2019/04/29
第二次ポエニ戦争(ハンニバルvsスキピオ)
2019/04/28
犬のアンティステネス(1)
2019/04/25
玉垣の宮上巻【垂仁天皇上】(2)
口語訳:この天皇が沙本毘賣命を妻としていたとき、彼女の兄、沙本毘古王がその妹に
「お前は夫と兄と、どちらが愛しいか」
と聞いた。
沙本毘賣命は
「兄の方が愛しいですわ」
と答えた。
すると沙本毘古王は
「お前が本当に兄を愛しく思うなら、お前とオレとで天下を治めてやろうじゃないか」
と言った。
すぐに八鹽折の紐小刀を造り、妹に与えて
「天皇が眠っている隙に、この刀で刺し殺せ」
と言った。
天皇はそんな謀計があるとは知らず、その后の膝を枕にして眠っていた。
そのとき、后は刀で天皇の頸を刺そうと、三度振りかざしたが、悲しみに耐えきれず、刺すことができなかった。涙がが溢れて落ち、天皇の顔を濡らした。
天皇はすぐに目を覚まし、その后に
「今、変な夢を見た。沙本の方から激しい雨が起こってきて、私の顔を濡らしたんだ。それに小さな蛇が私の頸の周りに巻き付いていた。こんな夢だが、何か意味があるんだろうか」
と聞いた。
后は、言い争うわけにも行かないと観念して
「私の兄、沙本毘古王が私に聞いたんです。
『夫と兄と、どちらが愛しいか』と。
面と向かって聞かれると逆らうこともできなかったので、思わず『兄さんです』と答えました。すると『オレとお前とで天下を治めよう。天皇を殺せ』と言い出して、八鹽折の紐小刀を造って私に渡しました。
たった今、あなたの頸を刺そうと、三度まで刀を振り上げましたけど、どっと悲しさがこみ上げてきて、とても刺すことはできませんでしたわ。涙が溢れて、あなたのお顔に落ちかかりました。きっとそのことを夢に見られたんですわ」
と答えた。
口語訳:天皇は
「私は危うく騙されるところだった」と言い、軍士を集めて、沙本毘古王を討とうとした。王は稲城を造って抵抗した。このとき沙本毘賣命は「私のせいで兄は死ぬんだわ」と思うと、いても立ってもいられなくなり、宮廷の後ろの門から逃げ出し、稲城の中に走り込んだ。このとき、皇后は子を孕んでいた。
天皇はもう三年もの間、その后をたいへん愛して重要な存在になっていたので、軍をいったん控えさせ、急には攻めないでいた。その間に時日が過ぎて、孕んでいた御子が生まれてしまった。そこで后はその御子を稲城の外に置いて、人に
「この子を天皇の御子とお考えなら、どうぞお育てください」
と言わせた。
天皇は、兄こそ憎んでいたが、皇后はまだ愛していたので、ぜひ取り返したいと考えていた。そこで軍士のうちから、力が強く、動きの素早い者を選び出して
「あの子を受け取るときに、その母后も取り戻せ。髪であれ、手であれ、取ることができたら、そのまま引き出して連れてこい」
と命じた。
ところが后は天皇がきっと自分の身柄を取り戻そうとすると考えて、髪をすっかり剃り落とし、それで鬘を作って頭に被った。また玉の緒を腐らせて、手に三重に巻き付け、酒で衣を腐らせて、それを正常な服のように着ていた。そうやって準備して、御子を胸に抱いて稲城の外に差し出した。
力士たちは御子を受け取ると、今だとばかり后の身柄を取ろうとした。ところが髪を掴むとすっぽりと脱け落ち、手を取ろうとすると、玉の緒がことごとくちぎれてしまい、衣を掴もうとすると、破れ去ってしまった。その結果、御子を取ることはできたが、母后はまた稲城のうちに逃げ込んでしまい、取り戻すことができなかった。
軍士たちは帰ってきて
「髪は抜け落ち、衣は簡単に破れ、手に巻いた玉の緒もちぎれてしまいました。だから御后を取り返すことができませんでした」
と詳しく報告した。
天皇はたいへん歎き恨んで、その玉を作った人たちを憎むあまり、彼らの土地をすべて取り上げてしまった。それで諺に「ところ得ぬ玉作り」と言うのである。
口語訳:天皇は(稲城の内にいる)皇后に
「子供の名は母が付けるものだ。この子になんと名を付けるのだ」
と尋ねたところ
「いま稲城に火を放っているとき、その火中で生まれたから、『本牟智和氣の御子』と名付けたらいいでしょう」
と答えた。
次に「どんな風に育てたらいいのだ」と尋ねると
「養母を付けて、大湯坐と若湯坐を定めて育てたらいいでしょう」
と答えた。
そのため、皇后の言った通りにして育てた。
また天皇は
「あなたが締めた下帯の紐を、あなたの他に誰が解くんだ」
と尋ねると
