よ」と言うのと同じようなことである。こうした例は、古くは多かった。(須佐之男命の)「その八重垣を」などの 「を」も【上へ返って「その八重垣を作る」ということではない。】「八重垣よ」の意味である。倭建命の歌を継いで(火焼きの老人が)歌った句の「比邇波登袁加袁(ヒにはトオカを:日には十日を)」の「を」、また若桜の宮(履中天皇)の段の歌に「大坂爾、遇夜嬢子袁、道問者(おおさかに、アウやオトメを、ミ チとえば)」の「を」も同じである。この他にも例が多い。

○この二句ずつの唱えと答えの言葉を、書紀では「憙哉遇可美少男焉」、一書には「妍哉可愛少男歟」、他の一書には「美哉善少男」と書く。この記を参照して、これらいずれも「アナにヤ、えオトコを」と読むべきである。「おとめ」 の方も同じである。五言二句ずつのお言葉である。【今の本の訓に「アナうれしヤ、うましオトコにあいぬ」などとしてあるのは、いにしえの言葉を知らない者の読みである。これは一方が唱え他方が答える唱和で、歌の始まりともなる言葉なのに、そういう読み方をすると言葉の様子も良くなく、ただの普通の言葉になってしまう。「遇」 の字は、ここで交わされた言葉全部の意を取って加えられたものである。だから、それは読まない。一書(第一と第四)には「遇」の字がないことでも分かるだろう。「焉」、「歟」の字は末尾の「を」に当たる。「歟」は、字書に「文末の辞」、あるいは「語の余り」ともある。】

古今集の序では「この歌というものは、天地の初めの時にできた。古註に、天の浮き橋のもとで、二柱の神が夫婦神となられたことを言うのが歌である」とあるのは、この時の唱和する言葉を言う。まことに、これこそ歌の初めである。また師は「このように言葉を交わすのは、極めて古い時代の男女交合の初めの礼式だっただろう」と言っていた。

女人は「おみなを」と読む。【書紀では、これを「婦人」と書き「たわやめ(手弱女)」と読んでいるが、その言葉は女が弱くはかないことを言う呼び方で、この記、書紀、万葉を見ると殆どその意味で使われている。「手弱女」については、伝八之巻の三葉で言う。「おとめ」 も上述のように若い女の意である。記中、ところどころにある「女人」をどれも「たおやめ」、「おとめ」と読むのは良くない。】「おみな」というのは明の宮 (應神天皇)の段、朝倉の宮(雄略天皇)の段、また万葉巻廿の家持の歌などにある。【これを今「おんな」というのは、音便で崩れた言い方である。】この語の下に「を」を添えて読むのは、語の調子を整えるためである。前記「愛袁登古袁」の末尾の「を」と同じである。

先言は「ことさきだちて」と読む。【この前に「先言(まずいう)」とあるのと、字は同じだが読みは異なる。】書紀にも「先言」とあって、やはりそう読む。万葉巻十(1935)に「春去者、先鳴鳥乃、鶯(底本の字は貝二つの下に鳥)之、事先立之、君乎将待(ハルされば、マズなくトリの、ウグイスの、コトさきだちシ、キミをシまたん)」【「事」は借字で、「言」の意。】とある。古語である。

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