日本人が毎日食べてきた日常の食事は、近代以降、基本形を残しながらも少しずつ変化していく。江戸時代の大名の日常の食事例をみても、ご飯と汁に煮物が一品か二品あり、時にはその一品が焼き物や和え物になるなどの変化はあるものの、これに香の物が加わった一汁一菜か二菜の食事構成で魚介類の使用も多いとはいえない。一般の人々の日常食は、さらに簡素なものであったと考えられるので、調理法を特別学ぶ必要もなく、家庭内で伝えられれば、それ以上特別の技術は必要とされないほど単純なものであったといえよう。
しかし近代以降、欧米の影響により日常食を重視する考え方が、料理書や学校教育において採り入れられるようになり、これに栄養学の発展も加わると、まず都市部において少しずつ日常の食事が変化する。第二次世界大戦による飢餓経験を経て、戦後の高度経済成長期初期には、日本人の食生活はバランスの取れた食事とされ「日本型食生活」と称された。このような食事を作り上げてきた、日本の家庭における調理と地域の特徴についてみることにしたい。また地域の郷土料理、行事食などについても、その特徴について検討したい。
I 日常食の特徴
1 .食事構成の特徴
本膳料理や懐石料理の食事の形である、飯・汁・菜(おかず)・香の物(漬物)の構成は日常食の構成としても定着し、近代以降には「菜」の部分が次第に多様化するとともに、種類数やその量も増加する。これらは都市部での食事であり、山間部などでは、夕食が手打ちうどんなどになり食事構成が異なるものもみられる。また大阪の朝食がお茶漬けになっているが、時には粥の食事もみられる。これは1日1回1日分の飯を炊く習慣があった江戸時代に、江戸では朝に温かい飯を食べ、大坂では昼に温かな飯を食べるという違いがあり、翌朝は固くなった飯を食べやすくする工夫の一つとして茶漬けや粥を食していた。この習慣が、近代以降にも引き継がれた結果であろう。
近代以降、給与所得者が増加すると学校に進学する人たちが増え、昼食に弁当持参の習慣も定着する。名古屋の例では、女学校の弁当は麦飯または白飯、佃煮、漬物の組み合わせである。東京の例では飯、のり、鮭やたらこ、または卵焼き、煮豆、佃煮など一品か二品の弁当で、いずれも主食におかずと漬物などで構成されている。 しかし、女学校ではあんパンやサンドイッチの弁当も流行し、シチュー、コロッケ、ライスカレーなど洋風の料理も食卓に上っている。
これらから見ると、昭和初期の各地の都市部では西洋料理の影響を受けた和洋折衷の食事が、日常食にも広がっていたことを窺うことができる。しかし、パンと洋風の食事構成は殆どみられない。飯を主食としながらも、おかずに洋風料理を組み合わせるなど、副食に関心をおくようになった。
1970~80年代には、副食の種類やその量、使用する食品の種類数も増加して、バラエティーに富む食事構成となり、一方で伝統的な日本の食事の基本形も残されている食事が増加した。沢村貞子『わたしの献立日記』から1983年6月18日の食事をあげると、下記のような食事がみられる。この食事をみると、朝はパン食、昼、夕に飯を主食とした食事である。近代の食事には少なかった牛乳、卵などの良質のタンパク質、牛肉などの動物性食品が日常食に定着し、おかずに使われる食品の種類が多いことをうかがうことができる。
一方で、飯、汁、おかず、漬物という伝統食の基本形も残されている。1981年、NHK世論調査部において全国4,740人を対象に行われた「日本人の食生活」調査によると、朝食をとっている人は95%、うち90%の人が自宅でとり、しかも飯、みそ汁、軽いおかず、漬物という基本形に近い食事をとっている人が70%以上と圧倒的に多い。 また5人に1人は弁当持参、夕食は90%以上が自宅でとり、95%以上が主に米飯を食べている。この時期、食事の内容や摂取量の変化はみられるものの、食事構成の基本は継承されているといえよう。
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