神代六之巻【須佐之男命御啼伊佐知の段】本居宣長訳(一部、編集)
○故其云々。故(かれ)とは、それ以前の出来事をすべて受けて言う語であるが、ここなどは必ずしも上をうけて「そのゆえに」という意味ではない。こういう使い方は、記中にはしばしばある。【師は、この上に何か文が脱けているのではないかと言ったが、そうではないだろう。】
○淡海(おうみ:旧仮名あふみ)は、息長帯比賣命(神功皇后)の段に「阿布美(あふみ)」とある。和名抄に「近江は『ちかつあふみ』」とあるのは、遠江(とおとうみ:とおつおうみ)に対して後世そう呼ぶようになったのであって、いにしえも今も普通単に「近江」と書いて「おうみ」と読んでいる。この名は湖があるからで「淡海(あわうみ:旧仮名あはうみ)」が縮まったのである。【淡海とは、潮でない淡水の海である。それは湖の名なので「淡海の国」と呼んでも不思議はないが「淡海」とだけ呼んだのでは国名ではないように思える。しかし名の元になった言葉を、そのまま国名とする例は多い。】
○多賀(たが)。延喜式神名帳に近江国犬上郡の多何神社二座がある。和名抄には「田可郷」がある。これであろう。
書紀には「是後伊弉諾尊神功既畢、靈運當遷、是以構2幽宮於淡路之洲1、寂然長隠者矣。亦曰、伊弉諾尊功既至矣、徳文大矣、於是登レ天報命、仍留=宅2於日之少宮1矣(こののちイザナギのミコト、カムコトすでにおえて、アツシレたまう。ここをもてカクレニヤをアワジのクニにつくりて、しずかにナガクかくれましき。マタいわく、イザナギのミコト、コトすでにいたりぬ。イキオイまたオオキなり。ここに、アメにのぼりカエリコトもうしたまいき。やがてヒのワカミヤにとどまりマシましきという。)
≪口語訳:こののち、伊弉諾尊は大神としての仕事を終えて、その御魂はやや疲れ、淡路島に隠れ住む宮を作ってそこに長く籠もった。あるいは伊弉諾尊はやるべきことを終えて、その功績は大きかった。そこで天に上って報告をしたあと、そのまま日の少宮(ワカミヤ)にとどまった、とも言う≫」
【神名帳には、淡路国津名郡に淡路伊佐奈伎神社、名神大が載っている。】とあるのは、この記と合わないように見えるが【旧事紀に「淡路の多賀」と書いてあるのは、この記と書紀を搗き混ぜて書いたもので言うに足りないのだが、一応それを取り上げて考えると、この記も本来は淡路とあったのを「路」の字を「海」と写し誤ったと疑うこともできる。しかし、いにしえから現在まで淡路に「多賀」という名はない。近江なら名高い神社もあり、この記では初めから近江と書いてあった。弘仁私記には「日の少宮というのは東北の少陽の地を意味するが、近江国犬上郡の多賀神社は正にこの方角にあるので、これはすなわち近江の宮である」と言っているが、この記と引き合わせてこじつけたのであって誤っている。東北の方、少陽というのもいにしえの意でない。日の少宮が天上にあることは「報命」の直後に「仍留」の二字があるので明らかだ。この他、世々の註者の説は、みな漢意をもってするもので、いにしえの意にかなうものは一つもない。】
今この記と書紀の二つの説を考え合わせると、伊邪那岐命の現身は天上の日の少宮に留まって【書紀の「亦曰」の説の通りである。】淡路と多賀には、その御魂が鎮座しているのである。それを「幽宮を淡路之洲に造って」というのは、後世に天上の日の少宮になぞらえて淡路島に建てた社を、こう言い伝えたのだ。皇孫が天降ってから後は、天上になぞらえて地上にその形を写し、名にとどめた例が多い。「多賀にいる」というのも、たとえば天照大御神は永久に天上にいる(太陽として)のが明らかなのに「伊勢の五十鈴の宮にいる」と称し、大山咋神は「近江の日枝の山にいる」とも「葛野の松尾大社にいる」とも言う。手力男命は「佐那縣(さながた)」にいると言うのと同様で、その神を祀る神社のことをそう表現するいにしえの言い方なので、淡路と多賀とでは場所が違うではないかという話ではない。
【一般に神のことを言うには、現身と御魂の違いがあっても同様に言うものであるが、後世はこの違いがあることに気付かず、みだりに疑いを抱くことが多い。注意せよ。】この他にも、この大神を祀る神社は大和国添下郡、葛下郡、城上郡、摂津国嶋下郡、伊勢国度会郡、若狭国大飯郡、出雲国出雲郡などにあって、延喜式に掲載されている。
○坐は「まします」と読む。この言葉は、上の「まし」が「坐」に当たっていて「いる」ということである。下の「ます」は尊敬の意味で付けて言う語で「たまう」という意味である。【「ます」と「たまう」は似た言葉だが、事によって使い方が違う。混同してはならない。中古からは「ます」ということがだんだんなくなって、何でも「たまう」と言っている。だが古い書物の訓では、二つの語の区別を知っておくべきだ。それにはこの記、また祝詞、宣命などを見て定まった用法を学習することである。】
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