2019/09/30

異形の神・怪物(ギリシャ神話64)

ゴルゴーン
始原の神や、または神やその子孫のなかには異形の姿を持ち、オリュンポスの神々や人間に畏怖を与えたため「怪物」と形容される存在がある。例えばゴルゴーン三姉妹などは、海の神ポントスの子孫で、本来は神であるが、その姿の異様さから怪物として受け取られている。

ゴルゴーン三姉妹はポルキュースとケートーの娘で、末娘のメドゥーサを除くと不死であったが、頭部の髪が蛇であった。また、その姉妹である三柱のグライアイは、生まれながらに老婆の姿であったが不死であった。ハルピュイアイはタウマースの娘たちで、女の頭部に鳥の体を持っていた。ガイア(大地)が原初に生んだ息子や娘の中にはキュクロープス(一眼巨人)や、ヘカトンケイル(百腕巨人)のような異形の者たちが混じっていた。また、ガイアは独力で様々な「怪物」の父とされる、天を摩する巨大なテューポーンを生み出した。

栄誉とペーガソス
エキドナは上半身が女、下半身が蛇の怪物で、ゴルゴーンたちの姉妹とされるが出生には諸説がある。このエキドナとテューポーンの間には、多数の子供が生まれる。獅子の頭部に山羊の胴、蛇の尾を持つキマイラ、ヘーラクレースに退治されたヒュドラー(水蛇)、冥府の番犬、多頭で犬形のケルベロスなどである。

またエジプト起源のスピンクスは、ギリシアでは女性の怪物となっているが、これもエキドナの子とされる。それらの多くは神、あるいは神に準ずる存在である。ポセイドーンとデーメーテールが馬の姿となって交わってもうけたのが、名馬アレイオーンである。他方、ポセイドーンはメドゥーサとの間に有翼の天馬ペーガソスや、クリューサーオール(「黄金の剣を持つ者」の意)をもうけた。

セイレーンは『オデュッセイア』に登場する海の精霊・怪物であるが、人を魅惑する歌で滅びをもたらす。ムーサの娘であるともされるが諸説あり、元々ペルセポネーに従う精霊だったとも想定される。『オデュッセアイア』に登場する怪物としては、六つの頭部を持つ女怪スキュラと渦巻きの擬人化とされるカリュブディスなどがある。

人間の起源
プロメーテウスと火
古代ギリシア人は、神々が存在した往古より人間の祖先は存在していたとする考えを持っていたことが知られている。例えばヘーシオドスの『仕事と日々』にも、そのような説明がなされている。他方、『仕事と日々』は構成的には雑多な詩作品を蒐集したという趣があり『神統記』や『名婦列伝』が備えている整然とした伝承の整理付けはなく、当時の庶民(とりわけ農民)の抱いていた世界観や人間観が印象的な喩え話の中で語られている。

古来、ギリシア人は「人は土より生まれた」との考えを持っていた。超越的な神が人間の族を創造したのではなく、自然発生的に人間は往古より大地に生きていたとの考えである。しかし、この事実は人間が生まれにおいて神々に劣るという意味ではなく、オリュンポスの神々も、それ以前の支配者であったティーターンも、元々はすべて「大地(ガイア)の子」である。人間はガイアを母とする、神々の兄弟でもあるのだ。異なる点は、神々は不死にして人間に比べ卓越した力を持つということである。その意味で神々は貴族であり、人間は庶民だと言える。

プロメーテウスと最初の女
パンドーラー
しかしヘーシオドスは、土より生まれた人という素朴な信念とは異なる、人間と神々の間の関係とそれぞれの分(モイラ)の物語を語る。太古にあって人間は未開で無知で、飢えに苦しみ、寒さに悩まされていた。プロメーテウスが人間の状態を改善するために、ゼウスが与えるのを禁じた火を人間に教えた。また、この神はゼウスや神々に犠牲を捧げる時、何を神々に献げるかをゼウスみずからに選択させ、その巧妙な偽装でゼウスを欺いた。

プロメーテウスに欺されたゼウスは、報復の機会を狙った。ゼウスはオリュンポスの神々と相談し、一人の美貌の女性を作り出し、様々な贈り物で女性を飾り、パンドーラー(すべての贈り物の女)と名付けたこの女を、プロメーテウスの思慮に欠けた弟、エピメーテウスに送った。ゼウスからの贈り物には注意せよとかねてから忠告されていたエピメーテウスであるが、彼はパンドーラーの美しさに兄の忠告を忘れ、妻として迎える。ここで男性の種族は土から生まれた者として往古から存在したが、女性の種族は神々、ゼウスの策略で人間を誑かし、不幸にするために創造されたとする神話が語られていることになる。

五つの時代と人間の生き方
パンドーラーは結果的にエピメーテウスに、そして人間の種族に災いを齎し不幸を招来した。ヘーシオドスは更に、金の種族、銀の種族、青銅の種族についてうたう。これらの種族は、神々が創造した人間の族であった。金の種族はクロノスが王権を掌握していた時代に生まれたものである。

この最初の種族は神々にも似て無上の幸福があり、平和があり長い寿命があった。しかし銀の種族、銅の種族と次々に神々が新しい種族を造ると、先にあった者に比べ、後から造られた者はすべて劣っており、銅(青銅)の時代の人間の種族には争いが絶えず、このためゼウスはこの種族を再度、滅ぼした。

金の時代と銀の時代は、おそらく空想の産物であるが、次に訪れる青銅の時代、そしてこれに続く英雄(半神)の時代と鉄の時代は、人間の技術的な進歩の過程を跡づける分類である。これは空想ではなく、歴史的な経験知識に基づく時代画期と考えられる。

4の「英雄・半神」の時代は、ヘーシオドスが『名婦列伝(カタロゴイ)』で描き出した、神々に愛され英雄を生んだ女性たちが生きた時代と言える。英雄たちは、華々しい勲にあって生き、その死後はヘーラクレースがそうであるように神となって天上に昇ったり、楽園(エーリュシオンの野)に行き、憂いのない浄福の生活を送ったとされる(他方、オデュッセウスが冥府にあるアキレウスに逢った時、亡霊としてあるアキレウスは、武勲も所詮空しい貧しく名もなくとも生きてあることが幸福だ、とも述懐している)。

『仕事と日々』
英雄の時代が去っていまや「青銅の時代」となり、人の寿命は短く労働は厳しく、地は農夫に恵みを与えること少なく、若者は老人を敬わず智慧を尊重しない・・・これが、我々が今生きている時代・世界である、とヘーシオドスはうたう。このような人生や世界の見方は、詩人として名声を得ながらも、あくまで一介の地方の農民として暮らしを立てて行かねばならなかったヘーシオドスの人生の経験が反映しているとされる。

世には、半神たる英雄を祖先に持つと称する名家があり、貴族がおり、富者がおり、世の中には矛盾がある。しかし、神はあくまで善なる者で、人は勤勉に労働し神々を敬い、人間に与えられた分を誠実に生きるのが最善である。

一方で武勲を称賛し、王侯貴族の豪勢な生活や栄誉、詩や音楽や彫刻などの芸術の高みに、恵まれた人は立ち得る。しかし庶民の生活は厳しいものであり、そこで人間としていかに生きるか、ヘーシオドスは神話に託して人間のありようの諸相をうたっていると言える。
出典 Wikipedia

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