また、この時期に奴隷反乱も起こっています。前139~前131年と前104~前99年にシチリア島で奴隷反乱。数万規模の大きな反乱だったようです。
前73~前71年には、有名なスパルタクスの乱。スパルタクスは剣奴でした。奴隷といっても色々な奴隷がいたんですね。特別な能力がなければ、ラティフンディアで農作業。中には賢い奴隷もいる。ギリシアもローマに征服されましたから、学者の奴隷なんていうのもいるわけですよ。こういう者は貴族の家で、子供の家庭教師などをさせられる。顔のきれいな少年少女は、貴族の家で主人の身の回りの世話をやらされるわけだ。特技や能力によって、奴隷にも違いがあった。それで、その中でも変わっているのが剣奴です。戦争捕虜などで、肉体的能力が抜群の者が剣奴にさせられる。
剣奴は、真剣勝負の殺し合いをさせられる者達です。今で言えば、ボクシングやプロレスみたいなもので、ローマ市民たちがその決闘を見て熱狂する。強くて人気のある剣奴はスター扱いですが、負ければ死んでしまうかもしれないんですからね。現在の感覚からすれば、すごく残酷なものです。
ローマの都市では競技場があって、剣奴の試合が頻繁に行われていた。剣奴の試合を開催するには、大層お金がかかる。数日かけて、何十番もの取り組みをしたりするんです。この金を出すのが町の有力者、貴族たち。試合を楽しみに見に来るのが一般市民、つまり平民だね。有力者は、なぜこんなことをするかというと、人気取りなんです。平民にサービスをする見返りに、選挙で投票してもらって公職につこうというわけ。
剣奴は興業があると、あちこち連れて行かれて試合をさせられました。ついでに、試合のことを話しておきます。試合では、必ずどちらかが死ぬまで戦うわけではない。怪我をするとか、剣を取り落としてしまうとか、戦闘不能になって勝負がつく場合がある。
とどめをさすのかどうか。勝った剣奴は、主催者を見るのです。主催者は、競技場につめかけた観客を見渡す。この時に、観衆が親指を立てて拳を突き出せば「そいつは負けたけど、立派に戦った。命は許してやれ」という合図。主催者も親指を立てて、勝者はとどめをささない。敗者は怪我の手当などを受けて助けられる。
逆に観衆が親指を下に向けたら「そいつは助けるに値しない。殺せ」という意味。主催者も、同じ合図を送る。勝者は敗者にとどめをさして殺してしまうの。
残虐さということについては、ローマ人は結構麻痺しているね。あと、猛獣と剣奴の戦いとかも行われました。
当然のことですが、試合はワザの優れたもの同士の戦いの方が面白いよね。そこで、剣奴たちは訓練を受けていたのですね。試合のない時は腕を磨いている。また、負ける事は死を意味しますから、訓練も必死だ。
ローマの南方のカプアという町に、剣奴の訓練所がありました。前73年、ここから78人の剣奴が脱走した。このリーダーだったのが、スパルタクスです。彼らは、ベスビオ山に逃げ込んだ。そこにローマの討伐隊が来るんですが、スパルタクス達は殺しのプロだ。それに失うモノは何もありませんからね、滅茶苦茶強くて、ローマ軍に勝ってしまう。
脱走した剣奴がローマ軍に勝ったという噂は瞬く間に広まって、周辺のラティフンディアから農業奴隷達がどんどん逃げて彼らのもとに集まって来る。スパルタクスの勢力は、7万人にまでなったと言われています。スパルタクスは戦争の指揮も上手かったようで、このあともローマ軍との戦いに勝ち続けるんだ。万単位の人々を束ねているだけでもすごい政治的な手腕というか、人望があったんだろうね。
で、大勢力になったスパルタクス達の奴隷反乱軍は、やがてイタリア半島を北上します。食糧は、どうやって確保したかというと略奪です。途中の都市を攻略し金持ち、貴族の財産や食糧を略奪しながら移動した。
スパルタクスの目的は何かというと、故郷へ還ることです。スパルタクス自身は、今のブルガリアあたりの出身だったらしい。故郷には、女房や子供がいたのかも知れないね。他の奴隷達も、ローマ領の北方から来た者が多かったようです。だから北へ行って、ローマ領を脱出しようとしたんでしょう。ところが彼らはアルプスの麓まで行って、そこでUターンしてしまう。なぜアルプス越えをしなかったのか、謎です。アルプスを越えれば、もうローマ領から出られたんですから不思議な行動です。
学者は、色々な説を唱えていますがね。ただ、現実問題として7万もの仲間を引き連れて、実際にアルプスを越えられるとスパルタクスが判断したかどうかですね。スパルタクスや他の剣奴達だけなら肉体頑強だから越えられたかもしれないけれど、彼らを頼って逃げてきた奴隷達にとってはどうだったか。老人や、病人、女子供もいたでしょうからね。そういう者達は、かなりの確率で落伍して死んでゆくだろう。リーダーの判断としては、アルプスを目の前にして引き返さざるを得なかったのかなと思います。
今度は、また略奪をしながらイタリア半島を南下するんですが、彼らはイタリア脱出を諦めたわけではなかった。当時、イタリア半島周辺の海域では海賊が結構出没していたんですが、スパルタクスはその海賊と連絡を取り合う。イタリア半島南端に海賊船が迎えにきて、彼らをシチリア島に運ぶ段取りになっていたようです。スパルタクスは、略奪した財宝をたくさん持っていますからね、船賃はちゃんと払えるわけ。
ところが、スパルタクス一行がイタリア半島の先っぽまで来てみると、海賊船は来ない。手違いがあったのか、裏切られたのか分かりませんが。代わりにローマの大軍がやって来て、ついにスパルタクス軍は、ここで負けてしまったのです。スパルタクス自身も、乱戦の中で戦死したらしい。生き残って捕えられた奴隷達は、磔にされた。ローマ市から南方に続くアッピア街道という軍道があるんですが、この道の両側に十字架が何キロも並べられ、奴隷達のうめき声が何日も聞こえたそうです。他の奴隷達に対する見せしめだね。
話がスパルタクスで長くなってしまいましたが、要するにこの時期のローマは将軍同士の内乱、同盟市の反乱、奴隷反乱、元老院の指導力の低下など、混乱が続いたということです。ローマがその現状に合った政治制度を見つけるまで、もうしばらく混乱は続きます。
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