2016/11/30

炊飯方法の特徴(農林水産庁Web)

日本では、米飯の炊飯方法は炊き干し法がとられてきた。この方法は、他のアジア諸国でとられてきた湯取法とは異なり、炊きあがったときに水分がなくなり、しかも米が十分に水分を吸収して芯のないふっくらとした米飯となる。このためには米をよく洗い、米に対して過不足のない適量の水を加え、火加減をして焦がさないよう炊く技術が求められた。

 

米は、現在「洗う」と称するが、少し前までは「研ぐ」と表現したほど、米に付着した糠を洗い流すために、白濁した水が澄むまで何度も水をかえて洗うことが求められた。 現在でもその傾向は続いており、米1カップ(約140g)で、米の重量の10倍以上の1.5リットル程度の多くの水が使われる。とぎ汁には、粘りのある糠がとけ込むために、以前は、この「とぎ汁」を利用して筍などあくのつよい野菜類のあくぬきに用い、洗い物の汚れ取りに用いるなどしたあと、畑や庭木の周りなどに流し、自然の循環に返していた。しかし現在では集団住宅なども多くなり、生活スタイルがかわった結果、とぎ汁の利用は少なくなり、無洗米が登場し、伝統的な洗い方は次第に変化することになろう。

 

米に対する水の分量については、現在、米の容量の1.2倍、または米の重量の1.5倍の水を入れて炊くと教えられているが、電気釜、ガス釜が一般化する1970年以前には、家庭では洗った米の上の高さが指の関節分(3cm弱)で計る手ばかりが使われてきた。後者の方法は、釜や炊く米の量が異なると高さも異なるために、不正確な方法として学校教育などでは使われなかったことから、家庭でも次第に忘れられていった。

 

しかし、ビーカーや鍋の大きさ、米の量を変化させ、米の重量の1.5倍の水を入れた時の米の上にくる水の高さを測定した実験では、米の重量が50800gまでの間で適当な容器を選択すると、いずれも水の高さが約2.5cmとなり、水は米の1.41.6倍となるため、飯にすることが可能である。このように伝統的な手ばかりも一定の範囲では使えるものであり、数値を記憶するより体に覚えさせる一つの経験的手法として有効な方法であり、現代でも十分利用できる方法であるといえよう。

 

現在は、メートル法での記述が定着しているが、電気釜の計量カップは、尺貫法の頃から使われた1合に合わせ、1カップ180 ml1合)となっているものがほとんどで、学校教育等で用いる1カップ200 mlとは異なっている。現在、料理の材料を重量で示すことが多いなかで、米については容量で示すことが多い。竈で薪を使った炊飯は、第二次世界大戦後も特に都市部以外の地域では長く残った。そのため火加減も水加減同様、重要であった。その表現は「はじめは弱く、中程は激しく、最後は弱くする。沸騰した時に薪を引いて、おきを残し、しばらくして釜を下し、むらす」という流れが一般的であった。

 

しかし、ガスコンロなどによる加熱が主流となると「沸騰して火を少しずつ弱め、1520分後、火を止めてむらす」と変化し、さらに電子レンジ加熱や圧力釜など新たな加熱器具が開発されると、調理の方法や加熱時間などは変化しているが、米に十分な水分が吸収された後、加熱により米のでんぷんが糊化し、水分が飯中に含まれてふっくらしたご飯になることが美味しいご飯であるとする評価には変化がなく、新しい炊飯器具の宣伝に釜炊き風とか、薪炊きごはんなど伝統的炊き方に近いご飯をよしとする表現が使われていることも多い。

 

炊飯の際の水加減や炊き方の留意点は、時代だけでなく資料によって異なるが、その例をまとめると下記の通りである。

 

1700頃 ・水量:米一升に水一升。米の上一寸。炊き方の特徴:米を良く洗いざるに挙げ、熱湯に入れて沸騰後、薪を減じ蒸らす。(大和本草-1709

 

