2017/04/18

万物の根源(アルケー)は水である(タレス2)



 アリストテレスが知を愛すること(フィロソフィア=哲学)の始めといったことから、以降、哲学史の始めにタレス(BC624頃~548/545頃)がおかれることになったのです。

 どうしてタレスがそう評価されたのかというと、ソクラテス以来(「哲学」という言葉は、ソクラテスからです)深められて来たフィロソフィアの問題の一つに、タレスが答えていると見なせるからというのがその理由でした。

それは、この世界を説明するのに、材料の面で原理的なものに気付いていて、その原理を自然世界そのものに求めて、世界の全てのものの始めは水だ、という形で語ってきたからだ、というものでした。

この評価は、世界を神話的に理解するのではなく、自然を自然そのものとして理解しようという理性的探求の態度だ、と考えたからでしょう。

とはいえ「世界の始めは水だ」という言い方は、随分変に聞こえると思います。

哲学の始めがこんなのでは、哲学とは何とも奇怪でバカバカしい、という印象になるのももっともです。
 
しかし繰り返しますが、ここには「世界は神様の姿だ」とか「神様が生んだものだ」とか「神様がこねまわして作ったのだ」という説明とは全然違った説明があることには気がつくと思います。

それが大事なのです。

すなわち、ここには自然を神様ではなく自然物で説明しようという態度が見られます。

「神様が創った」といったら、話はそこで終わってしまいますが、ここには自然は自然物の自然的生成によって生じてきたという、はっきりとした意識があります。

この「水」の代わりに「原子」とか「素粒子」とかを入れてみて下さい。

そのまま、現代的な言い方になってきます。
 
では、なぜなどといってきたのでしょうか。

アリストテレスは、それは観察によってだといっています。

これも大事な点です。

すなわち、観察から物事を言うという態度は神話を離れ、事物そのものにとどまって原因を言う態度となり、これは斬新でした。
 
観察の内容は、全てのものの養分が水気を持っていること、熱ですらそうした水気から生じることなどをあげていますが、これはアリストテレスの推測です。

しかしアリストテレスは、神話で水の神を始めとしたのも同じ考えなのだろうと、神話的発想を並べながらタレスの特徴を言おうとして、このように紹介してくるのですから、ここに新たなものを見ていたのは確かでしょう。

それは原理というものの発想と自然観察という方法論とにある、としていたのと言えます。
 
こうした在り方がフィロソフィア(原義は「知への愛」ということだが、日本では「哲学」というなじみのない言葉にされてしまった)の始めと評価されたのです。

ただし、このフィロソフィアという言葉はソクラテスによってはじめられるのですから、タレスよりずっと後のことで、したがってアリストテレスはタレスたちソクラテス以前の人達を自然学者と呼んで、ソクラテス以降からのフィロソフィアと区別はしています。

 しかし、タレスが学問に端緒をひらいた、というのはいいとして、ここまでの説明では何やら「俗世を離れた暇人の頭の体操」のような雰囲気もします。

ことがそれだけなら、そういう印象になるのも仕方ありませんが、それはそうではないのです。

むしろ、この自然学者たちというのは、実際的な技術においても卓抜していた人たちなのです。

その上で、そうした技術の基礎にある原理・理法の問題として、以上のような世界の成り立ちについての探求をしていたのです。

技術は実際的なものですから、利益を生むだけのものでした。

しかし原理・理法を求めるものは、後世「学問」と呼ばれることになるのですが、その違いはどこにあるのでしょうか。
 
技術者としてのタレスですが、アリストテレスが伝えている有名な逸話によると、彼が学問していてとても貧乏な暮らしをしているのを見て、ある人が学問など何の役にもたたないといって非難したといいます。

それではということで、タレスは自分の知識からオリーブの豊作を予測して、オリーブの圧搾機を安いうちにあるだけ借り受けてしまい、いざ実がなって人々がその圧搾機を必要とした時、それを高く貸し付けて大もうけをした、という話です。

そしてアリストテレスは、タレスの言葉を続けて紹介していますが、このように学問というものを金儲けに使うことも可能なのだけれど、しかしそれは自分達学問をするものにとっての関心事ではないのだ、というものでした。
 
実際、タレスはその他でも実用のための技術においても群を抜く人であったようで、数々の逸話が残っています。

一方で社会的リーダーとしても優れた活動をし、自分の都市ミレトスに様々の有益な働きをしたことが伝えられています。
 
技術者としては、クロイソス王の軍が遠征の途中でハリュス河に行き会ってしまった時に、その河の流れを変えて橋を架けることなく渡れるようにしてやった逸話などが、よく知られています。

おそらく河を堰き止め、河の流れをクロイソス王の背後に持って行き、干上がった川底を渡らせたのでしょうが、これは地形をよむ能力と土木工事の知識が必要です。
 
また、彼は社会的活動から身をひいたあと学問に没頭したと伝えられていますが、その多くは天文学と数学であったようで、日食の予知は恐らく一番有名な逸話かも知れません。

彼の予知した日食は、今日的に計算すると紀元前585年5月28日に起きた日食になります。
 
また、これに関係してよく知られている逸話が「ドブに落ちたタレス」の逸話で、それによると彼が星の観察をしに外出したところ「ドブ」に落ちてしまい、召使いがそれを見て「あなたは天上にあるものを知ることができるのに、足下のことは知らないのですね」と言ったという逸話です。

これは事態としてもおかしいし、召使いのセリフもおかしいということでしょうが、タレスのために弁護するなら、足元ばかり見ていたら天文学は成り立たないし、生活のことばかり気にしていたら学問は成り立たない、ということになるでしょう。
 
その他、数学上の業績も知られ、それはエジプトの土地を計る技術からもたらしたものだ、と伝えられています。

自分の影の長さが自分の身長と同じになる時刻に、ピラミッドの影の長さを計ってその高さを計ったのも彼でした。

また三角形の定理をもちいて、沖にある船までの距離を計ったとも言われています。              
 タレスの業績は以上のようなものですが、もう一つ大事なことがあります。

それは、このタレスの探求の態度は吟味・批判されつつ継承されていく、という事態を生み出したことです。

神話による説明は、それが吟味され、批判され、さらなる説明を呼び起こすということは決してありません。

しかし、タレスによって始められた説明の仕方は、すぐに他者によって吟味され、批判されてくるのです。

こうして、一つの見解が批判的に継承されていくという、学問に絶対必要な研究の継承という在り方が形成されていくことになったのでした。

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