2018/10/05

戦国時代

出典 http://www.geocities.jp/timeway/index.html

これが戦国時代になってくると、宗法の統制は完全に有名無実になる。人々は合理的な発想をするようになるんだ。「祖先神?、関係あるかい!」ということです。

 孔子という思想家がいます。中国史上最大の思想家、春秋時代の人ですが、この人は「怪力乱心を語らず」。怪奇現象や神秘的なことは口にしなかったというわけ。こういう風潮が広まってくるんですね。

 家臣が主君を倒す、分家が本家を乗っ取る、こういうことが頻繁に起きてくる。いわゆる「下剋上」の時代です。この下剋上という言葉も、日本の戦国時代で使われるけれど元祖は中国の戦国時代の言葉です。春秋時代の大国晋が分家に乗っ取られて三分裂した以後を戦国時代といいます。

 戦国時代に強国が七つに絞られてきます。これを「戦国の七雄」と呼ぶ。燕、斉、韓、魏、趙、秦、楚の七国です。

 戦争の主力も歩兵中心になってきます。それまでは戦車に乗った貴族が軍の中心だったのですが、勝つためには兵力が多い方がいいでしょ、農民を歩兵として動員して戦争が大規模になる。やがて、この中の秦が中国を統一することになります。

春秋・戦国時代に中国社会は政治的に大きく変化していくのですが、社会の仕組み全体が大きく変動していった時代でもあります。まずは鉄製農具の登場と、牛耕の普及がある。大地を耕すスキ・クワは、それまで木製だった。これが鉄製に変わるということが、どれだけすごいか想像つきますか。サクサクいくだろうね。おまけに牛の鼻にワッカを通して紐をつけて引き回す事ができるようになります。この牛にくびきをつけて、鉄製のスキを牽かせるわけだ。飛躍的に耕地が増えるのですよ。

 それまでは、それほど多くの土地を耕せませんでした。邑があるでしょ。農民もみんな邑に住んでいるの。朝になれば農具を持って邑から畑に行って、夕方には邑に帰ってくる。ところが鉄製農具と牛耕で、それまで耕せなかった遠くの土地を開拓できるようになる。遠くに農地ができると、一日のうちに邑から出て帰ってこられなくなります。そこで新しい邑を建設して、そこに農民は移住していきます。こんなふうにしてどんどん新たな邑が作られ、耕地が増え人口も増えていく。領土内の邑を点として支配する、それまでの国家の在り方を「邑制国家」といいましたが、これが面として領土を支配する「領域国家」に変化してくるのです。

 この結果どうなるか。それまでいろいろな国があっても、その国境線は問題になりませんでした。開発できない荒野が邑と邑、国と国の間に広がっていたんですから。ところが未開地の開拓がすすんで領域国家となると、国境線が問題になってくる。未開の土地をどの国が支配下に置くのか。農地が広がればそれだけ国力も充実するわけですから、どの国も必死になります。これが戦国時代になる大きな背景です。

  農業の発展にともなって商工業も発展した。強国の都には、人口数十万規模の大都市も出現する。ということは人間も移動するようになるんです。生まれた邑の中で一生過ごすんではなくて諸国を遍歴して商売したり、仕事を探して大都市に出てくる、そういう人間も多く現れてきました。春秋時代の末期から戦国時代は、中国史上まれにみる躍動的な時代になりました。

 商業の発展に関して、青銅鋳貨が各国で発行されています。北方の斉、燕では刀銭(とうせん)、中央部の韓、魏、趙では布銭(ふせん)、西の秦では環銭(かんせん)、南の楚では蟻鼻銭(ぎびせん)というものが作られた。形がユニークですね。教科書の写真で確認してください。刀銭は刀の形、布銭は農具の形です。スキ・クワの先っぽの部分です。蟻鼻銭は、子安貝という貝殻の形をモデルにしている。ニューギニアの高地人など太平洋の島々では、子安貝をお金として使う例がたくさんあるんです。だから、楚の国が南方系の文化を受け継いでいることがわかるね。

 こういう特殊な形をした貨幣が、なぜ作られたのか。単に物を売ったり買ったりするためだったら、刀銭や布銭なんて不便な形でしょ。お金に商取引のためだけでなく呪術的、お守りのような役割があったんでしょうね。

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