神代一之巻【神世七代の段】
本居宣長訳(一部、編集)
○伊邪那岐神、伊邪那美神。この名は「書紀口次」には「伊邪は誘(いざな)う」であると述べ、師も「いざない君、いざない姫君」だと言った。【「イザナヒ」の「ヒ」を省略したのである。】実際、この二柱の神は交合して国を生もうと互いに誘い合ったので【そのことは、次の段にある。】さもあろうと思われる。
「君」を「きみ」でなく「き」とだけ言ったことは、明の宮(應神天皇)の段に「佐邪岐阿藝(サザキあぎ)」、また忍熊王の歌に「伊奢阿藝(イザあぎ)」【この「あぎ」はどちらも「吾が君」の意味である。】などの例がある。また「女君(めぎ)」を縮めれば「み」となる。【一説に、岐(き)は比古(ひこ)の倒反(「こひ」の縮まった語)、美(み)も比賣(ひめ)の倒反と言う。それは、この場合にだけは当てはまりそうだが、(一般的でないので)そうではあるまいと思う。】また考えるに、これは交合の際に「伊邪汝(いざな)」と誘ったお言葉から名にしたとも思われ「那」は「汝」のことかも知れない。【前記の「伊奢阿藝」、またこの記、万葉などにも「去来子等(いざこども)」などがある。
要するに「岐」、「美」は前述の意味で、これは讃える意味の称号である。これも、その時の言葉とすることができるが、そうではない。私が以前考えていたのは「伊邪(いざ)」は誘う言葉、「那岐(なぎ)」は「汝君伊(なぎい)」、「那美なみ」は「汝妹伊(なにもい)」だろう。「伊」は「~よ」と呼びかける語である。継体紀の歌に「愷那能倭倶吾伊(けなのワクゴい)云々」、万葉巻十二に、「家有妹伊(いえなるイモい)云々」、続日本紀の詔に「藤原朝臣麻呂等伊(フジワラノあそみラい)云々」、「百済王敬福伊(くだらのオオキミ、ケイフクい)云々」、また「国主伊云々」など、その例は多数ある。これを「岐伊(ぎい)」は「ぎ」に「い」の音があるので「ぎ」と縮めて言い「汝妹伊」は「に」を省き「もい」を縮めれば「み」になる。こう思ったのだが、そう考えると「神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)」に合わなくなるので、この案は捨てた。】
というわけで「いざ」という語は、さしあたり上記のように思われるが、伊奢沙和氣(いざさわけ)の神、伊邪能真若(いざのまわか)の命、伊邪本別(いざほわけ)の命などの名、また去来之真名井(いざのまない)、地名にも伊邪河(いざかわ)など、上代にはたくさんあったので、他の意味もあったのだろうか。もっと考察の必要がある。
「ぎ」と「み」と男女に対応して言った例は神漏岐、神漏美【この名のことは伝十三の八葉で論じる。】
「なぎ」と「なみ」が対応する例は沫那藝(あわなぎ)の神、沫那美(あわなみ)の神、頬那藝(つらなぎ)の神、頬那美(つらなみ)の神などがある。【ただし、この「那藝、那美」の語は、他の意味がありそうでもある。そのことは伝五之巻のその神のところで言う。】
この名は書紀では伊弉諾、伊弉冉と書いてある。【書紀は、神名や地名の文字を新たに選んで造ったらしく、他の古い書物にはない書き方をしている例が多いが、この二柱の名などは特に紛らわしく、疑う人も多い。そこで、これを論じよう。「諾」の字は「奴各の反(ナの音、カクの読み)」なので、呉音は「なく」であるのを「く」の音を「き」に転じて(「なき」として)使ったのである。「く」の音を「き」に使った例は多い。「冉」の字は、現行本では「册」と書いたのが多いが「册」は「測革の反(ソの音、カクの読み)」なので「さく」であり「なみ」の読みとはほど遠い。「サク(册に横の一を加えた字)」を書いた本もあるが、これも読みは册と同じである。「再」を書いた本もあるが、これは「作代の反(サクの音、ダイの読み)」で「さい」と読むので、やはり違う。また「サク(冊に横の一を加えた字)」を「集韻」に「所晏の反、音セン(言+山)」とあるけれども、これも遠い。だから、これらの字は全部誤っている。一説に「南」を誤ったのではないかと言うが、音はともかく、(こうした神の名に)南という文字を使うことは、ありそうにない。
そこで考えたところ「ナン(耳+甘)」の字が「集韻」に「乃甘の反(ノの音でカンの読み)」、「正韻」に「那含の反(ナの音、ガンの読み)、音は南」とあったので、これだろうかと思っていたが、もっと調べると「史記」の「管蔡世家」で、武王の同母兄弟十人の中に「冉季載」という名があり「正義」に「冉作レ丹、音奴甘反、或作レ【冉+おおざと(都のつくり)】、音同(冉は丹とも書く。ヌの音、カンの読み、あるいは【冉+おおざと(都のつくり)】と書き、音は同じ)」とあるので、この「冉」の字であろう。史記は古代からのことを浩瀚に記した書であり、特に人名の字などは理由があって用いられていると思われる。「奴甘反」なので、呉音は「なん」となり、「ん」の字を「み」に置き換えたのは「諾」と同じである。これも、またそういう例が多い。】
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