1900頃 ・水量:水の高さ一寸。炊き方の特徴:米を十分とぎ、釜に入れ水加減し、加熱沸騰後、薪を引き蒸らす櫃に移す。(料理手引草-1898

 

1920頃 ・水量:米一升に水一升二合。炊き方の特徴:米をよくとぐ。火を釜底全体に火勢の衰えないよう、沸騰後56分して火を去り、さらに10分そのまま熟ませ、櫃に移す。(応用家事教科書-1918

 

1940頃 ・水量:米一升に一升二合。米の容量の2,3割増し。炊き方の特徴:前夜に洗い、水は目分量でなく計る。火を引き、ガスなら火を止め5分おきおがくずなどで1分加熱し後蒸らす(国民食-1941)。ゴミを流すくらいに洗い、水を加え沸騰後火を弱め10分位おき、釜をおろし数分おき、櫃に移す(中等家事一-1942

 

・現在 ・水量:米80 gに水120 g(米100 mlに水120 ml)。炊き方の特徴:計量カップで米を計り軽く3回水をかえ洗う。ざるにあげ水を切り、水を計り30分水につけ加熱する。沸騰後、2,3分吹きこぼれない程度の火加減、その後1215分弱火とし、火を消し10分蒸らす(新編新しい家庭-2008

 

・(無洗米) ・水量:米の2割増しの水に、さらに510%加える。炊き方の特徴:無洗米専用カップ(米糠分を減らしたへこみのあるカップ)を用いる場合、水の量は炊飯器の目盛り通りにし、炊き方は従来通り(全国無洗米協会「無洗米」)。

 

炊飯に際し、水の量を米の高さで計る方法は、他の料理書などを見ても近代までで殆どなくなり、第二次大戦中「科学的」な調理が求められることにより次第に姿を消していったが、家庭の中では戦後もしばらく続いた習慣であった。しかし学校教育では近代以降、比較的早くから分量を計量器で計るよう指示し、次第に定着して現在に至っている。しかし今後無洗米が普及すると、学校教育の炊飯方法の内容も変わらざるをえないであろう。

 

また米に大麦や稗、粟などの雑穀を混ぜて炊く飯は、1940年頃までは都心部を除き日常のことであった。大麦は、そのまま(丸麦)では固いためにあらかじめ加熱して後、米に混ぜる必要があったが、その方法も一つではなく、1930年頃からは加熱して押し潰した押し麦が作られたために、直接米に混合して炊くことができるようになった。第二次大戦後は、麦飯を常食としていた地域も次第に白米飯となった。現在は、健康上の理由から麦、雑穀入りの飯が食べられるようになり「五穀米」などとして1回ずつ米に入れて使用できるようパックになった商品も出回っている。

2016/11/28

誤算続きの最終日(復活の秋・第3日)

前日同様、この日も早起きして朝風呂を堪能すると、朝食バイキングでしっかりと腹ごしらえをする。

 



前日まで、猫の目のように変わる天気予報では雨マークも残っていたが、予想外にも朝から青空が広がっていた。

 

まずは、長岡京へと移動。目指すは紅葉の名所として知られる光明寺だ。

京都市内の「名所」といわれるところは、これまで春と秋で東西南北かなり行き尽した感があるが、市外となるとまだまだ未踏の名所が結構残っている。光明寺もその一つで「長岡京」という響きから、なんとなく遠くて不便かというイメージがあったが、実際には京都駅から電車で10分ほどと驚くほど近かった。もっとも寺までは、駅からバスで移動しなければならないが、臨時バスも増発されていて、ほどなく目的地に到着した。

 

初日の日曜は、自転車も思うように進まないような途轍もない混雑だったが

(平日の朝だし、市内の観光名所ほどの混雑はないはず・・・)

との希望を裏切り、市内名所にも引けを取らない人出だ。例によってC国人の姿が目についたが、市内名所はともかくこのような「穴場」にまで大挙して押し寄せて来ているとは!

