2016/10/09

根之堅州國『古事記傳』

神代六之巻【須佐之男命御啼伊佐知の段】本居宣長訳(一部、編集)

○妣は母である。「はは」と読む。礼記の「曲礼」に「生きている時は父・母と呼び、死後は考・妣と呼ぶ」とあるので、こう書いたのだろう。万葉でも「はは」に、この字を書いたところがある。【父母を「かぞ・いろは」と呼ぶのを古い呼び名と考えて、古い書物をみなそう読むのは疑問である。万葉などにも、単に「ちち・はは」とのみ書かれているし、続日本紀の宣命でも「其婆々止在須藤原夫人乎(そのハハとマスふじわらのふじんを)云々」とある他「はは」と言った例が多く「かぞ」とか「いろは」はいにしえの書には見えない。ただ書紀の顕宗の巻に鹿父(かかぞ)という人名があり、その注に「俗に父のことを『かぞ』と呼ぶ」とあるのが唯一例だ。これも本当の父を指して言うのではない。また「いろは」については、はるか後世の大江朝綱の歌などにあるだけだ。他に例があっても、一般的ではない。にもかかわらず、和名抄に「父は『かぞ』、母は『いろは』、俗に父を『ちち』、母を『はは』と言う。」とあるのは古言を知らないので、逆の説明をしている。もちろん「かぞ」も「いろは」も古い呼び名ではあるが、広く用いられた語ではないようだ。とすると、それよりもずっと用例の多い「ちち」、「はは」と読むべきである。】

 

ところで、この「」は、もちろん伊邪那美命のことである。この三貴神は、伊邪那岐大神の禊ぎから生まれたのであり、伊邪那美命が生んだ子ではないのだが、それを「妣」と呼ぶのはなぜかと言うと、禊ぎから生まれた神たちも、元はと言えば黄泉の穢れから起こったのであるから、その時の十四神もまた伊邪那美命を母としているのだ。【黄泉の穢れと禊ぎの清いこととは、父と母のように対となっている。】

そのうちでも月神・日神などは、禊ぎの清らかな方によって生まれたため善神であり、須佐之男命は悪臭が消えがたく残っていた鼻から生まれたので、特に母に近い神であり、悪神となった。そのため、ついにはその国に赴いたのである。

 

根之堅州國(ネのカタスくに)。地底にあるがゆえに言う。【草木の根も同じ。】底津根之国とも言い、祝詞では「根國底之國」とも言っている。【根の国とは出雲のことだと言ったり、あるいは須佐之男命の配所(流刑地)のことだと言うのは、例によって漢意の説である。】

 

堅州國」は、片隅国のことである。それは横【東西南北】の隅でなく、縦【上下】の片隅であって下の底の方を言う。書紀に「極遠の根の国」とあるのも、下へ遠いことを言う。帯中日子天皇(仲哀天皇)に神が「お前は一道(ひとみち)へ向かえ」と言ったのも「片隅へ行け」と言ったように聞こえる。この「隅」を「す」と言った例は、書紀の「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を出雲国風土記に「天日栖宮(あめのひすのみや)」とある。【新撰姓氏録に宗形の朝臣の祖、吾田片隅(あたかたすみ)命を、旧事紀では阿田賀田須(あたかたす)命と書いている。これは何か根拠があって書いたのだろう。】この根の国は、すなわち黄泉の国である。後の文に「須佐之男命のいる根堅州國」とある。

 

○罷(まからん)。一般に「まかる」とは、貴いところから退出するのを言う。【つまり、去る所を貴び、その赴く所を卑しんで言う。万葉巻十八(4116)に、都から越中に来たことを「末可利天(まかりて)」とあるのは、この意味に適合している。】

 

参(まいる)が、貴い所に向かうことである【これは去った所を卑しめて、向かう所を貴ぶ言い方である。】のと反対語である。中古までは、その違いがよく分かって用いていたのだが、【中昔の物語文などに「罷出(まかんで)」などと言うのも適合している。ただし必ずしも貴い所でなく、自分と同じ程度の身分の人でも尊重して言う場合には、その人の前から退くことを「罷る」と言い、田舎から京へ上るのに「罷る」と言うのも、都人を尊ぶ意味である。】後世は乱れてしまった。

 

○此國(このくに)。須佐之男命は海原を治める神なのだが「この国」といったのは、高天の原や根の国に対する語としては、海原もやはり「この国」ということになるのである。

 

○不可住は「ナすみソ」と読む。

 

○神夜良比爾(かむやらいに)云々。「神」は神の上に起こることについて、しばしば上に付けた語であり、前【伝五の六十一葉】にもあった。「やらう」は「やる」を延ばして言った語である。【「らう」は「る」、「らい」は「り」に縮まる。】

 

しかし語の意味は少し違った所があり、書紀ではこの「やらい」を「逐」と書いてある。ここのように重ねて言う例は、神集々(かむつどいにつどい)、「神祝々(かむほざきほざき)」、「神議々(かむはかりにはかり)」、「神問々(かむとわしにとわし)」、「神和々(かむやわしにやわし)」、「神掃々(かみはらいはらい)」などがある。どれも上は体言(名詞形)、下は用言(動詞)である。また間の「に」は省いて読むこともある。「イツのチワキちわきて」なども、こういう格である。書紀には「以2神逐之理1逐之」ともある。【「之理」の二字は、例の撰者の漢意の賢しらと思われて、うるさい。古言の意と違っている。またそこの分注に「逐之は『波羅賦(はらう)』と読む」とあるが、この「波」は「夜」の誤りだろう。】

 

逐(やらう)は、俗に言う追放である。ここでこの地を追われため、最終的には根の国に向かうこととなった。

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