2025/01/07

源信(2)

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源信僧都の生い立ち

源信僧都は、今から1082年前、平安時代の中頃の942年に、大和国(今の奈良県)の当麻(たいま)という里にお生まれになりました。

お父さんを卜部正親(うらべまさちか)といい、お母さんは、清原氏でした。2人の間には、女の子が2人あったのですが、男の子は生まれませんでした。

 

ある晩、お母さんは、僧侶から美しい玉を手渡される夢を見ました。

その後、玉のような男の子が生まれ、「千菊丸(せんぎくまる)」と名づけました。それが後の源信僧都です。千菊丸は正直な性格で、ずば抜けて賢く、すくすくと育っていきました。

 

7才、お父さんの死

ところが、7才の時、お父さんが重い病にかかります。

もう回復の見込みはないと覚悟したお父さんは、千菊丸を枕元に呼んで、

「幼いそなたを残して、この世を去らなければならないのは残念でならない。お父さんの亡き後は、どうか出家して僧侶になってもらいたい、これは遺言だ」

と言って、帰らぬ人となったのでした。

 

くもった鏡の夢

千菊丸が9才になったある晩、いやに鮮明な夢を見ました。

あるお寺のお経のおさめてあるお堂に、たくさんの鏡がありました。そこへ忽然と僧侶が現れて、くもった鏡を手に取り、

「お前のは、これだ。これを持って横川(よかわ)に行き、磨き上げてこい」

と言います。その鏡を受け取ったところで目が覚めました。

 

お母さんに話すと、

「鏡は智慧をたとえたものでしょう。お前はまだ智慧が暗いから、横川というのはどこか知らないけれど、そこへ行って仏道修行をして磨いてみよ、ということでしょう」

と教えてくれたのでした。

 

旅の僧侶を言い負かす

その後まもなく、事件が起きます。

ある日、友達と河原で遊んでいると、1人の旅の僧侶が川の水で鉄の鉢を洗い始めました。

それを見た千菊丸は、

「お坊さん、あっちにもっときれいな川がありますよ」

と教えてあげました。

 

にっこりと笑って、旅の僧は、

「元来すべてのものは浄穢不二(じょうえふに)じゃ。この水はきれいだとか、この水は汚いというのは、凡夫の迷いなのじゃ」

 

すると千菊丸は、

「それならどうしてお坊さんは鉢を洗っているの?」

と素朴な疑問を発しました。

 

これには唖然として、旅の僧は、答えることができませんでした。

千菊丸はそんなことは関係なく、もう向こうにいって小石を拾って遊び始めています。

 

旅の僧侶は、子供に言い負かされたとなると、そのまま帰るわけにはいきません。

千菊丸のほうへ近づいて行き、

「坊や、そなたはたいそう利口な子供じゃのう。わしには一つ分からないことがある。

今、そなたが一つ、二つ、三つと小石の数を数えておるが、9つまでは『つ』をつけて数えるのに、なぜ十(とお)は『つ』をつけないのじゃ?」

 

「そんなの当たり前だよ、お坊さん。

五つの時に『つ』を2回使ったんだから、もう十の時には足りなくなったんだよ」

 

それを聞いた旅の僧侶は、あっと目を見張り、

「こんなに頭のいい少年は初めて見た。もし出家して仏道修行をすれば、偉大な高僧になるかもしれん」

ともう言い負かされた悔しさはどこへやら、喜びがこみ上げてきました。

 

旅の僧侶は、千菊丸にお母さんのもとへ案内してもらい、自分の師匠である良源(りょうげん)について、比叡山に出家してはどうかと勧めたのでした。

お母さんは、突然の話にびっくりしましたが、父親の遺言でもあり、卜部家の後継者であったにもかかわらず、出家に同意したのでした。

 

9才、出家

数日後、良源からの使者がやってきました。

いよいよ旅立ちの日です。

 

お母さんは、

「今日からそなたは、比叡山に登って、仏門に入るのじゃ。立派な僧侶になるまで帰ってきてはならぬ」

と、父が肌身離さず大切に持っていた『阿弥陀経』を持たせ、涙の中に送り出したのでした。

千菊丸も、泣く泣くお母さんやお姉さんたちと別れを告げ、使者に連れられて、比叡山に登ったのでした。

 

13才、受戒・法名は源信

良源というのは、後に比叡山の座主になる人で、良源僧正とか、慈慧大師といわれ、天台宗中興の祖とされる有名な僧侶です。

 

良源は、千菊丸を一目見るなり、そのたぐいまれな才能と仏縁の深さを見抜きました。輝くまなこはいかにも利発で、その中に一抹の憂いを秘めています。

さっそく良源は厳しく指導を始めました。身の回りの世話をさせながら、僧侶の心構えや仏教の教えをみっちりと教え込みます。それは非常に厳格なものでしたが、千菊丸は、良源も舌を巻く勢いで習得していったのでした。

 

そのすばらしい成長ぶりに、やがて千菊丸が13才になると、良源は戒律を授け、自分の字を一字とって「源信」という法名を与えたのでした。

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