 

光明寺の紅葉は噂に違わぬ素晴らしさで、またちょうどタイミング良く見頃を迎えていた。

 



 

続いて、近くの長岡天満宮へと移動。こちらも同様に、見頃の紅葉が素晴らしい。長岡京といえば、平城京から平安京へ都が遷る間の10年間都があった地だが、あまり有名な遺跡や遺構などがないのか、一向耳にしないのは不思議である。

 

さて、京都市内に戻るとレンタサイクルで、初日に見逃した「旧三井家下鴨邸」のリベンジだ。場所は、下鴨神社の参道を入ってすぐのところ。

 


 

前の週までは建物の1階部分のみの公開だったが、この週からは2階と3階も公開されているとのこと。入場券売り場が、それほどの混雑ではないのに「すっかり騙されて」入ってしまったのが失敗だった。建物に入った途端、長蛇の列が続き、まったく前に進んでいかないのである。

 

この分では、2階、3階に上がれるのに、どれほど時間がかかるかわからず、結局上は断念して1階と庭園の鑑賞のみとした。

 


 

確かに庭園は素晴らしいと言えたが、京都の庭園ということで言えば、まあ「普通の庭園」だ。2階、3階を観られず、これだけで「800円」は正直「ぼったくり」レベルである。これなら入場時に「xx待ち」と伝えるか、待つのが嫌で1階と庭園だけ観覧の拝観者は半額にするとか、色々な方法があるだろう。遠方からわざわざ来ている客も多いのだろうから、もっと拝観客に親切であるべきではないのか!

 

(三井が今日の財を成したのは、このようなアクドイ商法の賜か?)

 

などと、イヤミの一つも言いたくなるような、金額以上に「損した感」が強く残ってしまった。

 

ともあれ気を取り直し、続く目的地の真如堂に向かう途中で目についたのが「金戒光明寺」だ。

 


 

以前に、やはり真如堂目当てで通った時に訪ねた記憶があるが、その時は大きな山門と本堂を見学しただけだったが、今回は「御影堂、大方丈、庭園、山門」の特別セット公開である。1200円でセット券を買い、山門を上がろうとすると

 

「山門からは、撮影禁止でございます」

 

(そういうことは、金を払う前に言えよ!)

 

と言いたい。

 

なにゆえに、山門から外の景観が撮影禁止なのかがさっぱり不明だが、これまた折角の楽しみが半減だ。

 

御影堂、大方丈、庭園と、立て続けに鑑賞していく。普段は非公開のものばかりとは言え、1200円は高いとしか言いようがない。京都観光は「数が勝負」でもあり、それぞれで拝観料も嵩むだけに、やはり1寺社だけで1000円を超えるとなると、相当な価値を期待してしまうのだが、そこまでのものとは思えなかった。とはいえ、ボリュームはそれなりのものだけに、全部じっくりと鑑賞するにはそれだけの時間がかかり、真如堂に着いた頃には4時を回っていた。

 

真如堂の庭園と、近くの特別公開の寺院も予定していたが、時間の関係で真如堂の紅葉見物だけに留める。

 


 

全てが順調だった前日の天橋立に比べると、色々と消化不良が残る京都市内観光ではあったが、最終日は秋晴れに恵まれたのは幸いだった。

2016/11/25

天橋立の絶景(復活の秋・第2日)

2日目は、待望の天橋立だ。

朝風呂に入った後、恒例の朝食バイキングでしっかりと腹ごしらえをする。



空一面が雲に覆われていたが、前夜の雨は上がった様子で

(ともかく雨さえ降らなければ)

というのが願いである。

 

ホテルの送迎バスは宮津駅までのため、宮津から「1時間に1本」と聞いていた電車かバスで天橋立まで移動する予定だった。が、バスに乗ると

「宮津駅で、良かったですか?」

と聞かれたので

「天橋立まででも、いいですかね?」

と聞くと

「いいですよ」

とのことで、上手い具合に天橋立までやってもらう。

 

天橋立駅のコインロッカー荷物を預けると、立ち寄ったコンビニで見つけた「天橋立地ビール」で景気づけして出発だ。

 