「丹波の比古多多須美智宇斯王の娘で兄比賣、弟比賣の二人は、清らかな娘ですから、この二人を召しなさい」
と答えた。
その後、遂に沙本比古王を殺したが、その妹(后)もそれに従って死んだ。
2019/04/23
文殊菩薩(5)
文殊菩薩の由来(過去世の物語)
文殊菩薩は、なぜ智慧のすぐれた菩薩になられたのでしょうか。
お釈迦さまは『大宝積経』五十九巻に、このように教えられています。
遠い遠い昔、東のほうに無生という国があり、普覆(ふぶ)という名前の王がありました。
普覆王は、その国に現れた雷音如来(らいおんにょらい)という仏を心から敬い、大いなる布施をし続けていました。
そんなある日、普覆王は今まで自分が積み重ねてきた功徳として、何を望むべきかに悩みました。
「帝釈天や梵天のような神として天上界に生まれるべきか、世界を支配する転輪王になるべきか、仏道を求める声聞しょうもんか縁覚えんがくになるべきか」
とつぶやくと、天から声が聞こえました。
「そんな小さな考えを起こさずともよい。そなたの今まで積んだ功徳は甚だ多い。最高の悟りである仏のさとりを求めるべきである」
それを聞いて、仏を目指すことを決意した普覆王は、雷音如来のもとへ行き
「どうすれば最高の悟りを得ることができるでしょうか」 とお尋ねしました。
すると雷音如来は
「大王よ、よく聞くがよい。私は遠い昔、もろもろの衆生のために幸せを施すことを誓い、そのように努力することで悟りを得たいという誓願を起こしたのだ。そして、その誓願の通り仏のさとりを開くことができた。
大王よ、そなたも誓願を立てて修行をすれば無上のさとりを得られるであろう」
といわれます。
喜んだ普覆王は、大勢の人の前で誓いました。
「私は今から、すべての生きとし生けるものの苦しみを救おう。数え切れない生まれ変わりの中で、どの生でも菩薩の行を修めよう。欲や怒りの心は起こさない」
「そして私はこれから仏の教えを学び、戒律を守る。急いで悟りを得ることは願わない。むしろ尽未来際仏にならず、生きとし生けるものを救うために菩薩として生きよう。そのためにあらゆる悪を遠ざけ、善に向かおう」
お釈迦さまは続けます。これが、文殊菩薩の過去世の姿です。
こうして限りない時を菩薩として修行に励み続け、生きとし生けるものを救い続けたのですが、誓願の通り一度も仏になろうという気持ちを起こしたことはないのです。
普覆王が誓いを立てた時、その場にいたたくさんの人が感動して一緒に雷音如来のもとで出家し、修行を始めました。今では、その人たちは全員仏になっています。
ですが、一人、文殊菩薩だけは、今でも菩薩としてその仏たちに布施をして、教えを守り続けているのです。
(出典:『大宝積経』)
文殊菩薩は、過去世にこのような願いを起こし、このような修行をして、今では非常に智慧のすぐれた偉大な菩薩になったのでした。
文殊菩薩と維摩居士の問答
『維摩経』では、文殊菩薩と維摩居士(ゆいまこじ)の問答が記されています。
維摩居士は、毘舎離(びしゃり)の町に住む富豪でした。商売をしたり、博打をしたり、遊女と付き合ったりして、出家はしていません。ですが、過去世から善を行っていた功徳によって真理を見通す智慧を持ち、人々を仏の道に入らせたいと願っていました。
ある時、維摩が病気になったので、お釈迦さまが誰か見舞いに行くように言われました。
ところが誰も行きたがりません。
そこで舎利弗(しゃりほつ)に見舞いに行くように言われると、舎利弗は維摩にはかつてこのようにやり込められたことがあるので、見舞いに行く資格がありませんと辞退します。
目連(もくれん)に見舞いに行くように言われると、同じように目連も辞退します。
大迦葉(だいかしょう)に言われても同じです。
お釈迦さまは、須菩提(しゅぼだい)、富楼那(ふるな)、迦旃延(かせんねん)、阿那律(あなりつ)、優波離(うぱり)、羅睺羅(らごら)、阿難(あなん)と、十大弟子に順番に声をかけていかれますが、全員辞退します。
次に弥勒菩薩(みろくぼさつ)にも声をかけられましたが、同じでした。
他の菩薩も辞退します。
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)を建立した給孤独長者(きっこどくちょうじゃ)も声をかけられますが、辞退します。
