12月4日。
皇師(ミイクサ=天皇の軍)は長髄彦(ナガスネヒコ)を攻撃しました。何度も戦ったが、勝つ事は出来ませんでした。そのとき不意に、天陰(ヒシケ=空が暗くなる)て、氷雨(ヒサメ=冷たい雨もしくはヒョウやアラレ)が降りました。また金色の不思議な鳶(トビ)が現れて、飛んで来て、皇弓(ミユミ=天皇の弓)の弭(ハズ=弓の先端)に止まりました。その鳶は光り輝き、まるで流電(イナビカリ)のようでした。それで長髄彦(ナガスネヒコ)と軍卒(イクサノヒトドモ)は迷い惑って、戦意を失くしてしまいました。
長髄(ナガスネ)は、元々は邑(ムラ)の名前です。それで、そこの首長の名前になったのです。
皇軍(ミイクサ)が鳶の吉兆を得てからは、この土地を「鳶の邑(トビノムラ)」と名付けるようになりました。今、「鳥見(トミ)」というのはこれ(=トビノムラ)が訛ったものです。
以前、孔舍衞(クサエ)での戦いで、五瀬命(イツセノミコト)は矢に当たって薨(カムサ=神となって去った…つまり死んだ)りました。神武天皇はそのことをずっと忘れずにいて、常に憤懟(イクミウラムルコト=腹を立て恨んでいる)を抱いていました。この役(エダチ=戦闘)では怒りのままに窮誅(コロ=殺)そうと思っていました。それで歌を歌いました。
みつみつし 来目の子らが
垣本に 粟生(アハフ)には
臭韮(カミラ)一本
其のが本 其根芽つなぎて 撃ちて止まむ
歌の訳
天皇の威勢を負う強い久米の兵が
家の垣根に植えた粟の畑に
臭いの強い韮(ニラ)が一本生えている
それを根元から根も芽も根こそぎ引っこ抜くように
敵を打ち破ろう!
また歌いました。
みつみつし 来目の子らが
垣本に 植えし椒(ハジカミ)
口ひびく 我は忘れず 撃ちてし止まむ
歌の訳
天皇の威勢を負う強い久米の兵が
家の垣根の畑に植えた山椒を
食べると口がいつまでもヒリヒリするように
私は(敵にやられたことを)忘れない
敵を撃ち倒そう!!!
それで、また兵士を送って急いで攻めました。これら全ての歌は皆、「来目歌(クメウタ)」といいます。これは歌った人(=来目部のこと)を指して名付けたものです。
そのとき、長髄彦(ナガスネヒコ)はすぐに使者を派遣して、天皇に告げました。
「昔、天津神(アマツカミ)の子(ミコ)がいました。
天磐船(アマノイワフネ)に乗って天より降りて来ました。
その名を櫛玉饒速日命(クシタマニギヤハヒノミコト)といいます。
饒速日は「儞藝波揶卑(ニギハヤヒ)」と読みます。
この人物は、私(=長髄彦)の妹の三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)を娶って子供をもうけました。
ミカシキヤヒメの別名は長髄媛(ナガスネヒメ)、またの別名を鳥見屋媛(トミヤヒメ)といいます。
その子供の名前を可美眞手命(ウマシマデノミコト)といいます。
可美眞手は于魔詩莽耐(ウマシマデ)と読みます。
わたしは饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を君主として仕えています。天神の子が、どうして両種(フタハシラ=神が二人)あるものでしょうか??
どうして更に天神(アマツカミ)の子と名乗って、ひとの国を奪おうとするのか?
私が考えるに、未必爲信(イツワリ=偽り=偽物)では無いでしょうか?」
天皇は言いました。
「天神の子は多く居るものだ。
お前のところの君主が本物の天神の子ならば、必ず『表(=シルシ)』があるはずだ。それを見せなさい」
長髄彦(ナガスネヒコ)は、すぐに饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の天羽々矢(アメノハハヤ)を一隻(ヒトハ=矢を一本)と步靫(カチユキ=矢を射れる筒がユキ、これを歩行用にしたものがカチユキ)を天皇(スメラミコト)に見せました。
天皇はそれを見て
「本物だ」
と、言いました。
それでお返しにと、天羽々矢(アメノハハヤ)と步靫(カチユキ)を見せました。
長髄彦は、その表(シルシ)を見て、ますます天皇を恐れ畏まりました。しかし凶器(ツワモノ=武器)を準備して、今更、途中で止めてしまうわけにはいかない。それで血迷った計画を変えず、改心しませんでした。
饒速日命(ニギハヤヒノミコト)は、天神が最も大事だと思っているのは天孫(=アマテラスの子孫)であると知っていました。それに長髄彦は、その禀性(ヒトトナリ=人と成り)がとても気難しいので、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が天人(キミヒト=君主と人の上下関係のこと)の関係を教えても理解出来そうにないので、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)は長髄彦を殺してしまいました。そして人々と共に天皇に従いました。
天皇は、もともと饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が天から降りたと知っていました。今、忠效(タダシキマコト=忠義の意思)を示したので、褒めてもてなしました。この饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が物部氏の祖先です。
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