ロープウェイで天橋立ビューランドへ上がると、眼前に日本三景の絶景が広がった。

ひと通り景色を堪能して、リフトで下山する。

 

狭いハコの中にギュウギュウ詰めにされるロープウェイよりは、リフトの方が断然気持ちが良い。特に景色のつまらない登りとは違い、下りは天橋立に向かっていく貴重な時間だ。

  

前日に続き気温は20℃ほどと、この時期とは思えない暖かさである。京都市内よりはかなり寒いかと思っていた丹後だったが、この時に限ってはまったくかわらなかったのが不思議であった。

 

この時点では晴れてはいないものの、どうやら雨の心配はなさそうである。下山した後は、智恩寺からスタート。観光遊覧船かレンタサイクルか迷ったが、初めてのため松並木を歩くことにする。松並木は約3㌔で1時間近くかかるため、途中レンタサイクルにすれば良かったかと思ったものの、既に真ん中辺りまで来ていたため、ここまで来たら踏破するしかない。この時期にしては暖かいだけに、気持ちの良いハイキングだ。

 

ようやく松並木を抜けると、籠神社(元伊勢)が見えてきた。

 


奥宮の「真名井神社」は、パワースポットして知る人ぞ知る存在だが、観光エリアと反対方向のため、観光客はまばらである。

 


帰りは道に迷いながら、リフトで股のぞきで有名な傘松公園へ。ひと通り景色を楽しんだのち、レストラン「AmaTerrace(アマテラス)」で、天橋立の景観を見下ろしながら出石そばとビールを堪能する。

 


腹ごしらえが済んだ後は、バスで成相寺へと移動。傘松公園からさらに一山上った、この展望台から見下ろす天橋立をバックに、紅葉に映える五重塔は、まさに「これぞ日本!」と叫びたくなる絶景である。空は相変わらず雲が多かったものの、時折日差しが顔を覗かせるという回復基調にあった。

 

朝の9時から十分に堪能し尽くしたとはいえ、まだまだ見どころが多いだけに夕日の落ちるところも見ていきたかったが、後ろ髪を惹かれる思いで一の宮桟橋から遊覧船で天橋立桟橋へUターン。再びコンビニに行き、2種類あったうちのもう1つの地ビール(京丹後)を飲み駅へ行くと、ちょうど電車が出たところで次発まで1時間近い時間があったため、駅前の「天橋立ホテル」で日帰り温泉を楽しむことに。スサノオの湯(大浴場)、イザナギの湯(寝湯)、天の岩戸(サウナ)と、どれもが気持ちがいいが、特筆は天橋立を目の前にした露天風呂「天照の湯」で、誰もいない「特等席」を独占していると、ずっと出たくなくなりそうになった (● ̄  ̄●)ボォ---

 

こうして丸1日かけて天橋立を堪能し尽くし、再び京都市内へ。ホテルの居酒屋で、前日に続いて地酒の飲み比べを楽しみながら、新鮮な魚介類を中心とした旨い料理に舌鼓を打つ。

 


〆は、もちろん湯豆腐である。



ホテルは京都駅のすぐ近くだが、こちらも天然温泉で朝、夕に続く、この日3度目の天然温泉で温まると、やはり睡魔が心地よく (--)ZZZ..

2016/11/23

猫の目計画(復活の秋・第1日)

今年の紅葉狩りの計画は、あたかも猫の目の如くに稀に見るほど変更を重ねた。

 

例によって「関西方面」というところだけは決まっていたが、今年はめぼしい特別拝観がなさそうな京都の市内観光よりは「日本三景」の中で唯一未踏の地となった天橋立、さらに春に姫路城で時間を喰って行きそびれた書写山、また書写山が「西の比叡山」なら「本物の」比叡山延暦寺も良いし、同じ滋賀なら湖東三山にも惹かれる。あとは天気と紅葉のタイミング次第と、ホテルは各地の分をキープしておき、天気予報と睨めっこの日々である。