やがて、お釈迦さまが文殊菩薩に声をかけられると、文殊菩薩も自分にはとても応対できるものではないと言いつつも、見舞いに行くことにします。すると舎利弗や大迦葉など、他のお弟子たちも、文殊菩薩と維摩居士の対談が聞けると思い、ついてきたのでした。
維摩の家に到着した文殊菩薩が、維摩の病を見舞い
「あなたの病気の原因は何ですか?」
と尋ねると、維摩はこう答えます。
「私の病の原因は、人々が病んでいるからです。人々の病が治れば、私の病も治るでしょう。子供が病に苦しめば、親が病気になってしまうようなものです。衆生病むが故に、菩薩また病むのです」
こうして文殊菩薩は、菩薩はどうあるべきか様々なことを維摩に尋ね、維摩は次々とそれに答えていきます。
最後に維摩が、悟りの世界とはどんなものかと菩薩たちに尋ねます。
すると菩薩たちが一人一人
「生ずることも滅することもないものです」
「自分という実体はないと知ることです」
「汚れたとか清らかという分別のなくなることです」
「善と悪は異なるものではないと知ることです」
「在家と出家の区別のない世界です」
「輪廻と涅槃は異なるものではないと知ることです」
このようにたくさんに菩薩がそれぞれ答えを述べると、最後に文殊菩薩はこう言いました。
「皆さんが言われたことは、それぞれもっともなことです。ですが、言葉に表した時点で、それはもう悟りから離れてしまいます。本当の悟りというのは、言葉を離れた説くことのできないものだからです」
そして維摩に対して
「私たちは、それぞれ自分の意見を言いました。ぜひ、あなたのお考えを教えてください」
と言いました。
その時、維摩は、かたく口を閉じて沈黙したまま一言も言葉を発しませんでした。
それに対して文殊菩薩は
「すばらしい。悟りというのは言葉を離れた世界ですから、あなたの答えこそもっとも正しい」
と称讃しました。
これを「維摩の一黙、雷のごとし」といわれます。
このように文殊菩薩は、そのすぐれた智慧によって、言葉を離れた悟りの世界を教え、苦しみ悩む人々を、その世界へ導こうとされている菩薩なのです。
2019/04/22
文殊菩薩(4)
文殊菩薩を祀るお寺
文殊菩薩像は、どこのお寺に祀られているのでしょうか。ここでは、国宝や重要文化財となっている文殊菩薩を祀る寺院を紹介します。
文殊菩薩の立体像
日本の三文殊といえば
奈良県の安倍文殊院(阿倍の文殊)
京都府の智恩寺(切戸の文殊)
山形県の大聖寺(亀岡文殊)
となっています。
他にも
奈良県の法隆寺の木造立像、塑像
奈良県の室生寺の木造立像
奈良県の海龍王寺の木造立像
大阪府の孝恩寺の木造立像
奈良県の興福寺の木造坐像
京都府の仁和寺の木造坐像
京都府の大智寺の木造坐像
奈良県の西大寺の木造騎獅像
奈良県の宝珠院の木造騎獅像
奈良県の圓證寺の木造騎獅像
奈良県の額安寺の木造騎獅像
福島県の薬王寺の木造騎獅像
京都府の教王護国寺の木造、聖僧文殊像
京都府の法金剛院の木造僧形文殊像
滋賀県の善水寺の木造僧形文殊像
奈良県の文殊院の木造文殊四脇侍像
京都府の智恩寺の木造文殊 善財童子優闐王像
和歌山県の遍明院の木造文殊侍者像
高知県の竹林寺の木造文殊五使者像
などが有名な文殊菩薩像です。
(木像というのは木で彫った像、塑像とは粘土で作った像です)
次は絵画です。
和歌山県の宝寿院の絹本著色図
奈良県の西大寺の絹本著色図
滋賀県の延暦寺の絹本著色図
京都府の高山寺の絹本著色図
京都府の宝寿院の絹本七髻文殊菩薩図
京都府の東福寺の絹本釈迦文殊普賢三幅図
京都府の醍醐寺の絹本文殊渡海図
大阪府の叡福寺の絹本文殊渡海図
京都府の南禅寺の絹本墨画聖僧文殊図
京都府の本法寺の紙本墨画文殊寒山拾得図
このような文殊菩薩の絵画があります。
特に、京都府の醍醐寺の絹本文殊渡海図(国宝)は圧巻です。
文殊菩薩は、大きな獅子の上に趺坐し、頭には五髻を結び、右手に剣、左手に蓮華を持っています。獅子の前には善財童子が先導し、右の優填王は獅子をひき、左には錫杖を持った仏陀波利、後ろには仙杖を持った最勝老人がしたがっています。そして、全体が雲に乗って大海原を渡るという雄大な構図です。鎌倉時代の傑作として国宝に指定されています。
善財童子というのは、『華厳経』の最後の「入法界品」で、文殊菩薩に菩薩道について尋ね、その指南によって旅に出た人です。
(「絹本」というのは、絹に描かれているということです。それに対して「紙本しほん」の場合は紙に描かれています)
文殊菩薩の特徴─なぜ獅子に乗っているの?
