2018/08/19

ブッダ(釈尊)(釈迦の思想1)

出典 http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/bukkyou1.htm#ch2

原始仏教
仏教とは、仏すなわちブッダ(Buddha)の教えである。漢字で「」の字をあてるのは、ブッダの音写である。日本でこれを「ほとけ」と読むのは、C国での初期の音写ブト(浮図や浮屠の字をあてる)が日本へ入って「ふと」から「ほと」になまり、これに「け」がついたものとされる。
 
ブッダは、わが国では「釈迦」あるいは「釈尊」(しゃくそん)と呼ばれることが多い。「釈尊」とは「釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)」の略とされる。ブッダが釈迦族(サーキヤ族、あるいはシャーキヤ族)の出身であることによる尊称である。牟尼(muni)とは「聖者」のことで、世尊(bhagavat)とは「福徳あるもの」の意味である。仏典において仏弟子たちは、この「世尊」という尊称をよく用いる。

 ブッダの原語 buddhaは「気づく、理解する、悟る、目覚める」などを意味する動詞 bodhatiの過去分詞で「悟った、目覚めた」などの意味を持つ。釈尊の当時、インドでは修行を完成し真理を悟った者に対し、一般に用いられていた語である。

釈尊は「悟った者」としてブッダと呼ばれた。仏教の教理が発展すると、悟りを開いたのは釈尊ひとりではないと考えられ、釈尊以前の諸仏(過去七仏)、さらに大乗仏教では、無量無数の諸仏という観念が生まれた。こうして「ブッダ」という語はもっぱら仏教において用いられるようになり、インドでは仏教徒のことを「バウッダ(Bauddha、ブッダにしたがう人々)という。また、仏教徒は、ブッダの異名の一つ、スガタ(sugata「善く行った者」の意。漢訳では「善逝」ぜんぜい)にもとづいてサウガタ(Saugata スガタにしたがう人々)とも呼ばれる。

 ブッダの個人名はゴータマ・シッダッタ(ガウタマ・シッダールタ)であったとされる。これによって、ゴータマ・ブッダと呼ばれることもある。ブッダは、また如来(tathagata 修行を完成した人)阿羅漢(arhat 尊敬に値する人)など多くの異名をもつ。

  伝説によれば、ブッダは現ネパール領南部の出身で、29歳のとき出家、35歳で成道し、45年にわたる布教の後、80歳で入滅した。生没年は、アショーカ王の年代との関係によって論じられる。アショーカ王の年代は、およそ前268年即位、前232年没とほぼ確定されているが、ブッダとの年代の間隔については、伝承により異説がある。

パーリ語による資料、スリランカの『島史』と『大史』は、アショーカ王を仏滅後218年とする(南伝説)。これによればブッダの入滅は前486年頃になる。一方、C国に伝わる仏典『十八部論』『部執異論』は、アショーカ王を仏滅後116年とする(北伝説)。これによればブッダの入滅は前383年頃になる。ブッダは、南伝説によれば春秋時代末期の孔子(前552477年)と、北伝説よればギリシアのソクラテス(前469-399年)とほぼ同時代の人である。

2. ブッダの思想に関する資料
 現在多く残されている仏典のうち、初期の仏教(原始仏教)の思想を最もよく伝える文献は、パーリ語で書かれた聖典である。パーリ聖典は南方上座部が伝えたもので、スリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジアなどの諸国に広まっている。パーリ聖典のうちで経蔵といわれる部分は、ブッダの教説(アーガマ、阿含、信ずるべき人のことば)として伝承された聖典群で、その中には極めて成立が古いものも含まれていると推定される。

パーリ聖典は、最初期の仏教の思想を伝えるとはいえ、後に発展し整備された思想を多く含んでいるので、そこに説かれるものをすべてブッダの教説とみなすことはできない。経典の編纂はブッダの入滅後、その教えを保持するため、弟子たちによってまず詩の形にまとめられたことに始まり、散文の部分は、それからかなり時代を経てから伝承にもとづいて加えられたと考えられている。

パーリ聖典が現形のように集成されたのは、マウリヤ王朝時代(c.317-180B.C.)よりはるか後になってからのことであるとされる。したがって、ブッダの思想を解明する資料として利用するには、成立年代に関する注意が欠かせない。

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