2017/04/05

『古事記傳』13-1 神代十一之巻【國平御議の段】(1)

口語訳:天照大御神は、「豊葦原の永遠の水穂の国は、私の子、正勝吾勝勝速日天忍穗耳命が治めるべき国だ。」と言って、天から降らせた。天忍穗耳命は天の浮橋に立ち、下界を窺って「豊葦原の永遠の水穂の国は、ひどく騒がしい」と言って、再び天に昇って天照大御神に状況を訴えた。そこで高御産巣日神と天照大御神は天の安河の河原に八百万の神々を招集して、思金神に「この葦原の中つ国は、私の子が治めるべき国だと言依さした国である。しかしこの国には、荒ぶる国つ神がたくさんいる。この国を平らかにするため、どの神を遣わしたらいいだろうか。」すると思金神は八百万の神たちと相談して、「天菩比神がよろしいかと存じます」と答えた。そこで天菩比神を遣わしたが、すぐに大国主神に媚び付いて、三年もの間、状況を復奏しなかった。

 

豊葦原(とよあしはら)。葦原については既に前【伝六の二十四葉】で言った。ここで「」の字が付いているのは、初めて御子に言依さしたので、その国を祝福して言ったのである。【「豊」は「国」にかかる。「葦」にかかるのではない。】

 

○千秋長五百秋(ちあきのながいおあき)。これは大殿祭の祝詞に「萬千秋乃長秋爾、大八洲豊葦原瑞穂之國乎、安國止平氣久所知食止、言寄奉賜比弖(底本は氏の下に一)(よろずちあきのながあきに、おおやしまとよあしはらみずほのくにを、やすくにとたいらけくしろしめせと、ことよさしまつりたまいて)」とあるのを考えて、「長」は下に続けて「ながいおあき」と読むべきである。【上に付けて「ちあきなが」と読むのは良くない。旧事紀に「五百長秋」と、もう一つ「長」の字があるのは、さかしらに付け加えたもので、誤りである。】

 

したがって「ちあきの」と「の」を添えて、そこで一度切って、「ながいおの」と読む。大嘗祭の祝詞に「天都御食乃長御食能遠御食登、皇御孫命乃大嘗聞食牟爲故爾、皇神等相宇豆乃比奉弖(底本は氏の下に一)(あまつミケのながミケのとおミケと、スメミマのみことのオオニエきこしめさんためのゆえに、スメカミたちあいウズノイまつりて)・・・千秋五百秋爾平久安久聞食弖(底本は氏の下に一)、豊明爾明坐牟、皇御孫命能(ちあきいおあきにたいらけくやすけくきこしめして、とよのあかりにあかりまさん、スメミマのみことの)云々」ともある。

 

書紀では「千五百秋(ちいおあき)」とある。【書紀の神武の巻に見える神代の長さから見ると、「万千秋」などは、大した期間でもないが、それを壽詞(ほぎごと)にしたのはなぜかというと、神代のことも世々を経て伝えるわけだから、その後は次第に変化するもので、これも短命な人代になってからの言葉で伝えたのである。たとえば雅言で「八百万代(やおよろずよ)」というのを、今の俗言では「千秋万歳(せんしゅうばんざい)」と言う。細かいことを言うと、八百万にくらべて、万歳は何ほどのことはないが、壽(ことほ)ぐ意味は同じである。】

 

水穂(みずほ)。水は借字で、みずみずしいという意味である。【書紀には「瑞」の字を書いてあるが、その意味ではない。思い迷ってはならない。】「穂」は稲穂である。【上に「葦原の」とあるからといって、葦の穂だと考えてはいけない。】

 

書紀に「天照大神は・・・また『私が高天の原で食べる齋庭(ゆにわ)の穂も、私の子に食べさせよ』」とある「穂」も同じである。【そのため、昔からこの「穂」を「いなぼ」と読んできた。しかし国の名の「水穂」も、「いね」とは言わず、単に「ほ」と言っているので、ここもそう読むべきである。】

 

水穂の国という名も、この齋庭(ゆにわ)の穂に関係がある。後の登由宇氣(とゆうけ)の神のところで言う。【そもそも皇国は、万物万事が他国より優れているのだが、なかでも稲は、特に万国に優れてめでたい食物であることは、神代からそうあるべき理由があるのである。今の世の人々は、そういうめでたい国に生まれて、そのめでたい稲穂を朝夕賜りながら、皇神の恩頼を思わず、何の関係もない漢国のことばかり思い賞め上げるのは、何としたことか。】

 

上で千秋長五百秋と言ったのも、この水穂にかかる祝辞で、【秋と言うのも穂にかかるからである。】長く久しく御子の命(天皇)が大嘗をきこしめすことにかけて言うのでも分かる。【また大殿祭の祝詞も、言い方は変わるが、「萬千秋」は、やはり「瑞穂」にかかっている。】

 

○言因賜而(ことよさしたまいて)の「賜」は、単なる尊敬の辞である。「国を賜う」というのではない。【前に伊邪那岐の大神が天照大御神に「お前は高天の原を治めよ」と事依さし賜い、とあったところの「賜い」は、御頸の玉を賜ったので、こことは違う。そのところで詳しく述べた。】こうして天照大御神の子孫がこの天下を治めるようになった理由は、前【伝七の十葉、十一葉】に論じた。

 

○天浮橋(あめのうきはし)は前に出た。天と地上の国を昇り降りする道にかかっていた橋である。

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