このように文殊菩薩の特徴として、立体像でも絵画でも、獅子に乗っている場合があります。立像や坐像などもありますので、必ず獅子に乗っているというわけでもありませんが、獅子に乗っていれば文殊菩薩と分かります。
ではなぜ、文殊菩薩は獅子に乗っているのでしょうか?
それは、獅子というのは、智慧を表すからです。慈悲を表す象に対して獅子は智慧を表すので、智慧の菩薩である文殊菩薩の乗り物とされているのです。
文殊菩薩と普賢菩薩の違い
文殊菩薩は、お釈迦さまの脇侍です。
そして、もう一人のお釈迦さまの脇侍は普賢菩薩です。
ですから釈迦三尊像では、お釈迦さまに加えて文殊菩薩と普賢菩薩が脇侍となっています。
では文殊菩薩と普賢菩薩は、どこが違うのでしょうか。
それは、お釈迦さまの智慧を表すのが文殊菩薩で、慈悲を表すのが普賢菩薩ということです。ですから乗り物についても、文殊菩薩は智慧を表す獅子に、普賢菩薩は慈悲を表す象に乗っています。文殊菩薩と普賢菩薩には、そのような違いがあります。
2019/04/21
文殊菩薩(3)
文殊菩薩は「三人寄れば文殊の知恵」といわれるように、智慧の菩薩です。
それに対して普賢菩薩は慈悲の菩薩で、共にお釈迦さまの脇侍です。
文殊菩薩とは
文殊菩薩とは、どんな菩薩なのでしょうか?
まずは簡単に仏教の辞典を確認してみましょう。
文殊菩薩
<文殊>はサンスクリット語 Mañjuśrīの音写<文殊師利(もんじゅしり)>の略で、<曼殊尸利(まんじゅしり)>などとも音写する。原語の訳は<妙吉祥(みょうきちじょう)><妙徳(みょうとく)>など。
初期の大乗経典、とくに般若経典においては、むしろ仏に代わるほどにさかんに活躍し、般若=智慧を完全にそなえて、説法をおこなう。そのほか各種の大乗経典でも、諸菩薩を主導する例が多い。
空に立脚するその智慧が文殊菩薩の特性であり、これから<文殊の智慧>の語が由来する。観世音菩薩などとは異なり、純粋に仏教内部から誕生した菩薩である。
なお、中国東北部の旧称の満州は、この菩薩名にちなむといわれる。また毎年7月8日には、特に文殊菩薩を供養する<文殊会え>が催される。
(引用:『岩波仏教辞典』第三版)
このように文殊菩薩は、文殊師利(もんじゅしり)が本名です。文殊師利法王子などともいわれ、特に『般若経』では文殊菩薩を相手に説かれる場合がたくさんあります。それというのも、文殊菩薩は非常に智慧がすぐれているからです。
このように、仏教辞典には文殊菩薩について簡単に説明されているので、この記事では分かりやすく詳しく解説していきます。
まず、「三人寄れば文殊の知恵」というのは、どういう意味でしょうか。
三人寄れば文殊の知恵の意味
文殊菩薩は、智慧の菩薩といわれます。智慧というのは、単に知識があるとか、理解が深いという意味ではありません。智慧は、仏教では非常にすばらしい力を表します。
➾智慧とは?