 

ところが今年はどうにも天気が悪いらしく、計画立案時にはこれに悩まされた。候補のうち、まず「比叡山延暦寺」が一週間も早く「見ごろ」を迎えてしまいタイミングがずれたのと、肝心要の根本中堂が修復中とのことで、まず候補から外れる。湖東三山も数日前から「見ごろ」となっていたが、こちらは天気が良ければギリギリ間に合いそうな予感があった。

 

こうして「湖東三山京都書写山」と、ようやくにしてプランが固まりかけたが、出発前日になって彦根が突如「雨」予報に変わってしまい、泣く泣く断念。また書写山も、姫路からバスとロープウェイでの移動に片道1時間かかるだけに、やはり姫路城とのセット観光ならともかく、このためだけに往復2時間を費やすのが惜しまれて来た。こうして、結局はメインの天橋立を最も天気の良さそうな真ん中の日に当て、前後は京都観光というスケジュールに落ち着く。出発前は、当日は曇り時々雨、2日目は曇り、3日目も曇と雨のマークと、どれもパッとしない予報が続いていた。

 

普段より、かなり早い6時に起床し、出発。東京は快晴で、新幹線の車窓から名古屋辺りまでは、見事なまでの青空が広がっている。

 

(予報よ、外れてくれ!)

 

という期待も空しく、関ケ原を過ぎた辺りから雲が増え始めると、一気に怪しい雲行きとなり、京都に着いた時には無情にも小雨がパラついていた。

 

まずは荷物をコインロッカーに預けるのがいつもの段取りだったが、駅周辺は例によって煩いばかりのC国人団体に埋め尽くされ、コインロッカーはどこも空きがない。この重い荷物を背負って歩くわけにはいかないから、ともかくレンタサイクルで荷物を預かってもらい、身軽になって出発だ。

 

今年はめぼしい特別公開がない中で、真っ先に目を着けていたのが「旧三井家下鴨邸」の特別公開である。場所は出町柳を過ぎた下鴨神社の近くで、自転車でひとっ走りしているうちに、どうやら雨は上がった。道中、目についた店でランチをしつつ観光協会に電話で聞いてみると、初公開で人気の「旧三井家下鴨邸」は、なんと「1-2時間待ち」とのことで断念。

 

次に目標にしたのは「長楽寺」だったが、これまた場所がわからずに手間取った。清水寺、高台寺、八坂神社など、人気の観光名所が集まる東山は、日曜ということもあって物凄い人出だ。結局、京都市内をグルグルとサイクリングするような格好で、あまり混雑してなさそうな小さい寺院を見物して、早々に切り上げることに。

 


 



京都の狭い道に、バス待ちの行列が溢れて自転車も思うように進まない。さて目的の天橋立は遠く、京都駅から特急でも2時間以上かかる。新幹線と在来線という大きな違いはあるが、所要時間だけなら東京から京都へ行く以上の時間がかかるのである。京都市内は自転車で周回できるくらいに狭いが、太平洋側の京都市からは真逆の日本海沿いの京丹後までは遥かに遠い。桜にしろ紅葉にしろ、夜のライトアップを見る場合は別だが、日の短い秋は長い夜の時間帯を上手く活用して、いかに効率よく目的地まで移動できるかが極意と言える。

 

この日は、17時半の電車に乗って20時前に宮津駅に到着。じゃらんで検索した中で、唯一よさそうなホテルは駅からは遠かった。宮津湾に沿って、対向車は殆どおらず「クマが出るといわれる」暗い道をタクシーで10-15分走ると、ようやくホテルに到着した。

 

ホテルの部屋は「天橋立の景観保証(海側)」となっていたが、真っ暗で何も見えない。早速、ホテルの居酒屋で地酒の飲み比べだ。

 


 

料理もどれも旨く、満足して温泉へ。

 



酒を飲んだ後の広々とした温泉は気持ちが良く、天国的な幸せに包まれて早々に寝てしまった (--)ZZZ..

