秦の環銭は、おなじみの形です。円くて穴があいている。やがて秦が戦国時代を終わらせて中国統一をします。で、この形のお金が、中国のスタンダードになる。これが日本列島にも入ってきて、銅銭には穴をあけるようになる。日本史に出てくる和同開珎や、この前発見された富本銭もそうでしょ。これは今の五円、五十円にまで受け継がれる伝統だ。なぜ、五円玉に穴があいているのか、さかのぼれば秦の環銭にまで行き着くというわけです。私が小さかった頃に、穴のあいていない五円玉や五十円玉がありましたよ。でも、いつの間にか消えてまた穴あきに戻ったね。穴がないと、なんか寂しいんですね、大蔵省も。じゃあ、なぜ十円や百円には穴がないのか。これは私の想像ですけれど、明治維新で西欧化を目指すでしょ。十円、百円の系列のお金は多分ヨーロッパのコインをモデルにしたモダンな形、一方、五円、五十円の系列は伝統にのっとったのではないかな。あくまで想像ですけど。
ところで、刀や農具など大事な物がお守り的な役目を持つのはわかりやすいんですが、秦の環銭にはどんな意味があるのか。やはり、穴に意味があるのではないかと思う。この穴に何か神様が宿るんじゃないか。コックリさん、知ってるでしょ。小学校時代に流行した。すぐ禁止されてしまったけれどね。あれをするときに使うのが、必ず五円玉でした。十円ではだめなの。コックリさんがやって来て、穴の中に入るんだとわれわれは信じていましたけど、違います?
それから、新年早々のスーパーで買い物をすると、お年玉といってポチ袋に入った五円玉をもらった経験はありませんか。五円玉の穴に紅白の紐が通してあって、これを財布に入れておくとお金が貯まるというやつ。あれも、十円や百円では雰囲気でないのね。
現代に生きているわれわれの中にも、お金の穴に関してぼんやりだけど特別な力の存在、呪術的な何かを感じる感性が受け継がれています。戦国時代には、もっと強い神秘的な力を人々は感じていたんだと思う。お金は、単に流通・交換のための道具ではなかったということです。
話がだいぶそれてしまいました。商業の発展に関して、もう一つ「矛盾」の話をしておきましょう。
矛盾という言葉は知っているよね。この言葉のルーツが、この時代です。ある都市の市場、盛り場で口上を唱えながら武器を売っていた商人がいた。矛を売るときはどんな盾でも貫くと言い、盾を売るときにはどんな矛でもはねかえす、と言いながら売っている。それをみていた冷やかしの男が「おまえの矛でその盾を突いたらどうなるんじゃ!」と突っ込みを入れたんですな。これが矛盾という言葉のもとです。
この話をよく考えてみると、みごとに戦国時代の状況が浮かび上がってくる。商人が売っていた「どんな盾でも貫く矛」は、いったい何でできていたのか。鉄製としか考えられない。盾も鉄張りだったんでしょう。ようやく鉄製の武器が出回り始めている状況、そのなかで商人は「最新式の武器だ!」と言って売っているわけです。
さらに、市場で売っているという事も重要ですね。市場で売られているということは、注文を受けてから鍛冶屋さんが作るんではなくて、流通を前提にして大量生産されているということですよ。源平合戦の頃の平氏や源氏の侍たちが、京都や鎌倉の市場で武具を買っていたのかどうかを考えてみれば、当時の中国の社会がどれだけ商工業が発展しているのか実感できるでしょ。
そして、当然のことではありますが売られているのが武器だということ、戦争が日常的におこなわれ、武器を手に入れて一旗揚げようかという浪人がゴロゴロいた。古くからの農業共同体を出て、諸国を遍歴している人々がたくさんいたことを思わせますね。社会全体が大きな変動期をむかえていたこという事が「矛盾」から分かるのです。
農業、商業、流通の発展と社会の活性化、流動化の中で戦国の諸国は生き残りを賭けて、富国強兵策をおこないました。それは、また次回。
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