文殊菩薩は智慧の菩薩ですので、「三人寄れば文殊の知恵」ということわざになっています。
「三人寄れば文殊の知恵」といえば、あまり頭が良くなくても3人も集まれば文殊菩薩のようなすぐれた知恵が出るものだ、という意味だと思ってはいないでしょうか。国語辞書などではそういうこともよく言われますので、ほとんどの場合そのように使われています。つまり、1つの知恵が3つ集まって3倍になる、という考え方です。ですが、3人集まるといい知恵が出るというのは、実際には別の要素があります。
1人の知恵だと、偏りが生まれます。もし独りよがりで間違っていても、気づかないのでひどい結果になりかねません。誰かに尋ねてみるのは大切なことです。
ところが2人の知恵になると、対立してまとまらない可能性が出てきます。また2人だけなら、共謀して悪いことをすることもあります。
それが3人になると、お互いに牽制し合って割合バランスのいいアイディアが出てくる、ということです。ですから、3人集まると単なる知恵の和ではなくて、よりよい相乗効果が生まれます。それを「三人寄れば文殊の知恵」といわれるのです。
文殊菩薩を説かれるお経
文殊菩薩は、どんなお経に説かれているのでしょうか?
それは以下をはじめとする、たくさんのお経に説かれています。
『大無量寿経』
『観無量寿経』
『阿弥陀経』
『法華経』
『華厳経』
などの有名なお経はもちろん
『央掘魔羅経』
『心地観経』
『雑譬喩経』
『涅槃経』
『大集経』
『道行般若経』
『内蔵百宝経』
『阿闍世王経』
『文殊師利問菩薩署経』
『首楞厳三昧経』
『維摩経』
『宝積三昧文殊師利菩薩問法身経』
『慧印三昧経』
『魔逆経』
『須真天子経』
など
その他、たくさんのお経に説かれています。
文殊菩薩はどんな人、実在した?
文殊菩薩は、どんな人だったのでしょうか。
まず、「菩薩」とは、「菩提薩埵(ぼだいさった)」のことです。「菩提」というのは仏のさとり、「薩埵」は人なので、仏のさとりを求める人を菩薩といいます。まだ仏のさとりを開いていないので仏さまではありませんが、仏のさとりを目指して努力している人です。
➾仏(如来)と菩薩と神の違い
その菩薩の中でも、文殊菩薩は特にすぐれた菩薩です。文殊菩薩を文殊師利法王子ともいわれますが、「法王」とは仏のことです。二度と崩れることのない高い悟りを開いた菩薩を「法王子」といわれます。他の菩薩にも「法王子」はあるのですが、皆文殊菩薩にゆずって、文殊菩薩が文殊師利法王子といわれるのです。それほどの菩薩が文殊菩薩です。
『文殊師利般涅槃経(もんじゅしりはつねはんぎょう)』には、文殊菩薩は舎衛国(しゃえいこく)の多羅聚落のバラモンの子だと説かれています。非常に頭がよく、仙人の元を訪ねて出家の法を求めますが、文殊菩薩の先生になれるような人がなかったために、最後にお釈迦さまにめぐりあって出家したと教えられています。
『維摩経』では、維摩居士との問答が説かれていますし、『華厳経』では、お釈迦さまのあまりにすごいご説法に参詣者はみんな耳も聞こえず口も聞けないような状態になりましたが、文殊菩薩と普賢菩薩だけは分かっている様子だったと教えられています。
ですから、文殊菩薩は「三人寄れば文殊の知恵」といわれるように、非常に智慧のすぐれた人で、お釈迦さまの時代に実在した人です。
文殊菩薩の功徳やご利益は知恵の増加?
文殊菩薩は、多くの寺院で祀られています。一体、どんな功徳やご利益があるとされているのでしょうか。
『文殊師利般涅槃経』によれば、文殊菩薩は貧しく孤独で苦しんでいる人の姿で、行者の前に現れると説かれています。それによって泰善(たいぜん)(758-827)は、貧しい人に施しをすることが文殊菩薩の供養になると考えて、貧しい人に施しをする文殊会(もんじゅえ)を始めました。そして泰善は、太政官に国で文殊会を行って欲しいと申請し、泰善の死後828年から行われるようになりました。こうして、苦しむ人を救うための文殊会が公式につとめられるようになったのでした。
ところが、それがだんだんと変化していきます。
室町時代から江戸時代になると、授福増慧を願って文殊菩薩に奉納された絵馬がたくさん発見されています。幸せを願い、智慧が増えることを願っていたということです。
こうして文殊の知恵といわれることから、頭が良くなる功徳があると考え、今では学業成就、つまり入試の合格といったご利益を願うようになったのです。
ちなみに密教では、文殊菩薩に関連して、除疫延命など、災いをなくす息災法が行われます。