2016/11/20

誤算(真夏の悪夢part10)



●814日(日)
 経過は順調、と思えた。
 
 やはりタバコを吸う時に喉の違和感が気にはなるが、これは薬のせいだと思い気にしないことにする。
 
 この週末に再検査があり、それまでは退院時に処方してもらった抗生薬の服用が必要だ。
 
 アルコールは缶ビール1本に抑え、なるべく消化の良い食べ物を摂取するよう心掛ける。
 
 夏季休暇明けの来週からは、職場に復帰する想定だ。
 
 現場のPMからは
 
 「今は療養に専念し、復帰は様子を見ながら決めればいい」
 
 と言ってくれていたが、現場ではトラブルが発生して夏休み返上で出勤しているメンバーも多いらしい。
 
●815日(月)
 半月ぶりにスポーツジムへ行ったが、思ったより体が動いた。
 
 腹筋、背筋のマシンや、腹を伸ばしたり曲げたりすると違和感はあるものの、退院翌日ということを考えれば、これだけ動ければ良いだろう。
 
 入院前に比べ体重は3キロも落ちていたが、ジムの機械で測ったところ何故か体脂肪が大きく減っていた。
 
 減った3キロの殆どが体脂肪なのだ。
 
 病院でずっと動かなかったから、てっきり脂肪が増えて筋肉が落ちているとばかり思っていただけに、これは不思議なことだった。
 
●816日(火)~817日(水)
 退院後から、タバコを吸う時に感じていた違和感が徐々に酷くなり、遂には喫煙時以外も喉の痛みを覚えるようになり
 
 (どうやら、風邪を引いているらしい)
 
 と、遅まきながらようやく気付いた。
 
 しかしながら、抗生薬を飲んでいるから風邪薬を飲むわけにはいかないかと思い、そのうちに治るだろうと放置する。
 
●818日(木)
 風邪が悪化してしまった ()~ ガーン
 
 前日までは喉の痛みだけだったのが、この日起きてみると鼻水が出るわ、頭痛がするわ、体の節々が痛むわと、風邪の諸症状が一気に表出した。
 
 慌てて病院へ飛んでいき、薬を処方してもらう。
 
 薬局で体温計を買ってきて測ってみると、なんと熱があるではないか。
 
 気になって数時間置きに測ると、大体37前後を推移している。
 
 こんな状態で検査をするわけにはいかん、早く治さねば!
 
●819日(金)
 風邪が一向に良くならず、微熱も続いている。
 
 風邪を引いたのも治りが悪いのも、やはり栄養不足のせいかと思う。
 
 夜に熱を測ったら、遂に37.5まで上がっていた・・・
 
●820日(土)
 最悪の状態で、再検査を迎えた。
 
 結果は、前回「」まで下がった痛みを表す指数(基準値は0.3以下)が「」に上がり、白血球数も基準値(8600以下)内に収まった前回の8000から、13000に跳ね上がっていた。
 
 「退院した時より、悪くなってますよ。
 
 風邪の影響もあると思いますが、抗生薬が効いていないですね・・・薬を代えるので、また来週の土曜に再検査に来てください」
 
 という最悪の結果に。
 
 風邪さえひかなければ、この検査で問題なしの医学的なお墨付きをもらい、めでたく「回復宣言」というところだったが、少なくとも1週間先送りとなってしまった。
 
 しかも風邪の治りが悪いから、なんにせよこの風邪を早く治すことが先決である。
 
 むろん、これまで再三にわたり担当営業から
 
 「その後、具合はどうですか?」
 
 と復帰を心待ちにする問い合わせが来ており、次の週から復帰想定で話をしていただけに、ここで大きく想定が狂った。
 
 とはいえ風邪で炎症が悪化している現状を考えると、再入院だけは避けなければならないから、ここはしっかり療養して風邪を治さねばならない。
 
 (これだけ現場に穴をあけたら、責任を取らなくてはな・・・)
 
 こうして職場から退く決意をし、営業に連絡を入れた。