神代一之巻【神世七代の段】 本居宣長訳(一部、編集)
○阿夜訶志古泥神。「阿夜(あや)」は「ああ」と驚嘆するのである。皇極紀の「咄嗟」【現行本は「咄」の字を「吐」に誤っている。】を「やあ」、または「あや」と読んでいる。【一般に「あや」、「あわれ」、「はや」、「ああ」などの語は、元は嘆声であって少しずつ違いがある。「嘆く」という言葉は、中昔以降は悲しみ愁えることにのみ使うが、本来はそうでない。「なげき」は「長息(ながいき)」が縮まった言葉で、人は何であれ深く心に思われることがあると長い息をつく、これがつまり「なげき」である。だから喜びでも何でも「なげく」ものなのだ。その嘆きは「あや」とか「あわれ」とか「はや」とかいう声が出るので「嘆声」と言う。】 また「あや」といって嘆くべき対象の事柄について「あやに云々」と言う。【「あやに畏(かしこ)し」、「あやに恋し」、「あやに悲し」などである。】
「奇(あや)し」、「危うし」なども、嘆いて「あや」と言ったことから出た。「あな」という言葉も「あや」に通じる。【「アナとうと(貴)」、「アナ恋し」などの「アナ」である。書紀の應神の巻に「呉織(くれはとり)」、穴織(あなはとり)」とあるのを、雄略の巻には「漢織(あやはとり)、呉織」と書く。これは「あな」と「あや」が同じだという証拠である。】「あな可畏(かしこ)」というのは「あや可畏」と同じことである。「かしこ」は古い書物では「畏可」、「恐」、「懼」、「惶」の字を当てていて、【「かしこし」、「かしこき」と活用し「かしこき」の「き」は「かきくけ」と活用する言葉である。】「おそれる」という意味である。【同様に賢いこと、智慧があることにも言うが、そういう人は恐るべきものだから、転じて言うようになった。】
ところで「あやにカシコシ」と言うときは、驚嘆の意味はあまり強くないが「あやカシコ」と言うのは対象の可畏いことに接して、直ちに嘆声を発しているので切実な驚きの言葉である。「泥(ね)」は男にも女にも用いる尊称である。それは「名兄(なえ)」の縮まった言葉だろう。【兄(え)は男にも女にも言う。同じ「兄」の字を書いても「せ」と読むのは男に限る。間違えてはならない。】「那泥(なね)」、「伊呂泥(いろね)」【「那泥」については白檮の宮(神武天皇)の段、「伊呂泥」については浮穴の宮(安寧天皇)で述べた。】「宿禰」の「ね」も同じである。また天津日子根命その他、「~根」の名が多いが、みな同じである。
さて、この名は神が満足(美しく立派)な顔【淤母陀琉神の名は、その意味である。】をしているのを見て、おそれ敬ったという意味である。書紀には「惶根尊(かしこね)」とあり、また「吾屋惶根尊(アヤかしこね)」、「吾忌橿城尊(あゆカシキ)」、【現行本は「吾」の字が脱落している。「類聚国史」にはこの字があるので、補うのが正しい。「あゆ」は「あや」と音が通い「かしき」も「かしこ」に通う。】また「青橿城根(あおかしきね)尊」、【「あお」も「あや」に通う。】「あるいは「吾屋橿城(あやかしき)尊」とある。ここで「阿夜」に上声を書き添えたのは「訶志古」に続けて、一つの神名として読むためである。一続きに読めば、上声になるのである。【何も註がなければ「あや」と「かしこ」を少し離して読んでしまう可能性がある。そう離して読めば、これらの語は元の平声で読むことになるが、そうでなく連続して読む。たとえば猿楽の謡の書物に「阿夜訶志(妖異)の著(つく)」という言葉があるが、その「あやかし」のように読むのである。そう読めば「あや」は上声になる。】
○豊雲野神から訶志古泥神まで、九柱の神名は国の初めと神の初めのありさまを、それぞれ段階的に分けて示したのである。と言うのは豊雲野、宇比地邇-須比智邇、富斗能地-大斗乃辨の各神は国土の始まり、角杙-活杙、淤母陀琉-訶志古泥の各神は神の初めである。【ただし国土も神も、その神の生まれた時のありさまが、その神の名の通りだったというわけではない。それぞれの時点での詳細な形状を述べるのでなく、おおよその段階を表す名を割り当てたのである。だからこれらの神名を、その時のありさまをそのまま表したと考えてはいけない。このことをわきまえていなければ、疑いばかりが強くなる。実は、神は初めの天御中主から、どの神もみな姿は満足していたわけで、面足神に至って初めてその姿が満ち足りたなどということはない。また国土も伊邪那岐、伊邪那美神による国生みの段階に至っても、なお「浮き脂」のように漂っていたのを考えて理解すべきである。】
そうであるなら、須比智邇の次には富斗能地、活杙の次には淤母陀琉と続くはずだが、そうでなく国土の初めと神の初めが交互に述べられているのはなぜかと言うと、まだ国土が生まれる前に国之常立神から次々に神が生まれた【天之常立神から五柱の神は天神なので、ここには挙げない。ここでは国土の初めを論じているので、国之常立神からの神々を言うのである。】ために、富斗能地の前の神の名を角杙、活杙と名付け、顔貌の美しく不足がないのを見て畏まったのは、すでに国土が成立して人間も発生していた時点でのことなので、大斗乃辨の後に淤母陀琉、訶志古泥の名を付けたのであろう。【書紀では、沙土煮の次が大戸之道となっていて、一書には活杙(木+織のつくり)に面足を続けている。】
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